カテゴリー「旅行・地域」の記事

2009年11月25日 (水)

国宝待庵見学

 去る6月、カミサンと京都を訪問した際に叶わなかった国宝の「待庵」見学。今回はあらかじめ1ヶ月前に予約を入れておいたので、カミサンの念願が叶った。用意周到も大事だ。

 少々早めに山崎に着いたので、予約時間までの半時、サントリーの蒸留所を見学。こちらも、前回見学出来なかった所。決められた見学コースを案内して貰うには時間が不足しており、やむなくショッピングコーナーで我慢する。

 ショッピングコーナーでウィスキーの試飲が楽しめるが、運転手に付き呑めませんと云うステッカーを首からぶら下げて歩くみのる君には気の毒なコーナーだった。カミサンはニコニコしながら試飲に挑戦。一杯100円ばかりが目立つメニューから、よりによって一杯2300円以上も取られる年代物を注文しやがる。挙句に呑み切れず、近くで試飲を楽しんでいたお客に残りを譲ってしまう。勿体無い。大馬鹿者め。

 予約時間ちょうどに妙喜庵到着。俳諧連歌の祖、山崎宗鑑が隠棲したと云われている妙喜庵だが、ここに国宝の待庵がある。すでに数名の女性陣が住職から待庵の由来を拝聴していた。

 撮影禁止の念を押されて、じっくりと見学。とは云え、数分もあれば一巡出来る狭い敷地。でも、カミサンは熱心に隅々まで見ていた。利休作と云うことで、思い入れがあるのだろう。みのる君は手持ち無沙汰の呈だった。

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2009年11月24日 (火)

青蓮院のライトアップ見物

 カミサンが茶の師匠や同輩と宗旦忌に出席した晩、京都大学で教鞭を執るカミサンの友人が紹介した店で先生を囲む会を設けた。場所は、夜間のライトアップで有名な青蓮院の向かいにある豆富料理のお店。豆腐料理じゃ腹に貯まらんとみのる君はボヤいていたが、アルコールも用意すると云うので、ご相伴に預かった。勿論、今回はホテルに宿泊の段取り、車をホテルに預けての参加だから、気楽に呑める。

 先生と同輩、カミサンとみのる君は同じホテルを予約(みのる君がネットでホテルを確保。又、ポイントが貯まる)、荷物を解き、普段着になってから、タクシーで料亭に乗り込んだ。すでに友人が待っており、昔の弟子に再会した先生も破顔。薹が立った女性4人に囲まれると、さすがのみのる君も大人しくなる。

 散々積もる話とお茶談義に花が咲いた後、向かいの青蓮院へ足を運んだ。国宝の青不動明王のご開帳の由で、夜の8時を過ぎているのに沢山の観光客が溢れていた。境内はライトアップの異様な景色が広がっている。少々、度が過ぎないかい。うっかりカメラを忘れてしまい、この幻想的な光景を記録することは出来なかったみのる君が感想。ライトアップは演出者の主張がそのまま表現される。紅葉の鑑賞は素材が一番。演出の妙は余計な配慮じゃないか。そんな邪推が邪魔をするから、みのる君は邪になる。天邪鬼かしら。

 鮮やかな紅葉には少し早すぎたようだった。青蓮院の近くに住むカミサンの友人は、去年の紅葉は凄かった、と皆に報告してくれた。先生は昼間の疲れも見せず、弟子達と屈託無くおしゃべりし、ライトアップを喜び、終始にこやかだった。先生を囲む会を企画したカミサンも、すっかりご満悦の呈だった。

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2009年11月23日 (月)

落柿舎再訪

 去る5月に京都嵯峨にある「落柿舎」を訪ねたが、あいにく修理中で拝見出来ず残念だったが、カミサンが「宗旦忌」に出席することになり、送迎を頼まれたので、この際、修理の終わった落柿舎を拝見しようと云う段取り、例によって深夜のドライブを敢行して、念願を果たして来た。

 落柿舎は芭蕉が三度も訪ねたと云う去来の棲家。修復の終わった庵は外からの拝見のみ。別段面白くも無い建物。庭にはたわわに実った柿が目立つ。柿の落下にご注意の看板が面白かった、

 大勢の拝観客で賑わっているかと思ったが、ほとんどが入口で立ち止まる程度、外人さんがスモールハウスと呟くような造り、中まで入ろうなんて奇特な人は少なかった。みのる君も一瞥程度。念願だったが、それで十分。芭蕉ゆかりの地を訪ねたと云うだけで満足。一応、記念撮影だけは忘れなかった。紅葉には少々早かったようだ。

Rakusisya

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2009年11月 1日 (日)

戦場ヶ原の紅葉

 先日、突然思い立って、日光の戦場ヶ原へ行って来た。混雑覚悟だったが、案の定、大渋滞に遭遇、ウンザリして早々に退散してしまった。三本松園地で小休止。その際、一応、ケータイで証拠写真を一枚撮っただけ。もっと早い時間に思い立てば良かったと後悔しきりだった。

Nikkoui

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2009年10月19日 (月)

吉野ヶ里と三内丸山遺跡

 吉野ヶ里遺跡Yosinogari

 三内丸山遺跡Sannnai

 弥生遺跡と縄文遺跡を比較すると、コテージとテントの違い、と云った感じかな。

 テントを張って泊まるより、やっぱりコテージ風の宿の方が落ち着く。

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2009年9月30日 (水)

松島やああ松島や

 日本三景の一つ、松島到着が午前8時過ぎ。すでに大勢の観光客があふれていたが、まだ朝の内。悠々と駐車場に車を止められた。眼前に島々が見える。初めて松島にやって来たカミサンが思わず口にした「松島やああ松島や松島や」。そいつは芭蕉の句じゃないぜ、田原坊と云う狂歌師の作だ。みのる君はすかさず横槍を入れる。

 まず、島巡りの遊覧船に乗って小一時間の島巡りを楽しんだ。グリーン席を希望したら600円も余計に取られてしまった。乗船料金と合わせてお一人1600円。高速道路の料金より高い。

 芭蕉が奥の細道に書いた「ふすものは波にはらばう。あるは二重にかさなり三重に畳みて、左にわかれ右につらなる。負るあり抱るあり、兒孫愛すがごとし」の景色は楽しめたが、「扶桑第一の好風」(いずれも岩波書店刊日本古典文学体系「芭蕉文集」より)とは云い難い。驚く程の景色では無かった。

 下船して驚いた。船を待つ人々の長蛇の列が延々と続いている。さすが日本三景。みのる君らが乗船した時間帯では未だ空席も目立ったが、これから乗船する人達はすし詰め状態だろう。ご苦労な事だ。やっぱり観光は早い内が宜しい。

 それから瑞巌寺を参拝。生憎本堂が修理中だったが、国宝の庫裏や本来は本堂に安置しているご本尊や伊達政宗公の位牌等が見られた。芭蕉もこの寺を訪ねているが、奥の細道には由来を記しているだけ。何故かな。芭蕉は慈覚大師が開いたこの寺や中尊寺、毛越寺、立石寺も訪ねており、何か曰くがあったか。

 参道のあちこちに岩を掘って作った墓の跡も多い。中世の松島は「奥州の高野」と称せられた死者供養の霊場だった由。多くの岩窟がその名残りだ。

 奥の細道には松島での句は出てこない。「予は口をとぢて眠らんとしていねられず」として、同行の曾良の「松嶋や鶴に身をかれほととぎす」(同上より)を紹介するに留めている。松島の絶景より死者供養の岩窟に驚き、「いねられず」となったか。前年、芭蕉が亡父三十三回忌の後に高野山を詣で、「父母のしきりに恋し雉の声」と詠んだ心境が「奥州の高野」で去来したかも知れない。

 次に雄島へ行く。やはり岩窟が多い。奥の細道には、「雄嶋が磯は地つづきて海に出たる嶋也。雲居禅師(うんごぜんじ:瑞巌寺中興)の別室の跡、座禅石などあり。はた、松の木陰に世をいとふ人も稀々に見え侍りて、落穂・松笠など打ちけぶりたる草の庵閑に住みなし」(同上より)の様子が窺える。きっと芭蕉も眺めただろう雄嶋からの眺めをカメラに収めた。Ojima

 最後は、豊臣秀吉の伏見桃山城にあった茶室を伊達政宗が貰い受け、江戸の藩邸に移築、それを二代目藩主の忠宗が松島へ移したと云われる観瀾亭を拝観。抹茶かコーヒーを頂けるとの事だったので、カミサンは抹茶、みのる君はコーヒーを頂戴した。奥に松島博物館があって伊達家ゆかりの品々を鑑賞出来る。

 午後2時過ぎ、今回のドライブ計画の全てが終了、いよいよ帰路に就いた。駐車場から高速道路の入口、松島海岸インターまで反対車線は松島へ向かう車の列が切れ目無く続いていた。

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2009年9月29日 (火)

八戸自動車のSAで一泊

 むつ市を後にしたみのる君一行は国道338号線を南下、一路八戸を目指した。ほとんど車は走っていない。すでに夜も遅い。周囲は真っ暗闇の国道をノンストップ状態で進んだ。左手は太平洋。昼間であれば下北の景色を堪能出来たに違いない。六ヶ所村を過ぎ、三沢基地を通り越し、八戸北ICまで2時間40分。距離にして110㌔。快走だった。途中、車を止め、ライトを消して夜空を仰いでみたが、雲が多かった。少々ガッカリ。カミサンが真っ暗闇を不安がる。他に車も走って来ないし、獣にも出喰わしたら大変だ。みのる君は臆病者だから、慌てて車を発進させる始末だった。

 八戸自動車道の折爪サービスエリア到着が午後11時前。さすがに疲れた。いよいよ休息の時間だ。他に数台の車が止まっている程度の静かなSAで暫時仮眠となった。実に42時間振りの睡眠。後部シートに横になった途端、夜明けを迎えてしまった。

 5時間熟睡。洗面所で身支度を整え、さあ、一気に東北道を南下だ。折爪SAを離れ、走り出したが、安代JCTから東北道に入り、盛岡までの約100㌔区間、みのる君の車は5台を追い越したが、それ以上車は走っていなかった。後ろからやって来る車もなかった。全くガラガラ状態の東北自動車道。朝が早かった所為かな。100㌔区間に車5台は、いかにも少ない。

 盛岡を過ぎると少しずつ車も増えて来たが、みのる君の車は順調に走る。そして、中尊寺PAで小休止。芭蕉の「夏草や…」の句碑紹介の看板があった。Tuwamono

 大和ICから一般道路へ。いよいよ最後の目的、カミサン念願の松島へと向かった。

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2009年9月27日 (日)

霊場恐山

 三内丸山遺跡から野辺地経由で恐山まで2時間半で到着した。実に快適な走りだった。野辺地から左手に陸奥湾を眺めながら進むと、巨大な風力発電の羽根の群れが見える。風の強い地域だろうね。幸い、みのる君が走った日は穏やかな快晴だった。

 みのる君のカミサンは恐山へ行って見たいと云う。午後2時過ぎに三内丸山遺跡を出発だぜ、今からでは間に合わないだろう。みのる君は取り合わなかったが、初めての場所よ、中に入れなくても構わない、外からだけでも雰囲気を味わいたいと駄々をこねる。仕方ないね、実は友人との再会を楽しみにしていたみのる君だったが、友人には恐山見物を告げ、少々遅くなる旨を一報し、恐山に向かった。みのる君はこの友人、啓さんの案内で一度恐山を訪ねている。硫黄の臭いが強烈だった印象が強い。他には吉村達也の推理小説の舞台になったかな、と云った程度の印象。イタコには興味無いし。

 夕方5時に恐山到着。拝観受付は6時までだったので、滑り込みセーフと云った所。カミサンは慌てて入山券を買いに行く。硫黄の臭いが凄いね。カミサンは臭いと異様な光景に目を見張っていた。

Osorezan  しばし境内を散策。カミサンは宇曽利湖の方まで足を伸ばしたが、みのる君は少々疲労困憊、すでに30数時間も寝ていない状態だから、歩くのも億劫、さっさと駐車場に戻って一服の次第。カミサンもタフなお方だ。日は西に傾き、人影も疎らになった賽の河原や血の池地獄、無間地獄をのんびりと見物して回っていた。所々、熱を帯びた箇所があってガスが吹き出ている。何となく危険な臭い。余り長居はしたくない所だった。

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2009年9月26日 (土)

三内丸山遺跡

 青森インターから津軽半島の突端を目指し、そこから南下、五所川原を経由して青森に戻って来たみのる君ご一行は、青森インター近くにある三内丸山遺跡にたどり着いた。一気に180㌔余りを7時間で走り抜けて来た勘定になる。3時間以上の見学時間を差し引くと、平均時速は40㌔を超えている。

 通常、一般道路のドライブでは時速30㌔ちょっと程度が相場。車が多いし、信号にも引っ掛かるから、いくら頑張っても100㌔の道のりでは、3時間は掛かってしまう。ところが、青森では2時間余で走り抜けてしまう。快適なドライブのはずだ。

 日本最大級の縄文集落跡、三内丸山遺跡見学も今回のドライブの目的の一つだった。青森インターのすぐ近くに位置しているが、まさか青森インター到着の明け方早々に訪ねる訳にもいかず、まずは龍飛崎に向かい、昼過ぎにようやく戻って来た次第。

Maruyama

 昨年、九州の吉野ヶ里遺跡を訪ねたが、こちらは日本最大級の弥生遺跡。次は三内丸山の縄文遺跡だね、とカミサンと話していた。発掘調査が大々的に新聞で報じられて以来、一度は訪ねたかった場所。

 弥生時代の吉野ヶ里は「ムラ」として機能していたし、外敵の脅威も窺えたが、三内丸山遺跡は紀元前4、5千年の時代、「ムラ」の機能も未熟だっただろう、お互いが寄り添って何とか生きていた様子が窺える。冬になれば雪に埋もれる地で生き延びて来た根性は立派。

 生憎、次のスケジュールもあって長居が出来ず、「縄文時遊館」を覗いている時間が無かった。ちょっと残念だったが、友人との約束を反故にする訳にはいかず、やむなく出発。今度は下北半島へ向かった。

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2009年9月25日 (金)

太宰治記念館「斜陽館」

 太宰治にはあまり興味無い。みのる君の思考回路は単純明快で、関心が無いとどうでも良くなってしまうし、あえて記念館なんか見たいとは思わない。一応、彼の作品を読んでいるが、大方忘れてしまっている。ところが、カミサンは違っていた。

 今回のドライブでカミサンが強硬に主張したのは太宰治記念館見学。十三湖の近くよ。素通りなんかさせない。是非、寄って頂戴。カミサンは太宰のファンと云う訳では無い。折角の機会を逃がしたくないと云う女心。バーゲンセールを見逃さない感覚。みのる君は彼女の主張を受け入れ、しぶしぶと記念館に立ち寄った。

Dazai  驚いたね。「斜陽館」は観光客で溢れていた。案の定と云うべきか、女性が多い。生誕百年記念の由。皆さん、入り口で記念撮影している。大きな屋敷内を観光客がゾロゾロと歩く。他人様の建物を見たって、別段面白いとは思わない(興味があれば話は別だけれど)。みのる君はあっさりと一巡。展示資料も数多くあったけれど、やはり関心も薄いから印象も薄い。時代を象徴するマントも展示されていた。カミサンは例によってじっくりと見て回っていた。

 五所川原は「津軽金山焼」と云う焼物の産地。斜陽館の向かいの土産物店に少しだけ展示されていた。唐津に似ているわね。カミサンは一瞥しただけ。珍しく興味を示さなかった。みのる君が知人から仕入れた金山焼のウンチクが気に入らなかったとみえる。自ら欲するモノを探し求める。カミサンの流儀に反していたようだ。人に薦められるとへそが曲がってしまう性格かしら。

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