カテゴリー「文化・芸術」の記事

2009年9月 4日 (金)

漱石の墓参り

 同窓会の翌日、学生時代に漱石を研究していた同人誌の主幹が、漱石の墓参りに行こうと云い出した。即座に反応したのが、みのる君のカミサン。是非、行きましょうと強引にみのる君を誘う。他の連中も異議を申し立てず、どうせ暇だし、この際、昔住み慣れたアパート周辺も訪ねてみたいし、アキバのメイド喫茶にも行ってみようなんて云い出す始末で、さすがにそこまでお付き合いは出来ないが、カミサンの希望もあるから、しぶしぶ雑司が谷霊園まではご一緒する事にした。

 雑司が谷霊園には夏目漱石の墓の他に小泉八雲の墓もあった。訪ねてみて、初めて知った次第。最近、新潟の池田記念美術館で八雲と漱石の因縁を知ったばかり、まさか雑司が谷霊園にこの因縁の二人が眠っているとは思わなかった。霊園前の花屋で花を調達し、一応墓参を済ませた。ついでに、漱石の親友だった中村是公の墓も拝見。

 是公と云えば、満州鉄道の総裁や東京市長を歴任したお方。漱石を中国旅行に誘っており、漱石は帰国後に「帰り見れば蕎麦まだ白き稲みのる」なんて俳句を作っている。その親友も雑司が谷に眠っているとは思わなかった。

 又いつか同窓会を開こう。その時までお互い無事で。池袋駅で同人等と再会を約して解散。連中は上京土産と云いつつアキバへと向った。

| | コメント (0)

2008年12月16日 (火)

銭をひろうた

 岩千代とて、十四五にて、うつけたる子あり。門よりはせ来たり、「かかよ、かかよ、銭(ぜに)をひろうた」といふ。母が「ようひろうた。その銭はどこにあるぞ」。「いや、ひろひごとはひろうたが、また落(おと)いたは」。

 覚睡笑に出てくるお話。子供がお金を拾ったと報告すると、母親が「でかした」と喜ぶあたり、何となく世情と本音が窺える。今も同じ感覚。面白いね。

| | コメント (0)

2008年12月15日 (月)

つれづれ草の和え物

 引き続き、角川文庫の醒睡笑からお一つ。

 ちと仮名をもよむ人のいひけるは、「この程つれづれ草を再々見てあそぶが、おもしろう候よ」とありしかば、その座にゐたる者のさしいで、「かまへて口あたりよしと思うて、おほく御まゐるな。つれづれ草のあへ物も、過ぐれば毒ぢやと聞いたに」。

 「再々」は「しばしば」と云う意味。座の話題で、兼好の「つれづれ草」を読んでいると話すと、食べ過ぎると毒だ、なんて訳知り顔で意見する者がいる。今でも、こんな光景に出会うね。みのる君も気を付けなければ。

| | コメント (0)

2008年12月14日 (日)

醒睡笑からお一つ

 角川文庫の「覚睡笑」から。

 「昨日は一日、妙円寺といふ寺にあそびつるは」とかたる。「つひに聞かぬ寺や。妙は妙法の妙にてあらうず。ゑんは」。「ぬれゑんぢや」。「いやとよ。書きやうは」。「蕨縄のまはし垣」。「ここな人は、字のことを問ふに」といへば、「地は砂地ぢや」と。

 あまり聞かない寺の名前なので、どんな字を書く寺なのか聞くと、チンプンカンプンの答え。今も通じるお話。人間様の知恵なんて、昔から大して変わっていない。

| | コメント (0)

2008年9月19日 (金)

声を出して読む

 声を出して文章を読む。読んでみて、すっきり頭に納まれば良し。途中でつっかえて読めなくなってしまえば、それは文章と云えない。近頃ケータイに飛び交うビジュアル系、絵文字やらカッコ付きやら記号に溢れた文を解読無しで読もうとしても、きっとストレートに読み通せないかと思う。だから、文とは云えない。

 ひと頃評判を呼んだ齋藤孝氏の「声に出して読みたい日本語」では無いが、とにかく声を出して読んでみる。普通に読めれば文章。読めなければ単なる文字の集合。音読すれば、きっと、文章の味も作者の意図も分かってくるに違いない。とにかく声に出してみる。大事だと思うね。

 漢字は表意文字と云う。云ってみれば昔のビジュアル系だ。そこに表音文字の平仮名が加わって、日本語の「文章」が成立したと考えれば、視覚イメージを単純に否定する訳にもいかない。時の経過が文化を築くのであれば、やがて絵文字も文化となり得る。声を出して読めれば文章と云う定義は反古となってしまうか。出来ればずっと保護したいと思うけれど…。

| | コメント (0)

2008年9月14日 (日)

手軽な手紙の書き方

 最も手軽で重宝な手紙の書き方は、決められた規則に従う事。決まったルールに沿って書けば大体問題はない。規則やらマナーと云うと難しそうだが、慣れてしまえば一番便利。それに、決して難しくもない。

 まず、「拝啓」と書く。次は、時候の挨拶なんか面倒だから、「時下益々ご清栄のこととお慶び申し上げます」と書く。何となく形式張っているが、これはどんな相手にも通用するし、ニュアンス的には時候も含まれているから一番無難な書き出し。元気で頑張っているかい。こんな感じだと思えば良し。ついでに日頃のご無沙汰を素直に詫びるのも良い。

 次は行を変えて、いよいよ用件を切り出す。ここは相手に伝えたい事を簡潔に書けば良い。「さて、」と切り出して具体的な内容をさらりと書く。例えば、「さて、かねて懸案の懇親会の日程が決まりましたので、お知らせ致します」と書けば、呑み会の事。「さて、当方手元不如意に付きご支援を賜りたくお願い申し上げます」と親元に借金を申し込むのも良し。

 又、少々くだけた書き方でもOK。前文でしっかり相手を丸め込んだから、読み手は多少の落差なんか頓着しない。「さて、難しい言い方は舌を噛みそうなので、ここら辺でやめて、今度会いたいねというのが本題です」なんて書いても、相手は微笑むばかり。

 締めは「貴台の益々のご活躍をご祈念申し上げます。敬具」でお仕舞い。余計な装飾不要。「お近くにお越しの節は是非お立ち寄り下さい」なんて書いておくと、親近感が増すだろうな。この一文で実直に反応してやって来る御仁なんて滅多にいやしないから、安心して書いて大丈夫(と思う)。

 とにかく、畏まったような文章が一番楽な手紙の書き方だね。貰う方も安心して読み飛ばしてくれると思う。

 みのる君は仕事上の行きがかりで、こうした無難な手紙を無数書いてきた。依頼状から会合通知、督促やら近況報告、詫び状から内容証明付きまで種々雑多に対応して来たが、やはり「マナー」と称される書き方が最も間違いない方法と心得ている。あまり考える必要が無いと云う点が宜しい。但し、マナーを尊重しなければならない時もある。目上、年寄り、堅物やお付き合いの浅い人には形式通りが無難だし、大切。巷間にあまた文例集が出回っているが、あんなものは気にする事は無い。気持ちが伝われば十分、だろうね。

| | コメント (0)

2008年9月13日 (土)

書くことの意味

 そもそも言葉は意思を伝える為にある。だから、その言葉を文字にした文章は相手の存在を意識し、何かを伝達したいが為に書いているはずだ。

 日記は他人に見せるものでない、と云う理由で思いつくままを書くこともあろう。しかし、恐らく、きっと「誰かさん」と云う対象なくしては書いていないだろうと思う。自分だけの日記と云うならば、他人には分からない表現方法を工夫しているはずだ。略号なり記号を使って他人様に見られても判読困難な状態を作っておく。みのる君が昔の備忘録では「P↑6」とかの符牒を使っていた。5年経っても、10年過ぎても本人はこれで十分に分かる。当然、文章になっていない。「誰かさん」に意思を伝える必要が無いから、あえて文字を使わなくても用は足りる。

 メモも同じ。カミサンなんか自分でも読めなくなるような無茶苦茶な文字でメモを残している。とりあえず本人の注意を喚起すれば目的を果たす。タグと同じ。

 だが、文章はメモとは違う。何かしらの意思を持って作る。つまり、自分の気持ちなりを相手に伝えたい。

 ケータイの普及で伝達手段にビジュアルが取り込まれているが、これは記号に過ぎない。更にお互いがその意味を承知していれば通用する記号。その延長線で文章を作っても、何処かイメージに頼った表現になってしまう。カッコ書きで「(笑)」とかも同じ(この辺は以前にも書いたな)。仲間内や限定された範囲内では十分に通じるだろうから、記号も無下に否定するつもりは無い。が、一応主語、述語を備えた文であれば、せめて誰にでも分かるような配慮がほしいと思う。

 ちなみに、「P↑6」はパチンコの勝ち負けを意味する。「↑」は勝ち、「↓」であれば負け。数値は金額。他愛無いメモだ。

| | コメント (0)

2008年9月12日 (金)

文章の長短

 文章は何でも長ければ良いと云う訳では無いし、短ければ名文になるとは限らない。長文では、時に主語と述語が一致しなくなってしまう場合がある。書いている本人は夢中だから案外不一致に気が付かなくなり、読まされる方は途中から主語を忘れてしまい、結語に至っても、別におかしく感じない、内容は十分理解出来るし、意味が通ればOK、そのまま読み飛ばして次の文に目が行ってしまう例も散見されるから、書き手としては気を付けないといけない。

 片や短文は少ない文字数で表現を試みる。だから、うっかりすると独り善がりになってしまったり、表現不足が誤解を招いてしまう場合も出てくる。メールのやり取りが喧嘩の元、なんて事例は舌足らずの文章と読解力不足、表現の配慮不足が原因と云う事が多い。

 そもそも文章は意思伝達、コミュニケーション手段だから、相手に意思を伝えられれば良し。

 「おい、メシ」で空腹感を伝え、同時に食事の準備を促し、かつ指示する立場を強調する重宝な言い回しが頻繁に使われるが、これなんか名文の類いかも知れない。

 十七文字で森羅万象を表現しようとする俳句は短文芸術だが、逸脱すると商品の宣伝文句に堕してしまう。

 一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥せ。手紙文の好例と膾炙されているが、それ以上にはなり得ない。

 いかにコミュニケーションを図るか。意思伝達の為に長短いずれを採用するか。常に書き手を悩ませてくれる。

| | コメント (0)

2008年9月11日 (木)

文章作りの留意点

 文を作る上で留意すべきは、同じ単語は頻繁に使うな、と云う事。出来れば、一度使用した言葉の再利用は控えた方が宜しい。しかしながら、これが意外に難しい。油断していると、つい出てしまう。とにかく意識して重複を避ける。すると、勢い言い回しを考えるようになり、沈思黙考時間が増える。頭が柔軟になる。物事を多面的に捉えるようになる(かも知れない)。と気を付けていても、やっぱり無意識に繰り返している。凡人たる所以だ。

 「同じ」「単語」を繰り返して「使った」場合、下のようにつまらないものになってしまう。

 文を作る上で留意すべきは、同じ単語を頻繁に使うな、と云う事。出来れば、一度使った単語は使わない方が宜しい。しかしながら、これが意外に難しい。油断していると、同じ単語を使ってしまう。とにかく意識して同じ単語を使わないようにする。

| | コメント (0)

2008年9月10日 (水)

文章鍛錬の一つ

 以前、会議出席者の発言趣旨をまとめる役を仰せつかっていたが、しばらく出席者全員の発言を全て同じ文字数でまとめていた事がある。長短入り乱れた云いたい放題の発言を、例えば読点含めて300字で収めてしまう。ダラダラと長時間喋った人もいれば、ごく短い意見と云う者もいる。これらをひっくるめて各人ピタリ300字に集約。勿論、肝心の内容は細大漏らさず。出来上がった議事録は幾何学的だったぜ。

 限られた範囲内で文章をまとめるには、ある程度語彙が豊富でないと難しい。言い換えを知らなければ出来ない(自慢する程知っている訳では無い。TVのクイズ番組に出される漢字問題は大抵分からない)。

 文章鍛錬を兼ねて、暫時この几帳面な議事録を発行していたが、やはり長続きはしない。全員の発言を同じ文字数でぴったり揃えるって、至難の技だぜ。語彙不足も祟ったかな。が、他の連中には決して真似出来ない芸当と自負したものさ。しかしながら、みのる君の苦心は誰も気付かない。議事録は作品では無い。発言内容が正しく記録されていれば良し。主旨は違ったが、敢て云えば、仕事にも洒落は大事さ。

| | コメント (0)