カテゴリー「旅行・地域」の69件の記事

2008年6月25日 (水)

岩松院の天井絵

 葛飾北斎が天井絵を描いたと云う小布施町の岩松院も訪ねた。本堂入口の自動券売機で入場券を購入。この券売機がすごい。お釣りが、まるでを投げ出すように出てくる。失礼な機械だね、カネを放り投げているみたい。実に尊大な態度。さすが、お寺さん、威張っていやがる。カミサンに囁いたら、奥にいた受付がこっちを見た。聞こえてしまったかな…。

 21畳敷の天井一面に北斎の「八方睨み鳳凰図」が鮮やかに描かれている。北斎晩年最大の作品の由。一見の価値はある。北斎館のような賑わいが無いから、静かに天井画を楽しめる。

 この寺は小林一茶ゆかりの寺の由。庭に蛙合戦の池があって風情がある。「やせ蛙まけるな一茶これにあり」は、この寺を訪問した折の作と云う(寺の案内パンフ。真偽の程は分からない)。戦国武将、福島正則公の霊廟でもある。

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2008年6月 3日 (火)

道の駅「豊栄」のダチョウ

 山形県境から一気に新潟まで戻ったが、多少、時間に余裕があり、空腹感もあったので、道の駅「豊栄」に立ち寄った。無線LANで高速ネットの無料接続が売り物らしい。案内所に係員を置いている。

 無精な男一人の空腹をなだめるにはラーメンが手っ取り早い。軽食堂でラーメンを食した後、この道の駅の名物、ダチョウを拝見。小雨模様の中、食堂の裏手に回ってみると、大きな囲いがあって、ダチョウが飼われている。子供等が手近な草でダチョウをからかっていた。

200805311413a  その後、建築家の安藤忠雄氏設計の葛塚中学校と豊栄市立図書館の奇を衒った円形状の建物を拝見してから、カミサンと合流。

 カミサンの友人から沢山の土産物を貰ってしまい、恐縮。二人で市内の「人情横丁」で買物をした由。一度は訪ねたいと云っていた「人情横丁」を昔馴染みと歩いたものだから、カミサンは満足そうだった。

※)本日、サーバーメンテの由。9時から15時までコメント受付不可になります。ご了承下さい。

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2008年6月 2日 (月)

道の駅「白い森おぐに」

  カミサンの昔の同窓が新潟に住んでおり、前々から遊びにいらっしゃいと誘われていたが、先週末、ようやく積年の夢を実現、みのる君の運転する車で訪問した。27年振りの再会。到着するや、カミサンと友人は積もる話に夢中になって、みのる君のことはお構いなし。ついに、この時間に迎えに来て、なんて云ってみのる君を放り出す始末。女同士の長話は辟易だから、みのる君はさっさと暇乞いさ。時間はたっぷりあったので、山形方面まで一人でドライブ。あいにく外は強い雨だったけれど、退屈しのぎに呑気に車を走らせた。

 以前、家族で訪ねた胎内へ寄ってみたけれど、人っ子一人いない。夏場はにぎやかな「胎内星まつり」の会場になる胎内自然天文館も開店休業の有様。雨とは云え週末に訪問客がいないのは、いかがなものかな。地ビールを売っている高原ビール園も人の姿が無い。車の往来もほとんど無い。季節外れだったのかな。ちょっとガッカリだった。

 その後は、新潟と山形を結ぶ小国街道を走る。満々と水を湛えた荒川沿いの国道。赤芝峡と云う景勝地もあって、紅葉の季節に再訪したい場所。交通量も少なく、雨の中を快適に走った。県境を越えた所に、「白い森おぐに」と云う道の駅があって、ここで暫時休憩。更に足を伸ばせば米沢に至るが、カミサンのご指定時間に迎えに行かねばならない。やむなく、Uターン。一応、訪ねた記念にケータイで建物を撮影。雨がひどかったので、車中から一枚撮る。

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2008年5月22日 (木)

善光寺参拝

 九州ドライブから戻ってみると、我が家の庭は留守の間にすっかり緑濃くなっていた。植物は律儀に新緑一色。桜の枝ぶりも見違えるようだった。

 再び日常生活に戻った。カミサンは相変わらず茶事が目白押し。毎週のようにあちこちの茶事に出掛け、休む間もない。みのる君も仕事に追われる毎日。

 そんな中で、先週末、寸暇を見付けたカミサンと長野の善光寺へ行って来た。知り合いが善光寺大門で春先から写真展を開催しているものだから、一応、顔を出す。オリンピック聖火で一悶着あったから、その時期を外して出向いた次第。写真展はあっさりと見てから、善光寺を参拝。観光客であふれていた。門前町は結構な賑わいだった。折りしも山門修復が終わって山門の特別拝観中、大勢の拝観希望者が順番待ちの列を作っていた。急峻な階段を登るのも億劫だし、並ぶのは更に面倒なので、順番待ちを横目で見ながら素通り。境内には全く人見知りしない鳩たちが悠然と土を突いている。長閑なものだ。

 近くの喫茶店でコーヒーを飲んだ後は、長野から北上、飯山市を抜け、十日町から六日町に出る。2,3度立ち寄ったことがある蕎麦屋で「へぎそば」を食してから、関越自動車道を利用して帰宅。あっと云う間に400㌔のドライブ敢行。3000㌔以上を走破しているから、この程度のドライブは楽勝ものさ。

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2008年5月19日 (月)

無事帰宅

 津和野を出発してからは津和野街道を利用して南下、六日市インターから中国道へ。あとはひたすら東進。途中、カミサンがNHKの「篤姫」を見たいと駄々をこねるものだから、広島県の本郷パーキングで暫時休憩。旅行中にもかかわらず連続ドラマに固執するカミサンに呆れるものの、災厄を恐れて休憩。暫時、ナビ付属のTVで「篤姫」を見る。その間、みのる君は外で一服、仮眠。

 時々道路情報で渋滞状況を確認していたが、神戸の先、西宮辺りの渋滞がまるで解消していない。10㌔以上の混雑。夜中だと云うのに、ひどいモノさ。疲れも出ているので、岡山県に入って、勝央サービスエリアでしばらく休憩。100㌔先に分岐点があって、その向こうは兵庫、大阪、京都の名立たる渋滞路線が控えている。関東地方に戻るには、この渋滞にじっと耐えて名神から東名に向かうか、ないし中央道に進むか、或いは少し遠回りになるけれど、米原ジャンクションから北陸道へ入るか、いくつかの選択肢がある。

 一昨年の出雲・松江のドライブでは神戸周辺の混雑を避け、舞鶴自動車道を利用して帰った。昨年もこの路線を使って、丹波篠山を走った。利用経験から云えば、この道が一番無難。深夜に渋滞するような所はない。ただ、舞鶴道終点の小浜西からしばらく一般道を走って敦賀インターに向かうので、少々まだるっこしい。

 勝央SAには、みのる君と同じように渋滞解消を待ち望んで待機している車であふれている。さて、どうしよう。思案数秒。小一時間の仮眠で頭も冴えた所で、舞鶴方面に決めた。遠回りでも快走に限る。そして、100㌔先の分岐点から小浜西へ向かった。

 敦賀インターから北陸道へ。途中、何度か小休止しながら、実に快適に飛ばしていると、金沢を過ぎた辺りで、事故情報、砺波インターと小杉インター間が閉鎖と云う情報掲示板が目に止まる。おいおい、せっかく気持ちよく走って来たのに、こんな所で足止めかい。復旧見込みは不明。事故は発生直後らしい。開通を待っていると、渋滞も考えられるし、待機はせっかちには不向き。ひたすら前進あるのみ。小矢部で一般道路に出る。ETCの深夜割引はここで終わり。20分程、朝方の小矢部、砺波の市街を走り抜け、小杉インターから再び北陸道へ。こう云う時はナビが役立つ。

 帰宅は昼時。前夕、島根県津和野を出発して約19時間。何度か休憩し、仮眠しながらも、よくぞ走った。当初計画走行距離とほとんど差異が無い。たった43㌔の違い。3100㌔を超える長大ドライブで、想定距離が43㌔の違い。さすがだね、綿密な計画を立てたみのる君の勝利。

 一晩中走り続けると、1000㌔先に到達出来る。訳無いじゃん。これが、今回のドライブで実感出来た感想。何処でも行くぜ、任せておけ。みのる君の根性が少し曲がってしまったか知れない。それと、大分経って疲れが出てくると云うのは、年齢的な問題かな。

 

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2008年5月18日 (日)

津和野散策と祝700回

 ドライブ旅行最後の目的地、津和野に着く前、道の駅で食事。カツ丼を頼んだら、関東地方と違って、汁が目一杯入ったカツ丼だった。関東とまるで違う。何、これ。一瞬、目がテンさ。この店だけの特徴だったのかな。カツなのに、面食らってしまったい。

 午後3時少し前、津和野に到着。まず、森鴎外の旧宅を訪問。さっと一見してお仕舞い。それから、近くの喫茶店でコーヒーを飲んで休憩。さすがに疲労が溜まっている。マスターに中国道に抜ける道の道路状況を確認してから、今度は西周(にし・あまね)の旧宅も拝見。カミサンは西周を知らなかったと云う。熱心に案内板を見ていた。

 森鴎外宅から西周宅へ向かう途中、津和野川の河川敷に一羽のサギが悠々と餌を求めて歩いていた。今回はカモシカやウグイスやサギの姿まで、間近に見られて良かったわ。カミサンは妙な感想を述べる。西周宅を拝見中に、近くで汽笛の音が鳴り響いた。きょろきょろ見回すと、はるか彼方に煙を吐いた蒸気機関車が見えた。久し振りの懐かしい光景。

Imga0263  カミサンは独身時代に萩と津和野を一人旅している。汽車とバスを乗り継いで動き回ったそうだ。町を一巡して、人影も少なくなって来た時刻、津和野駅近くの食堂に入った途端、カミサンが小声でみのる君に囁いた。この店、入った覚えがある。座った場所もここ。そうよ、この格子窓も覚えている。この椅子に腰掛けて、食事をしたのよ。何を食べたのだろう、すっかり忘れてしまったけれど、間違いない、このお店のこの席に座ったわよ。いきなり何十年前かの記憶が蘇ったみたい。まだ、お店が残っていたのね。カミサンは感無量の面持ち。珍しい事もあるね。

 津和野見物で今回のドライブ計画は全て消化。残るは無事ご帰還を祈るのみ。あえて津和野で時間を潰して出発を遅らせた理由はただ一つ。真夜中に大阪、京都を通過したい。ゴールデンウィークも終盤、連日深夜まで首都圏や近畿、関西地区の高速道路は大渋滞している。これを避けるには、真夜中過ぎに渋滞箇所を通過するしか無い。今から出発すれば、4、5百㌔先の大阪通過は午前1時過ぎになるだろう、きっと渋滞は解消しているに違いない。みのる君の無茶苦茶なドライブ計画が再び始動。陽が西に沈む頃、津和野を後にした。

 今回の大冒険無謀ドライブは、今年がみのる君とカミサンが一緒になってン十年が経過、5で割り切れるめでたい(かどうか分からないけれど)記念の年に当たっている事がそもそもの発端。よく続いたわね。子供等が気を利かせて旅行券なんかプレゼントしてくれるかな。それは多分無理ね、自分のことで精一杯。それじゃ、新婚旅行と同じようにドライブでもしようか。てな会話から話が発展。5の10倍までは生きられないと思うけれど、ここまで何とか無事に来られたのは、多分、お互い我慢強いって事なんだろうな。いや、我慢強いのはみのる君さ。カミサンはいつだって我を通している。

【蛇足】
 今回が祝700回。万歳、万歳。700回も記事を書き続ける偉業に一人で乾杯です。アクセスカウンターも2万を超えました。各位のご来場に感謝、感激です。あえて云えば、沢山の心優しいコメントを頂ければ更に感動するとか思います。

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2008年5月17日 (土)

萩散策

 秋吉台の次は、いよいよ萩へ。カミサンたっての希望を叶えて、萩焼を訪ねよう。今回は「一楽ニ萩三唐津」の二つまでを見学する事になった。結構、思い切っての決行さ。九州は慌しかったけれど、萩は半日ゆっくり出来る。

 萩市手前の道の駅「萩往還公園」で小休止。この日は「萩往還マラニック大会」と云うのが開催されていた。道の駅で呑気に休憩していると、次々とゼッケンを付けた年配者がやって来る。何事かと思って、疲れ切って肩で息をしている人に問えば、マラニック大会中だと云う。いくつものコースに分かれて健脚を競っている由。頑張って下さい。労をねぎらって礼を云う。世の中、いろんな人が色々な事で一生懸命頑張っているんだね。大したものだ。

 午前8時、萩市の松陰神社到着。ここまでで1970㌔。みのる君の事前調査の距離とぴったり一致。見事な計画遂行力。机上の計算と実地距離が同じって、案外、驚異的だと思うね。到着時間は計画と30分の誤差だったけれど、そんなの問題外。正鵠を射る。大したものさ。

 吉田松陰が講義した松下村塾を拝見。昔の建物は小さいね。江戸からはるかに離れたこんな場所から幕末の志士たちが輩出したとはね。昔の人は偉かったと思う。

 その後、市内中央公園の駐車場に車を止めて、城下町を散策。高杉晋作誕生の住まいを見てから、喫茶店に入る。モカを注文。カミサンはブルーマウンテン。やっとコーヒーが飲めるぜ。煙草も吸えるし、しばらく休憩だね。みのる君たちが持っている市内観光案内図を見たマスターが、とっておきのコースを紹介しようと親切を買って出てくれた。案内図に黒のサインペンを使って、いちいちポイントを説明しながら記入してくれたものだから、道路が黒く塗られてしまい、地図が読めなくなってしまった。せっかくの親切心だから困った顔も出来ない。有難く拝聴。

 教わった通りに歩き出すと、いきなり萩焼の看板が目に入る。カミサンの目の色が変わる。ちょっと寄りましょう。唐津で徳利を買ったから、萩ではぐい呑みにしましょう。唐津と萩でお酒を呑む。良いでしょう。カミサンは勝手に決め付けて、1万円もするぐい呑みを買ってしまった。ついでに1000円の萩焼。見た目には1万円と云ってもおかしくない代物かな。掘り出し物を見付けちゃったわ。更に歩くと、指月の萩城跡で大茶会開催中の案内板を発見。お茶を飲みましょう。カミサンは即座に反応しやがる。萩まで来てお茶を飲めるなんて、嬉しい。裏千家で無いのはご不満の様子だったが、贅沢は云わない、お茶が飲めれば良い。みのる君は辞退。萩まで来て堅苦しい茶事には付き合えない。暫時、二人は別行動となる。一人になったみのる君は城跡を巡ってから、往還マラニック大会のゴール地点の賑わいを眺めながら、しばし観光物産店で休憩。

Imga0258  再び一緒になってから、元来た道を戻りつつ、萩明倫館跡や武家屋敷、あちこちの庭にある名物の夏みかんを眺めて歩いた。カミサンが萩焼を買った店の近くまで来ると、目ざとく大茶会の案内板を発見。ここは裏千家よ。何だ、こんな所でやっていたのか。ようし、入るぞ。カミサンはみのる君を置いてさっさと茶席に向かってしまった。

 萩の町を一巡して駐車場に戻ると、駐車待ちの車があふれていた。みのる君たちが車を止めた頃はほんの十数台しか止まっていなかったのに、いつの間にやら満杯状態。やはり、先んずれば人を制す。駐車場前の店で夏みかんを購入。300円で10個以上。安かったし、いい土産になった。

 カミサンは萩名物のウニを食べたいと云ったが、喫茶店のマスターの「今は旬で無い」とのご宣託を頂いているから、さっさと車を出して最後の目的地へ向かった。

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2008年5月16日 (金)

秋吉台見学

 中国自動車道伊佐PAで宇宙ステーションを見た後は、暫時仮眠。間に合えば秋吉台でISSを見たかったけれど、なかなか思うようには事は運ばない。

 5時半過ぎに目覚めてから、一路、秋吉台に向かった。30分程で秋吉台到着。すでに十数台の車が駐車場に止まっていた。朝が早いので秋芳洞は諦め、石灰岩の台地を見学。ここも、一度は訪れてみたかった場所。カルスト台地を目撃するのは初めてだったけれど、特に面白いと云った風景でも無かった。ここでISSを見られたら別の印象だったかも知れない。澄んだ夜空にISSが音も無く移動していく。きっと、感動的だったに違いない。

Imga0211  カルスト台地で迎えてくれたのはウグイスたち。石灰岩の片隅や低木の枝に止まってホケキョ、法華経とあちこちでさえずる。カミサンは嬉しそうにウグイスの鳴き声に誘われて歩き回る。いい運動だね。カミサンはやっとの思いで小枝に止まったウグイスをカメラに収めた。

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2008年5月15日 (木)

国際宇宙ステーション観望

 真夜中に金立サービスエリアを出発、鳥栖ジャンクションから九州自動車道に入り、午前3時前に門司のめかりパーキングエリア到着。折りしも博多では「博多どんたく」真っ盛り。迂闊に近付くと大渋滞に巻き込まれかねない、慎重居士のみのる君は最初から博多周辺通過は深夜と決めていた。深謀遠慮は無用だったかも知れない。道路はきわめてスムーズ。めかりPAで関門橋の明かりを眺めてから九州を離れる。九州滞在40時間、780㌔を走破して呆気無く九州とお別れ。

 中国自動車道王司PAで給油し、伊佐PAで小休止。ちょうど宇宙ステーション(ISS)が見える時分。カミサンと車を降りて、空を眺める。午前3時56分。一際明るい星のような宇宙ステーションが北に向かって動いているのを発見。中国地方でISSを拝めるなんて想像もしていなかった。見られて良かったね。カミサンがねぎらってくれる。目の錯覚かしら、ISSが少し揺らいで見えた。

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2008年5月14日 (水)

唐津焼

 みのる君のカミサンは一応お茶の先生でもあり、お弟子さんに裏千家の作法教えている。準教授の地位にあって教授も近い内と云う立場、偉いかどうか分からないけれど、お茶に関連して焼物に滅法詳しい。独身時代は焼物を求めて、あちこち動き回った経験をお持ちだそうで、夜行電車に揺られて遠征し、時にはその身なりで男と間違われてしまったこともあると云う。夜行列車で移動の際、真夜中、4人掛けのボックス席を一人で占領して眠っていると、検札にやって来た愛想の無い車掌に起こされてしまい、相手が女性と知った車掌が慌ててしまって平身低頭だったと云う武勇伝を誇っている。そのカミサンが唐津には行った事が無い、この際、是非唐津に行きたい、「一楽ニ萩三唐津」と云われる焼物の世界、是が非でも唐津にこだわるものだから、万難を排して唐津へ行く事が義務付けられてしまった。近くに伊万里もあるが、どうすると聞けば、出来れば寄ってみたいが、どっちでも良い、とにかく唐津は外すなと厳命。吉野ヶ里遺跡を見学後は、いよいよカミサン待望の焼物詣でとなった。

 午後5時。観光客相手の店は大方店仕舞いの時間帯に何とか唐津に到着。唐津と云えば中里太郎右衛門かどうか知らないが、その陶房へ駆けつける。やっと辿り着いた時は、すでに店を閉じる準備中だった。カミサンは臆することもなく、遅くにスミマセンと無遠慮に店へ入り込む。店も客を冷たくする訳にもいかず、店仕舞いを中断して、しばしカミサンの物色に付き合ってくれた。天皇皇后両陛下も見学されたと云う陶房は落ち着いた佇まい。陳列してある唐津の焼物の値札を見れば、庶民には無縁の価格、ゼロが二つも三つも多い代物ばかり。おいおい、まさか買うつもりじゃ無いだろうね、みのる君の年収をはるかに上回る値段だぜ、手に取っても決して落っことすなよ、値札に驚いたみのる君はカミサンの耳元で囁く。カミサンは澄ました顔で平然と見て回る。女は度胸だね。

 ようやく手頃な値段の徳利を見付けたらしい。朝鮮唐津の徳利。価格は3万円超。ゴメン、お金が無いの、貸してくれない。カミサンはみのる君の財布を当てにしていたみたい。酒を呑むのに、そんな高価な入れ物は不要と云うみのる君の感性は鼻であしらわれてしまう。唐津まで来て、しかもやっと見付けた朝鮮唐津よ、しかも安い!カミサンは自分の成果を誇らしげに吹聴して、是非、買いたいと駄々をこねやがる。朝鮮唐津で一献、ステキじゃない。店内で議論もみっともないから、仕方なく勘定を持つ羽目になった。後で返せよ。大丈夫よ。カミサンは安請合いの返答で誤魔化しやがる。

 その後、駅前の唐津焼展示即売会を見る。ここでも茶碗を購入。これは皮鯨と云う茶碗よ。口辺が黒くなっているでしょう、唐津焼はこれも有名なのよ。カミサンは気に入った皮鯨を手に入れて嬉しそうにウンチクを語る。

 唐津の東に日本三大松原の一つ、虹の松原と云うクロマツ林が唐津湾沿いに拡がっている。日本の白砂青松100選にも選ばれている由。買い物の後は、ここをしばらくドライブ。松林のトンネルの中を走るなんて、なかなか乙なものだった。日本の道百選にも選ばれているそうだ。

 やっと希望の焼物を手に入れたカミサンはご機嫌そのもの。何処かで食事でもしましょう。かれこれ夜の7時に近い。辺りは暗くなっている。最初から今晩は車中泊の予定だから、カミサンは慌てる素振りも無い。唐津市内を適当に走っていると、手打ちの蕎麦屋の看板が目に入る。蕎麦でも喰おうか。思い付きを口にすると、カミサンも異存無し。とりあえず腹を満たせれば良し、美味しそうな店を探すのも面倒だし、その蕎麦屋で夕食となった。

 夕食後、慌しい唐津探訪を終えて、再び、高速道路へ。長崎自動車道の金立サービスエリアで暫時仮眠。ここまでの走行距離は1800㌔を超えている。朝方高千穂を出発して12時間以上。一日で400㌔超走破。忙しい一日だった。五月の連休中にもかかわらず、渋滞に遭わず走れたことは、やはり最大の成果だっただろうね。

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2008年5月13日 (火)

吉野ヶ里遺跡

 古代史にいささか興味を持つみのる君が、是非、見学したかった吉野ヶ里遺跡。九州ドライブを企画した時は、迂闊にもこの遺跡の事を忘れていた。道路地図を買ってきて、宇佐神宮や高千穂、熊本巡りのコースを検討中は気付かなかった。九州と吉野ヶ里が結び付かなかった所は大雑把な性格のみのる君らしい。何度か目かのコースの確認の時、あれれ、こんな所に吉野ヶ里があるじゃん、高速道路のすぐ近くじゃん、こりゃ、行かねばなるまい、と、ようやく遺跡の存在に気が付いた。

 九州と云えば唐津。カミサンは唐津行きを断固主張していたので、熊本から唐津までのコースを地図上で調べていたが、まさかその途中にいい按配に歴史公園が鎮座しているなんて知らなかった。関東者には、あまりに九州は遠い。土地勘が無くて当然さ。吉野ヶ里遺跡の見学を予定に組み込んだ為、唐津到着が遅れてしまう。カミサンはそれでも良し、と快く了解してくれたので、太宰府天満宮の道真公お参りは取りやめて、漱石旧居見学のあとは吉野ヶ里と決めた。みのる君最後の目的地。

 高千穂で目覚め、阿蘇を経由して熊本に寄り、吉野ヶ里を見学して唐津までの一日コースは、少々無謀と云うか、折角の九州なのに勿体ないと云う気がしないでも無かった。

 午後3時、吉野ヶ里歴史公園の駐車場到着。ここもすんなり車が止められた。反対車線側には駐車場に入る車が数珠つなぎだったが、関東ナンバーは信号の色が変わる瞬間を狙って強引に右折して割り込む。高等技さ。

 この日は入場料がタダだった。特別な日だったかしら。駐車料金も取られず、温かく迎えてくれた。有難い事です。時間的余裕も無かったので、オープンしたばかりの北墳丘墓(下の写真)までは見られなかったが、「南のムラ」を一巡、弥生時代の環濠集落の復元をゆっくりと見て回った。

Imga0201  甕棺や人骨も見たし、暮らしの道具類も拝見。しばし古代に思いを馳せる。魏志倭人伝に出てくる「末盧」が近くの松浦市かと思うと何となく倭人伝が身近に感じられる。

 平野部に広大な「ムラ」を構えた当時の状況とはどんなものだったのだろう。濠を掘って外敵の侵入を抑え、物見やぐらで四囲を監視する体制、頭部の無い人骨、埋葬に使った多くの甕棺、きっと凄まじい戦闘がしばしば繰り広げられていたのだろう。食べ物をめぐる争い。権力闘争。いつの時代も同じ。生きる為には犠牲が伴う。それにしても、頭を切られると云うシチュエーションって何だろうか。戦いで不幸な死に方をしたのだろうか。他人の食物を奪って処刑されたか。いずれにせよ、埋葬された経緯があるから名誉の戦死か、現代人が掘り出した場所は罪人の墓場か。想像が膨らむ。

 書物だけでは分からなかった現地の景色をこの目で見た。邪馬台国も「ムラ」の一つとして勢力を誇っていた時代。吉野ヶ里は平野部、高千穂はとんでもない山の中にあった。平野部に暮らすムラ人と山間部のムラ人では、恐らく思想や生活面に大きな隔たりがあっただろうね。高千穂の森の大木は住居建設に重宝する。吉野ヶ里の住まいや監視塔に使った大木は一体何処から運んだのだろうか。建築資材確保の利便性も「ムラ」の維持に欠かせない。吉野ヶ里がやがて歴史上から消えていく背景には、建築資材調達が困難だった面も考慮出来る。外敵も入りやすい地形と資材調達の不便さ。加えて稲作に適した地面も災いして頭部を失うような争いが頻発していたに違いない。次々と権力者が入れ替わりながら、やがては大和朝廷に制圧されてしまう。吉野ヶ里はこうした歴史を証言する遺跡かも知れない。

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2008年5月12日 (月)

夏目漱石内坪井旧居

 初めての熊本市内を城を目安に走り回って、うまい具合に漱石旧居に近い城の駐車場に車を止められた。昼時でどこの駐車場も駐車待ちの車が列を成していたけれど、タイミングが良かったかな、誘導員の指示に従って、並ぶこともせず、すんなり駐車場に入れた。運がいい。

 熊本城も見学したかったけれど、時間が足りない。城を横目で見ながら(時間があれば是非寄りたかった。今回は城壁の前で記念撮影して終わり)、夏目漱石が熊本時代に住まいしていた5番目の住居を探す。市内の詳しい地図なんか持っていなかったけれど、いい加減な勘が的中、カミサンが通りがかりの人に道を尋ねれば、すぐ近くだった。

 不勉強のイタチゴッコで、熊本は多くの文学者に縁があるとは知らなかった。徳富蘆花、蘇峰兄弟は熊本出身の由、林芙美子は少女時代を過ごし、漱石は青年期を生き、小泉八雲も森鴎外も頼山陽も、猿丸太夫や山頭火や中村汀女も…。そうそうたる御仁が名前を連ねているではないか。

 熊本と云えば、みのる君はお城が立派と漱石しか思い浮かばなかった。事前の知識がたっぷりだったら、多分、もう少し腰をすえていたに違いない。道路地図だけを頼りに漱石旧居を目指したけれど、お城の南側に小泉八雲旧居があると承知していながら、時間的に見学は難しいだろうと初めから漱石に絞っていた。他の面々の名前を耳にしていたら、きっと、熊本一泊も選択肢に入っていただろうと思うが、後の祭りさ。何時やって来るか分からない「次の機会」を楽しみにするしかない。せっかちの後悔はいつも大きい。

 結婚し、長女を儲けた漱石の住まいは客がまばらだった。もはや文学は遺物と化したね。趨勢とは云え、ちょっと淋しい感じもする。すぐ近くの熊本城は駐車も出来ない程の混雑ぶりなのに、近代日本文学の功労者には冷淡な扱い。人間とは何ぞや。文学の本質を考えれば、冷淡も遺物も文学的と云えないことも無い。

 「安々と海鼠(なまこ)のごとき子を産めり」と呑気な亭主の感慨を述べた漱石の住居庭に、長女筆子が産湯を使った井戸が残っている。この前で記念撮影。建物内を一巡、広くて結構な身分だったなと感心。となりに学校があって、生徒たちの歓声が聞こえてくる。成程、苦沙弥先生が往生したのも分かる。小説で鬱憤を晴らしたのだろうなと思う。

 カミサンが「漱石山房」の名前を冠した原稿用紙を買って、みのる君にプレゼントしてくれた。気が利くね。土産物には全く無関心のみのる君だから、折角の漱石旧居でも土産物の物色なんかしなかったが、カミサンからのプレゼントは良い記念になった。

 熊本インター方面は渋滞が予想されるから、お城の駐車場を出て、すぐに左折。まっすぐ北に伸びる交通量が断然少ない道を進んで植木インターから高速道路へ。いざ、北上。

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2008年5月11日 (日)

阿蘇草千里

 阿蘇山も見たい。みのる君が第3の目的地。カミサンは昔、修学旅行で訪ねたと云う。豪気なものだね。

 高千穂から高森町を抜ける。午前の早い時間帯だった所為か交通量は少なく、快適に山岳地帯を走る。待望の草千里ヶ浜に車を向けて小一時間、阿蘇の中腹に辿り着いた。雄大な外輪山。周囲壮観。天晴晴天。気分清々。牛が呑気に草を食べている。遊覧ヘリが客を乗せて爆音を立てている。彼方に乗馬を楽しむハイカラさんたちの群れ。中岳の噴煙も見える。すっきりとした烏帽子岳や幾何学的な米塚。来た甲斐があったね。カミサンはカメラで辺りをパチパチ。後で見たら、ほとんどピンボケ。カミサンの興奮と慌て振りが窺える。

Imga0156  池の窪ふれあい交流館と云う店があって、ここで休息。自宅を出発以来、初めてのコーヒー。この際、味なんて二の次さ。阿蘇でコーヒーを飲む。これで良し。さすがに観光客が多い。下から切れ目無く車がやって来る。みのる君たちは反対方向に向かうから、気楽に一服出来た。

 阿蘇山に向かう車の列は熊本市内近くまで続いていた。逆方向で良かった。早目の行動も大事。先んずれば人を制す。漱石が歩いたかも知れない道を快適に走った。

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2008年5月10日 (土)

天安河原

 前々から高千穂は訪ねたい場所だった。神話の世界を自分の目で確かめたい。高千穂峡も見たい。今回の旅行の最大の目的地が高千穂。実際に訪ねて見れば、別段、他所の観光地と大差はなかった。ちょっとガッカリかな。

 朝6時過ぎにホテルをチェックアウト。まずは念願の天岩戸神社へ向かう。蛇足だけれど、九州の信号って、色が変わるのが遅いね。ホテルの駐車場を出た所で赤信号に引っかかった。朝も早い時間だから、すぐに青になるだろうと思っていたけれど、さにあらず。車なんかほとんど走っていないのに、いい加減長い時間、カップラーメンが出来上がってしまう程の時間、ウルトラマンがそれを食べられないと地団太を踏み出す時間、赤信号のままだった。無視しようかと本気で思ったくらい。他でも悠長な信号に幾つも出合った。せっかちな人間には辛い神話の世界観。

 天岩戸神社では西本宮が例祭当日で、屋台が準備に追われていた。まず、天照御大神を祭る東本宮を参拝。御柱になりそうな樹齢何百年とおぼしき見事な大木が無数天を衝いている。これぞ高千穂の財産だね。

 次に西本宮を見てから、暫時岩戸川に沿って歩くと、やがて天安河原に着く。アマテラスが岩戸に身を隠した際に八百万の神々が対策を協議した場所。辿り着いた時、誂えたように朝日が岩戸川を照らしており、何となく神々しい。

Imga0142  東本宮にはウズメ(天鈿女命)の像も飾ってあり、近付くと神楽を舞うようになっている。神々が岩戸に籠もったアマテラスを連れ出す算段をして、ウズメが一役買った次第だが、胸をあらわにして踊るウズメを見て神々が笑うと云う古事記の一節を読むと、神楽と云うより、もう少し俗っぽい踊りのような気がしてならない。

 ちなみに岩波文庫版古事記の一節は、「(ウズメは)神懸りして、胸乳をかき出で裳緒(もひも)を陰(ほと)に押し垂れき。ここに高天の原動(よよ)みて、八百萬の神共に咲(わら)ひき」とある。どう解釈しても神楽のイメージじゃない。「乳」や「陰」が出てくると、場末の何とか小屋を連想してしまう。もっとも、古事記は最初からおおらかに男女の営みを語っている(私には余分な部分がある、貴女には足りない部分がある、だから合せましょうと云うアッケラカンとしたイントロダクション等々)から、現代風に解釈してはいけないのかも知れない。

 その後、高千穂峡を見た。午前8時にもかかわらず、すでに大勢の観光客で賑わっていたが、幸運にも何とか駐車出来た。高千穂峡の実際は写真で見る雰囲気と違って、意外に小振り。岩戸川でも同じような峡谷美が見られた。写真程でないね。カミサンも少し落胆した様子だった。

 国見ヶ丘を回ってみようかと思ったが、時間に余裕がなくて断念。諦めが早いと後で後悔するけれど、この際やむを得ない。道の駅で土産物を物色。折角宮崎まで来たから、県知事の似顔絵が入った土産物が最適かなと思ったが、流行に乗るのも癪だから、高千穂の名前を冠した土産に落ち着いた。職場の連中の呆れる顔が想像出来る。何と無茶なドライブ。それとも尊敬の眼差しかな。

 カミサンは神楽の面をかたちどった落雁を購入。さすがに目ざとい。茶菓子には目の色が変わる。

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2008年5月 9日 (金)

ととろのバス停

 臼杵から高千穂に抜ける途中に「ととろのバス停」と云う実際に運用されているバス停がある。ここも今回の旅の目的地の一つ。大分県佐伯市宇目南田原の轟(ととろ)地区。コース検討中に見付けた観光スポット。

 最初は乗り気でなかったカミサンも、バス停に到着するや喜色満面。あら、ステキじゃない。子供達への土産話になるね。近くにトトロの森なんてのがあって、トトロ人形が沢山置いてあったり、猫バスもある。みのる君らが到着すると、先客の若いカップルが写真を撮っていた。猫バスの窓からカミサンが顔を出して手を振ってみせたが、さすがに公開は憚られる。トトロも目を回す。

Imga0117  すでに夕方の5時を回っている。バス停の次は、いよいよ高千穂を目指す。日之影宇目線と云う狭く曲がりくねった道をひた走る。対向車とすれ違えない道が延々と続く。途中、何度かすれ違いに往生。地元民しか通らないような道を関東ナンバーが横柄な走り方をするから、きっとヒンシュクを買っただろうな。

 行けども行けども、隘路が続く。無事に辿り着けるか少々不安になる。出発一週間前に高千穂のホテルを予約(ゴーデンウィーク中の観光地のホテルを予約出来た事もドライブ決行の一因)しておいたので、念のために「遅れるかも知れない」と一報を入れ、万一に備えた。険しい山中で迷子になったり、がけ下に転落したら一大事。ホテルのキャンセル料を取られるのも悔しい。一報しておけば、全て安心。

 山中で夕陽を浴びた重なり合う九州の山々を一瞥。一幅の水墨画を見るような山々の連なり。神話の古里と云った風情にも見える。勿論、思い過ごしさ。

 いきなり道路を横切る小さいカモシカに出会った。カミサンはカモシカを見て大はしゃぎだった。高千穂近辺は未だ野生が闊歩しているね。

 午後7時過ぎ、何とか無事にホテル到着。素泊まり二人で8千円のビジネスホテル。メーターは1370㌔を超えている(計画と7㌔の差異。わずか0.5%の誤差。この辺はみのる君の綿密さの表れ。ところが、肝心の見学場所の下調べはほとんど無し。だから、いつも後悔してしまう。これも性分だね)。ここまで全く渋滞は無し。神々が味方したかと云う見方もあるかな。

 夕食時のビールが美味かった。そして40時間振りの睡眠。横になった途端、朝を迎えてしまった。

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2008年5月 8日 (木)

臼杵の磨崖仏訪問

 講談社の「週刊日本の仏像」を購読している。先月発行のNo.44が「臼杵磨崖仏と国東半島」を取り上げており、迂闊にも臼杵に国宝級があるとは知らず、カミサンに話すと、有名よ、知らなかったのなんて冷ややかな反応、加えて、ちょうど良いタイミングじゃない、宇佐神宮の後は臼杵に回って見学しましょうよ、なんて水を向ける。それまで九州ドライブを企画しながらも、余りの遠さに躊躇していたけれど、そうだね、ついでに行ってみるか。講談社に触発され、カミサンの誘いに応じて、とうとう九州ドライブを決意。その代わり、国東半島一周を断念し、カミサンが懇請していた湯布院一泊も無し。国東半島を回って湯布院に泊まってしまえば、その後の計画が成り立たない。先週のNHK「家族で乾杯」でも臼杵が登場。見れば、道路を走る車が少ないじゃん。何となくホッとする。渋滞には縁が無さそう…。これが九州行き最後の引金。

 ホキ石仏第二群、第一群、山王石仏、古園石仏をゆっくりと見て回った。平安時代後期から鎌倉時代にかけて刻まれ続けられた由。阿蘇の噴火によって出来た凝灰岩が彫り出しに適したようで、大分県に集中する磨崖仏造営の一因の由。古園石仏の修復された大日如来も拝見。確かに、磨崖仏は一見の価値がある。

 こうした文化を後世に残すことも現代人の役割だろうな。国宝や名所旧跡に落書きする不届き者が多い由。後世の人々はモラル無き時代として現代を位置付けているかも知れない。

 午後3時過ぎの到着だった所為かな、やはり、観光客は少なかった。階段脇に「ヘビに注意」の看板があって、たじろいでしまった。

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2008年5月 7日 (水)

宇佐神宮訪問

 五月の連休を利用したドライブ旅行は、半ば定番のようになって久しい。まず、漠然と目的地を考える。何処そこへ行って見たい。みのる君が何気なく希望を口にすると、カミサンは即座に賛意を示す。是非、行こう。実現可能性の可否なんかは検討しない。何とかなるよ。カミサンお得意の他力本願に押し切られて、今回は思い切って九州を目指した。前々から九州が二人の話題に上っていた事もあり、一昨年の出雲ドライブの実績もあって、みのる君も案外気楽に行動を開始した。折りしも暫定税率復活の日。影響をモロに受けてしまったが、政府と同じで決めた事は押し通す性分、中止なんて以ての外。

 前夜9時半過ぎに関東地方の片田舎を出発、高速道路を西下、11時半に壇ノ浦パーキングエリア到着。関門海峡の向こうに九州を見る。なかなか良いものだね。一晩走り続けた千㌔の行程。はるばる来たと云う感慨もあって、カミサンもしばし海峡に見とれる。九州を直に目撃するって、意外に感動的だ。

 井沢元彦が「逆説の日本史」の中で宇佐神宮の重要性に触れているが、読後、一度は訪ねてみたい場所のひとつになっていた。今回の九州旅行の目的の第一は宇佐神宮と高千穂。古代日本史に登場する場所で、いい加減ながら一家言を持つみのる君にとって、是非、見ておかねばならぬ場所。仕事をリタイアしてからゆっくり巡ろうと思っていたけれど、少々の無茶で訪問可能。先年の出雲ドライブで自信を付けていたから、ほぼ計画通りに事が運んだ。

 カミサンがモタモタしていたお陰で出発時間が遅れ、到着時間にズレが生じたものの、距離は事前調査とわずか13㌔の違い。千㌔以上移動して13㌔のズレは誤差の範囲内さ。ちなみに、ここまで一切渋滞に遭わず。移動は深夜に限る。

 応神天皇、神功皇后、比売神の三柱を祭っている宇佐神宮は全国四万有余の八幡宮の総本山。ゴールデンウィークの最中でもあり、さぞ賑わっているだろうと想像していたけれど、意外に観光客の姿は少なかった。むしろ疎ら。拍子抜けだった。日本創世記の記念碑とも云える場所なのに、商売っ気が無いのか、超然を旨としているのか、はるばる訪ねた客に素っ気ない。客も然る者で、足早に一巡してお仕舞い。宇佐の空気に触れただけで十分。国東半島も一回りしたかったが、諸般の事情があって断念。次の機会を待とう。

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2008年4月11日 (金)

神代桜

 2002年3月、カミサンが用事に付き合って、桜の季節には少し早かったが、ついでに足を伸ばして日本三大桜の一つ、山梨県の実相寺の神代桜を見ようと云う計画を立て、着物姿のカミサンと出掛けた。

 日本武尊が東夷征定の折にこの地に留まり、記念に桜を植えたと云う由来。根回り13㍍を超える古木。季節外れながら、結構の観光客であふれていた。満開の頃は大渋滞だろうね。横に伸びた枝っぷりが見事。年季が入れば名木。やがては我が家の桜も近在で評判を呼ぶかも知れない。みのる君は云いたい放題を並べて巨木を鑑賞した。花吹雪ならぬ風花が舞って来たので、帰路が心配。峠で雪になったらエライこっちゃ。早々に引き上げてしまった。

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2008年2月29日 (金)

夜中の列車運休

 東海ニ君と夜行列車で長野から名古屋に抜ける時、台風の影響で急行が途中で運休となったことがある。深夜、松本駅で乗客は全員降ろされてしまった。急行券を買わず、あわよくば名古屋までしらばっくれようと算段していたみのる君は改札を抜ける際に駅員に指摘され、急行代金を取られてしまった。運休になっても松本までの費用は払わなければいけない。仕方ないね。ちょっと悔しかったけれど、理屈は正しいし、不正はいけない。

 さて、電車は動かない。駅の構内は放り出された乗客達で溢れている。片隅に陣取った海ニ君とみのる君は、予定外の事態にもめげず、この際、真夜中の松本城でも見に行こうなんて計画を立てて、雨の降る中、真暗の松本城を目指した。街中は誰も歩いていなかった。

 真夜中の城って、やはり不気味だった。妙に威圧感があった。随分昔のことなので、細かい事は忘れてしまったが、とにかく不気味と云う印象だけは強く心に残った。城自体は他を圧倒しなければ役に立たないのだろうな。

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2008年2月28日 (木)

夜行列車の旅

 学生時代、初めて夏の北海道へ旅行した際は急行「八甲田」でたっぷり時間をかけての列車の旅だった。

 宇都宮駅から自由席に乗り込んで、明け方まで退屈な列車の一人旅を満喫し、夜汽車の哀感を味わった。外は真暗。何もすることがないから、ただただ寝て過ごしてしまった。北へ行く程に混雑が解消され、四人掛けのボックス席で足を投げ出して呑気に寝ていた。きっと胡散臭い若造に見えたのだろうね。青森から青函連絡船に乗り、東京の私大に通う学生と時間潰しの会話を楽しんで函館に着いたけれど、それ以外、ほとんど無口状態。長い行程を車掌や弁当売りとの短い会話以外は話す機会もなかった。それでも、一向に気にならず、無邪気に列車の旅や船旅を楽しんでいた。函館から急行に乗って、倶知安に着いたのは午後。出発してから約一日。倶知安の駅で知己が迎えてくれたが、開口一番、エライ遠い所だね、ここは。みのる君の無粋な感想に、知己はニコニコ笑っていた。

 知己の実家に暫時逗留して、稚内まで夜行列車で遊びに行ったり、洞爺湖でアルバイトしたり、知己の厚意に甘えてゆっくりと北海道の晩夏を楽しんだ。本州へ戻る時は一緒に「八甲田」に乗った。この時は彼が話相手になってくれたから、長距離の移動も大して苦にもならなかった。

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2008年2月16日 (土)

明日香巡り

 カミサンと高松塚古墳や吉野の里を訪ねたことがある。西名阪道の香芝サービスエリアで夜を明かしてから藤井寺インターを降り、応神天皇陵の脇を抜け、太子町を通り当麻町を越えて、吉野山の勝手神社に到着したのは、午前7時半。サービスエリアから2時間足らずの行程。道中に西行が墓があった由、後で知ってカミサンは地団太を踏んでいた。

 神社向かいの店で、桜の季節を過ぎた山を見ながら朝粥定食を頂く。座敷から景色を眺めるには酒が欲しい所だけれど、呑んだら何処へも行けなくなってしまう。木立からウグイスが歓迎の意を表してくれた。

 勝手神社の境内は、義経と別れた静御前が捕らえられ、請われて舞を舞った場所だと云う。朝が早いから観光客もいない。しばらく散策。折口信夫の歌碑(吉野山さくらさく日にもうで来てかなしむ心人しらめやも)もある。みのる君が訪れた半年後、不審火によって本殿が焼失の由。残念だね。そう云えば、先だってのTV「水戸黄門」で勝手神社が舞台になっていたね。

 その後吉野神宮を拝観してから、明日香村へ向かう。

 国営の歴史公園館駐車場に車を預けてから、村内をゆっくり散策。まずは、高松塚古墳の壁画館へ。思ったより小さな壁画を堪能してから、丘陵地帯をのんびりと歩いた。貸自転車で走り回る観光客も多かったけれど、みのる君たちは自らの足を頼りに、文武天皇稜や天武・持統天皇陵などを訪ねた。鬼の雪隠や鬼のまな板なんて古墳の名残りも拝見。修学旅行で行った石舞台はすっかり観光名所になっており、その変貌ぶりに驚いてしまった。ただの巨大な石っころでも宣伝如何で金になってしまう。隔世の感に浸り、のどかな明日香を満喫した一日だった。

 

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2008年2月10日 (日)

杜の都仙台

 昔、家族で仙台を訪ねたことがある。青葉城址では石垣の改修工事中の頃だから、大分、以前のことだ。小雨の降る暑い時分。

 真夜中に出発して、あちこち見て回ってから仙台に到着したので、運転に専念して来たみのる君はすっかり草臥れていた。青葉城址に到着して、二代目伊達政宗騎馬像の前で記念撮影してから辺りを散策。仙台市街を一望出来て眺めが良い。遠くに高層ビルも見える。午後の遅い時間ながら観光客で賑わっていた。

 ずっと昔、剣道の猛者とこの地を訪れ、大学を下見したこともあった。その頃は足を頼りに歩き回ったが、長ずれば車と云う手段を気軽に利用出来るから便利なものだ。市内を一回りしてから、ホテルに到着。ホテル前には大きな七夕飾りがあって、子供達は大喜びだった。それに、ホテル泊まりも滅多にない経験だから、疲れを忘れてしまった様子。荷物を置いてから表に出た。折角仙台まで来たのだから、地元の名物、美味しい物でも食べましょう。カミサンの発想はいつもの通り。運転手の苦労など一顧だにしない。しばし、七夕飾りが垂れ下がったアーケード街を美味しい物を求めて歩いたが、子供連れでは気の利いた店には入りづらい。子供の口に合った物でよかろう。昼間の疲れが足に出てきたみのる君がぐずるものだから、結局、ファミレスで夕食。仙台まで来てファミレスなんて。カミサンはぶつぶつ文句を云う。仙台駄菓子を土産に買えば宜しい。みのる君は冷淡に云い放つ。ここの駄菓子は名物だぜ。確か、出張で仙台に来た時、土産に買った覚えがある。お菓子と食事は別でしょう。

 全国展開のファミレスで夕食後、みのる君と息子はホテルに戻り、カミサンと娘は更にあちこち探索。元気が良い。翌朝、みのる君が訪ねた大学を見てから、東照宮に立ち寄った。朝の早い時間で人影もまばらな参道を散策。鬱蒼とした杉木立の向こうに市街が見えた。

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2008年1月11日 (金)

多々良沼

 過日、帰省中の息子を誘ってカミサンと群馬県館林市にある多々良沼を訪ねた。ハクチョウが越冬地として知られている。以前にも家族で一度訪問していたが、すっかり記憶が薄れている。着いてみれば、全く昔の印象とは違っていた。わずか数年ですっかり変わってしまったみたい。沼はきれいに整備されていた。ハクチョウが優雅に佇んでいた。

 ハクチョウをカメラに収めようとする写真愛好家とおぼしき人達ばかりが目立つ。朝夕の光を取り込んだ方が鮮やかな写真になろうかと思うけれど、愛好家達は光の具合は気にしていないのだろう。午後の単調な日差しを浴びてのんびりとハクチョウを観察しているばかりだった。親子連れは数える程度しかいなかった。ちょっと淋しい感じ。

 はるか彼方に雪を頂いた男体山がかすかに見える。その横に白くなった日光白根山も見える。見事な晴天。カメラを持ってくれば良かったと後悔。携帯でハクチョウを撮ってみたけれど、まるで絵にならなかった。

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2007年12月15日 (土)

福岡中洲のラーメン

 大昔、出張で福岡へ行った折、その時は午後の飛行機便で福岡へ到着。夜までたっぷり仕事に追われてしまい、初めての九州を楽しむ時間的余裕がなかった。翌日は地元に用事があって、朝の早い飛行機で帰らねばならない。やっと仕事が片付いた頃、ちょうど小腹も空いていたので、ホテルを抜け出て近くでラーメンを喰った。翌日を控えた身なので、恨めしくネオン街を眺めつつ、早々にラーメンを食べてホテルに戻って寝てしまった。

 それ以後、福岡へ行っていない。往復飛行機、それ以外はホテルに缶詰。わずかに中州でラーメンを喰ったと云う思い出だけが残っている。あまり慌しい出張も体に良くないね。消化不良と云った感じが残っている。中州にいながら、夜の街に繰り出せないと云うのは残念な話さ。

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2007年12月14日 (金)

角館散策

 白神山地を後にして、日本一深い田沢湖に立ち寄った。湖畔にプリンスホテル(当時)があって、コーヒーが飲めるぞ。みのる君はコーヒーに目がない。とにかくコーヒーであれば何でも良い。強いて云えばモカで十分。砂糖なんか使わない。ミルクも入れない。ブラック一筋。眠気覚ましにもならないけれど、抹茶より落ち着くってものさ。暫時カミサンと田沢湖を眺めつつ、休息の一時を過ごした。湖畔に黄金色の辰子像があって見物客を集めていたけれど、関心がないから素通り。夕刻、角館に到着。ビジネスホテルに一泊して、翌日は角館を散策した。

 桜が有名な角館だけれど、あいにく満開の時期はとうに過ぎていた。陸奥の小京都と云われる由だけれど、それって、値段が高いってことかな。洒落た店も多くあるけれど、どうにも二の足を踏んでしまう。ホテルにチェックインした後、カミサンと近くを歩いたけれど、料亭が目に付く。カミサンは是非寄りたいと駄々をこねる始末。こんな遠くまで来て、わざわざ高い料亭に行くこたぁない。その辺の食堂の方がよっぽど地元の空気を味わえる。しばらく道端で険悪な意見交換となったが、みのる君の主張が通って、「まん馬や」と云う地酒を呑ませる店で夕食となった。カミサンは地酒ですっかり酔っ払いやがった。

 翌日は武家屋敷を歩き回るつもりだったが、ホテルの朝食で飲み放題の牛乳を三杯も飲んだみのる君は、平福美術館でトイレに入り浸る災難となってしまい、武家屋敷どころではなかった。9百㌔も一人で運転してきた上に、好物の牛乳に目が眩めば、腹も調子を乱すってものさ。あいにくの小雨模様だったので、青柳家と云う武家屋敷を一つ見物しただけ。その後、カミサンは樺細工の土産物を物色。お互い、武家屋敷はどうでも良かったみたい。

 新潮社の創立者がここの出身とかで新潮社記念館と云う建物があって、入口は新潮文庫の表紙を形取っている。面白い発想だね。一応、カミサンと記念撮影。昼過ぎに角館を離れ、夜9時前に帰宅。約15百㌔のドライブだった。

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2007年12月13日 (木)

白神山地十二湖

 十二湖と云う名前に惹かれて、世界遺産の白神山地までカミサンと深夜に車を飛ばして出掛けたことがある。およそ12時間のドライブ、自宅から7百㌔近くも離れている。電車ならいざ知らず、車では滅多に行こうとは思わない所だ。が、近付くにつれ車の量が減っていくから、実に気持ち良く快適に走れるのが、救いだね。

 「ポンポコ山」なんて道の駅で小休止して、十二湖ビジターセンターに到着したのは朝の8時少し過ぎた頃。案内図を頂き、ビデオで湖の概要を学んでから、森林浴に出発。駐車場に車を預けて、ブナの原生林を歩く。夜通し長時間の運転で疲れもあるけれど、意外にタフでね、カミサンと軽口をたたきながら、たっぷりと歩いた。青池と云う文字通り青い幻想的な池に感心したり、鶏頭場の池とか小夜の池、日暮の池等、道すがらに小さな池を見ながら、トリカブトの群生も見ながらアップダウンのあるブナ林の道を丹念に歩き回った。ちょうど腹が減った頃にお誂えのレストランもあって、至れり尽くせりだね。しかも、「十二湖庵」などと云う抹茶を振舞う店まであって、目ざとく見付けたカミサンは目を輝かせて、こんな所でお茶が飲めるなんて、嬉しい、一緒に飲みましょうよ。みのる君は遠慮しておく。型にはまったモノは苦手さ。

 少し離れた場所に「日本キャニオン」と云う絶壁があって、グランドキャニオンを彷彿とさせる由。せっかくだから見学しよう。しかし、土産話に一見の価値はあるけれど、一見で十分と云う感じだった。

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2007年12月12日 (水)

桂浜と道後温泉

 四国高知の桂浜を訪ねたことがある。坂本龍馬の銅像が太平洋を睨んでいたが、土佐闘犬を見物した所為か、特段面白いと云う場所でもなかった。どうも血を見るような競技は苦手で、ましてや人間様の都合で犬をけしかける闘犬なんぞはまるで興味がない。お付き合いの挙句だから、桂浜の印象も醒めたものになってしまったのかも知れない。高浜慮子の句碑や大町桂月の記念碑も訪ねる気力が失せてしまって、潮風に当たっていただけだった。高知市内の「はりまや橋」も、あまりの小振りさに驚いてしまって、益々印象が薄くなってしまったのだろうな。「名物に美味いものなし」は景色にも通ずるね。

 ついでに松山を回って道後温泉に行ったが、「坊っちゃん」一色に興ざめしながらも、明治の雰囲気を味わうことが出来た。その晩に繰り出して酔っ払い、肝心の温泉に入り損ねてしまったのは悔しい思い出。

 金刀比羅さんにも足を運んだが、延々と歩かされて、相変わらずの二日酔にはきつい行程だった。途中で杖にすがってしまって、情け無い話さ。もう少し客の都合も考慮して欲しいとぼやきながらの難行苦行。エライ目にあったと云う印象。酔っ払いにも快適さを提供出来るよう、観光地の再開発を期待したいね。

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2007年12月 9日 (日)

信夫山と安達太良山

 福島市街に信夫山と云う小さな山がある。友人が福島の学校へ行ったので、夏の盛り、彼を訪ねて福島まで出掛けていったことがある。ついでに、百人一首にある「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆえに乱れそめにしわれならなくに」(河原左大臣)で有名な文字摺石を見たいと思っていた。

 友人の下宿に逗留して、信夫山を登ったり、少し足を伸ばして安達太良方面に行ったり、夜は酒盛り、昼はあちこち物見遊山のお気楽な旅行だったが、結局、文字摺石のことはすっかり忘れてしまっていた。鍛錬不足のみのる君だから、たかだか標高275㍍の信夫山登山でもあごを出す始末で、それどころではなかった。

 剣道で鍛え上げた体力を自負する友人が鬼面山から安達太良山を踏破しようなんて無茶な計画を立てやがってね。彼の部屋にご厄介になっているから反論も失礼だし、みのる君は彼の案内でしぶしぶバスに乗って、土湯温泉まで行ったものだ。そもそも山登りが目的じゃないからきわめて軽装のみのる君は、眼前にそびえる鬼面山を仰ぎ見て、山頂までのきつい道程を想像してすっかり尻込み状態さ。いざ行かんと歩き始めたものの、わずかの距離で万歳。本格登山に軽装は無謀と云わざるを得ない。登山を愚弄するようなものだ。だから登山を諦め、温泉街を冷やかして帰ろう。みのる君はすっかり戦意喪失気味。友人もみのる君の体力を承知しているから、それ以上のお誘いを諦め、二人して鬼の面に尻を向けて帰ってしまった。

 東北線の鈍行でのんびりと関東に戻ったが、芭蕉も立ち寄ったと云う文字摺石のことを思い出したのは、帰宅後だった。最初に訪ねるべきだったと悔やんだが、後の祭りだった。やはり、ずっと昔の話さ。

 一昨日、松本清張原作のTVドラマを見ていたら、突然、懐かしの信夫山が出てきた。きれいに整備されている。みのる君が訪ねた頃の印象とはまるで違っていた。まさに隔世の感だった。

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2007年12月 8日 (土)

指宿の砂風呂

 九州宮崎の飛行場に降り立ってから、日南海岸経由で桜島を見て、鹿児島で一泊。天文館で景気付けした翌日は知覧の武家屋敷を見物し、かつ太平洋戦争時代の展示品を厳かに拝見し、かつ開聞岳のすっきりした姿に感激し、ついに長崎鼻まで行ってから、指宿温泉に一泊したことがある。勿論砂風呂が目的。温泉には大した興味はないけれど、後学の為に砂風呂の経験も良し。せっかく九州最南端まで来たからには、当然砂風呂よ、なんて気負って挑戦。確かに温かくて気持ち良かったけれど、汗だくに砂がへばり付くから何となく落ち着かなかった。温泉宿で散々呑めたから、疲れは取れたみたい。

 高千穂近くまで行っていながら、その時分は古代史に関心がなかった為、素通りだった。今にして思えば悔しい。その時買った薩摩焼の茶碗は、今でもカミサンの茶事で活躍している。

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2007年12月 7日 (金)

恐山と大間崎

 夜行列車に揺られて青森の友人を訪ねたことがある。青森駅前からバスでむつ市まで行ったが、途中、ほと んど信号がなくてノンストップと変わらない快適なバスの旅を味わい、さすが最北だなと感心したものだ。

 むつ市に住む友人の家に泊めて貰って、久し振りの再会を祝して乾杯。翌日、彼の車で恐山を案内して貰った。恐山は全山硫黄の臭いが充満しており、独特の雰囲気が漂っていた。成程、恐山信仰は話に聞いていたけれど、こいつは強烈だね、初めての観光客には岩だらけの荒涼とした景色と硫黄で圧倒されてしまう。賽の河原や三途の川があって、霊界の入口と云った風情(霊界ってどんな所か知らないけれど)。しばらく、霊場の空気を味わってから(むしろ早々に退去かな)、本州最北端の岬、大間崎へ向かった。

 狭い海岸線の道をくねくねと走って大間崎に到着。本州最北端に立ったぞ。北海道がよく見えるぞ。感想はそんな所だったな。何もない。鄙びた景色だった。前夜の呑み過ぎがたたって調子が出なかったし…。

 はるか昔の思い出。今はすっかり様子が変わっているだろうね。あれ以来下北には足を運んでいない。友人ともご無沙汰の極。無事息災だろうな。いつだったか、電話で話す機会があったけれど、東京時代の標準語が消えて、すっかり地元弁となっていたね。

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2007年11月 5日 (月)

再び覚満淵を訪ねる

 カミサンの茶会が終わった翌日、彼女の労をねぎらって赤城山へ行って来た。何処かへ行こうかと誘った所、赤城山の覚満淵へ行って見たいとのこと。

 すっかり紅葉は終わっていたが、結構、観光客も多かった。時期によって客足が伸びる場所だね。前回は青々としていた湿原は色を落として冬の装いだった。

Imga0359

 沼を一周して、入口付近にある「風の庵」と云う食堂で新そばを食した。もうストーブを使っていた。店の主人は焼物をやっている由。陶器材料と書かれたダンボール箱が隅っこに置かれてあったが、松江市青葉台とかの住所。えらく遠くから材料を仕入れているもんだ。昨年、松江を訪問したこともあって、つい、目がいってしまった。

 例のごとく、みのる君は生ビールを飲みながら十割そばを堪能。帰路はカミサンの運転。紅葉にちなんだ唱歌を口ずさみながらの運転ながら、カーブも無難にこなして無事に帰宅。どう、私の運転も満更ではないでしょう。カミサンは得意がっていた。

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2007年10月12日 (金)

田子倉湖経由で帰宅

 会津若松からの帰路は新潟方面へ抜けた。9年前、みのる君が家族で、仙台、蔵王、米沢旅行の帰りに会津坂下から新潟の小出に抜ける山道を走ったが、今回もほぼ同様のコースを選んだ。道路は空いていたし、田子倉湖の景色も良かった記憶もあり、元来た道を戻るのも芸がない、東北道から会津経由で関越道に抜けるぐるり一周のドライブの方が面白いと云う理由。会津若松市内で給油後は、田子倉湖めがけてまっしぐらに走った。案の定、道路はガラガラ。関東地方とは大違いの快適さ。夕暮に映えるススキの群生なんかを横目で見ながら、気持ち良く走る。やがて、陽が山にすっかり沈んだ頃、田子倉湖の駐車場へ到着。辺りは薄暗い。人気もない。景色を楽しむ時間じゃない。早々に退散。

 田子倉湖から一気に山を下って、小出に到着。コンビニで飲み物を買って、後は関越道で南下。ぐるり意一周東北の旅は一日で終わった。走行600㌔弱。みのる君一人の運転だから、少々疲れた。

 翌朝、念のために9年前のドライブ記録を調べて見ると、会津坂下で給油した時間と、今回会津若松で給油した時間、選んだ国道が違うにもかかわらず田子倉湖に到着した時間、更に小出に着いた時間、更に更に帰宅時間が今回とほとんど同じだった。9年前とほぼ同時刻に同じ場所にいたと云うことだ。9年前は真夏だったので、田子倉湖は未だ明るかった。しかし、偶然とは云え、同時刻に同じ場所を通過していたなんてね、不思議と云えば不思議。道路事情が変わっていないと云うべきか、みのる君の運転技術が確かなものだと自慢すべきか。妙な気分だった。カミサンは、あら、まぁ面白い。と云う感想。

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2007年10月11日 (木)

鶴ヶ城

 カミサンの茶会が終わった後、茶室「麟閣」を見学。中では茶席を催しており、あら、こっちに顔を出せば良かったわ、なんてカミサンが二杯目も飲みたそうな口ぶり。好奇心の強いカミサンだ。

 それから、二人して鶴ヶ城の天守閣に上った。各階にいろいろな展示物があって、城の歴史が分かるように工夫されているけれど、とにかく人が多い。落ち着いて見る間がない。押されるようにてっぺんまで上ってしまう。会津若松市街や周辺の山々がよく見える。絶景かな。

Imga0270  復元された城なので、感動は薄かった。

 そう云えば、我々は結構お城を訪ねているね。何気なくカミサンに話しかけたら、私の故郷のお城には行っていないじゃない。どうして、故郷のお城に行ってくれないの。と、いきなりふくれた顔になる。あれ、お城があったっけ。フン。カミサンはそっぽを向いてしまった。

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2007年10月10日 (水)

第18回麟閣移築記念茶会

 せっかく大内宿まで来たから、ついでに会津若松へ回って鶴ヶ城も見よう。ついで、ついでなんて云ってるとキリがない。さっさと帰ろう、道中は長い。みのる君は無計画が嫌いな性分だから、その場の思い付きで行動したくないが、今回だって、多分、きっと、恐らくカミサンは会津へ行きたがるだろうと予想していた。だから、ひそかに会津若松も計画に盛り込んでいた。改めて足を運ぶのも面倒だしね。だから一度はカミサンの提案を拒否したものの、相変わらずのカミサンの無計画的計画を容認、会津若松へと向かうことにした。

 大内宿から小一時間程度で会津若松へ到着。鶴ヶ城の駐車場に車を預けて城に向かう。本丸跡に着くと、何と大茶会(第18回麟閣移築記念茶会)の最中。カミサンの目の色が変わって、せっかくの機会だからお茶を呑みましょうと云い出して、得意の無計画が飛び出す。勿論、みのる君は遠慮する。一人でどうぞ。それじゃあ、お城と茶室「麟閣」の入場券を買っておいてね。カミサンはそう云ってさっさと自分が所属する裏千家のお茶席に入ってしまった。暫時、みのる君は手持ち無沙汰のまま待機さ。テント張りの茶席の裏方を見れば、着物姿の女性達が忙しそうに動き回っている。となりの麟閣でも茶席があって、数人のバイク族の革ジャン姿の男女が出て来て、参った、参ったを連発。よっぽど堅苦しかったらしい。興味本位でお茶なんか呑まん方が宜しい。みのる君を見習え。格式って息が詰まるぜ。始めから無理しない方が良い。

 下は天守閣から眺めた茶会の風景。記念に一枚撮って頂戴と云うカミサンの要望。右上のテントが裏千家。剛毅なもんだね。Imga0300

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2007年10月 9日 (火)

大内宿を散策

 連休の一日、カミサンと福島県南会津にある宿場町で、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている「大内宿」を訪ねた。この村を紹介したTV番組を見て、思い立った次第。相当ミーハーだね。

 朝早くに自宅を出発、東北自動車道を北上して、矢吹ICから一般道路へ。車 の少ない道路を快適に走って下郷町へ到着するはずだったけれど、うっかりナビを過信したのがいけなかった。途中からとんでもない山道に入り込んでしまう。車一台がやっと通れる程度の曲がりくねった県道58号線。羽鳥湖と云う湖の脇に出るようになっているので近道と思っていたけれど、地図と現実は大違い。後で地図を見たら、×印が付いていやがった…。片側は深い谷となっており、これで対向車に出喰わしたらエライことだね。相当バックしないと車寄せの場所もない。幸い、広い道に出るまでの小半時一台の車にも出会わなかった。

 やっとの思いで大内宿に到着すると、すでに駐車場は満杯。大型観光バスが何台も止まっているし、駐車待ちの車が道路に溢れている。結構ミーハーが多いね。少し離れた所の道端に若干のスペースがあったので、ここへ強引に車を止めてしまう。山の中で駐車禁止区域ではないし、近くの駐車場の係も大目にみているようだから、まず、安心だろう。勝手に思い込むことにして、早速、村内へ向かう。

Imga0239  まぁ、にぎやかなこと。みのる君夫婦と同じ物見遊山が一杯だよ。人ごみが苦手のみのる君はすでにウンザリ顔。カミサンは元気一杯。まずは、コーヒーでも飲もう。村の入口付近の店に入って、おいしいコーヒーを頼む。女性店員の応対がさわやかで、みのる君は途端に元気を取り戻す。なかなか良い所だね。感想も変わってしまう。しばし、コーヒーを味わってから、頂いた村内地図を片手にあちこちを見て回る。と云っても、土産物店ばかり。カミサンはいちいち店を覗いては財布と相談している。

 高台に上れば村内を一望出来る。

Imga0257  老若男女がウロウロしている大内宿。晴天に恵まれて幸いだった。

 昼は「石原屋」でそば食す。レジの若い女性に会津若松への道のりを訪ねた際、羽鳥湖の脇を走って来たと話すと、よくあんな所を通って来られましたね、地元の私なんかでも怖くて走れない所ですよ、なんて呆れられてしまった。この先は安心して走れますと太鼓判を押してくれたので、ホッとする。地図は当てにならんからね。

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2007年8月15日 (水)

風林火山の旅3

 信玄の軍師、NHKの「風林火山」の主人公、山本勘助が墓も見に行こう。強引なカミサンの意見を承諾。しぶしぶ甲府を離れ、北杜市高根町へ向かう。途中は国道をほとんど利用せず、県道を走ったおかげで渋滞なし。

 NHKの大河ドラマの主人公の墓だから、きっと観光客も多いだろうなと思っていたけれど、ここも誰もいないし、第一、墓も見られなかった。山本勘助の子孫の山本家の屋敷墓の由。本日は当家の都合で見せられませんとの貼り紙のみ。折角訪ねたのに残念である。物見遊山が増えてしまって、山本家では迷惑しているのかな。

 見られなければ仕方ない。さっさと諦めて、次は「三分一湧水」を見に行く。ここは大変な賑わいだった。何とか駐車出来たけれど、ひっきりなしに車が入ってくる。家族連れで賑やか。山勘の墓とは大違いだ。やっぱり、客は行楽地に集まるのね。

 三分一湧水は八ヶ岳の湧き水を三つの村に均等に分配する為に築いたと云われている。湧き水を一口飲む。冷たくて美味しい。湧水を使った蕎麦もあったが、食せず。日も西に傾いてきたので、あまりのんびりしていられない。

 それから最後の目的地、風林火山館へ向かう。

P070811co  ここは「風林火山」のオープンセット。入場料300円。大勢の観光客が訪れている。駐車場係が次々とやって来る客を手際よくさばいている。

 京都太秦や松竹大船の撮影所を見学したことがあるけれど、撮影所の手抜きセットに比べれば、ここは立派。手抜きは目立たない。よく出来ている。漆喰の壁や門扉の重厚な鉄製の飾りがベニヤ板だったけれど、見た目には本物そっくり。映像技術の妙だね。

 しばらく館内を散策。カミサンの念願も叶ったので、そろそろ引き上げよう。

 小淵沢へ戻る途中、「信玄棒道(ぼうみち)」を訪ねる。場所が分からないので、給油で立ち寄ったガソリンスタンドで丁寧に教えて貰った。武田軍が信濃攻略のために八ヶ岳の麓をまっすぐ棒のような道を作った由。今はその面影はほとんどない由。教わった地点で、カミサンと記念撮影。やはり、観光客はいなかった。大きなリュックを背負った登山姿の男性二人が案内板の脇で休憩していただけ。

 これで今回の風林火山巡りは終了。丸一日、よく動き回った。すでに36時間も起きている状態だぜ…。

 小淵沢の道の駅で小休止後、カミサンの実家へと向かう。実は、みのる君のカミサンは甲斐の出だ。二人の衝撃の出会いは別の機会に譲るが、地元を離れて久しいカミサンだから、全く地理不案内、歴史無頓着。今回の旅はいい勉強になったみたい。ただ、毎回、実家に帰る際にあちこち引き回されたらかなわんぜ。

 翌日、墓参後に雁坂トンネルを経由して帰宅。高速道路は帰省ラッシュで大混雑だったが、一般の幹線道路を極力避けて、地元民しか利用しないような生活道路をつなぎ合わせて、しかも最短のコースを選んだお陰で、全く渋滞知らず。所要時間も渋滞なしの高速道路利用と同じだった。つまり、今まで高速料金を払ってわざわざ遠回りしていたことになる。この小さな発見も収穫だった…。

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2007年8月14日 (火)

風林火山の旅2

 昇仙峡から積翠寺方面に向かう途中、千代田湖と云う小さなため池がある。ここで朝食。木陰に車を停めて、前の晩に準備しておいた弁当を二人で平らげる。小市民的風景さ。安上がりの食事。胃袋が落ち着いた所で、さあ出発。積翠寺に向かった。

 積翠寺は武田信玄誕生の寺。夢窓国師の弟子竺峯和尚開山の由。信玄公産湯の井戸が寺の裏になる。その横の庭園は夢窓国師築庭の伝。東に要害山が控えている。

 積翠寺は鄙びた場所にある。最初は見過ごしてしまって、どんどん山の方へ向かってしまった。道は隘路になる。こんな所に寺なんかないだろう。カミサンはもっと行けと云わんばかりだったが、車一台がやっと通れるようなきつい上り道だぜ。諦めよう。やっとの思いで車をUターンさせて、元来た道を戻りつつ、改めて寺を探していると、大きな看板が見付かった。カーブの頂点の頭上にあって、見逃しやすい看板。道端に車を停めて、寺に入る。風林火山ブームで大勢のお客で賑わっているかと想像していたけれど、観光客なんていない。静まり返った寺。住職とおぼしき人が奥で庭仕事をしていた。挨拶して寺を見せて貰ったが、案内する訳でもなく、仕事に余念がないみたい。カミサンは拍子抜けだ。武田信玄が生誕の地よ。もう少し大事に扱ってもいいんじゃないの。こんな辺鄙な所までは手が回らないのだろう。観光バスを乗り付けて来るような目玉もないし、道だって狭い。何も面白味もない。

 生れた場所を尋ねたのだから、今度は信玄の墓を見に行こう。

P070811be  甲府駅北の武田神社の脇に昭和時代の遺物みたいな喫茶店があった。コーヒーを飲もう。昨晩は一睡もせず、夜明け前からずっと車の運転だから小休止も必要だぜ。中に入って熱いコーヒーを注文。やっと人心地が付く。窓から見える武田神社の駐車場には車がごった返しているのに、この店には他に客がいない。昭和の遺物より戦国武将の方が来た甲斐があるってものだろうな。暑い最中をご苦労さんだ。

 コーヒーを味わってから、信玄の墓所を訪ねる。武田神社は何度も訪ねているので、今回はパス。

 神社から南東方向に信玄公の墓があった。ここも観光客はいない。武田神社の賑わいとはまるで違う。静謐。夏の日差しが強烈。麦藁帽子をかぶったカミサンはじっくりと墓を見られる。みのる君は帽子がないから、汗びっしょりさ。

 信玄が人生のスタート地点の積翠寺と墓までの距離はわずか5㎞程度。意外に近い。生れた場所近くに墓があると云うのは幸せ者かも知れないね。

P070811bv

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2007年8月13日 (月)

風林火山の旅1

 カミサンはNHKの大河ドラマ「風林火山」を毎週観ている。一度位は風林火山巡りの旅行をしてみたいと云うのがカミサンの願いだったが、ついにこの盆休み、二人で駆け