芭蕉

芭蕉句碑二つ

 今回の九州ドライブの発端はカミサンの用事がてらだった。カミサンが京都に用事があって、みのる君が送る事になっていたが、ついでに九州方面まで足を伸ばそうかと云うみのる君の安易な提案にカミサンは嬉々として賛意を表した。で、九州へ向かう前日は京都に一泊と相成った。

 京都に泊まる日、特段の用も無いから寄り道も良かろう。用事の前日だから慌てることも無い。これもみのる君の念願だったが、芭蕉にも縁のある不破の関を訪ねてみよう、併せて伊吹山にも行ってみようなどと云う計画を立て、出掛けていった次第だ。

 元禄2年、芭蕉は「戸を開けばにしに山あり。いぶきといふ。花にもよらず、雪にもよらず、只これ孤山の徳あり」と前書して「其まゝよ月もたのまじ伊吹山」(講談社学術文庫芭蕉全発句より)と詠んでいる。斜嶺亭で世話になった主、高岡三郎兵衛への挨拶句。元禄4年には、「折おりに伊吹をみては冬ごもり」(前出による)と、宮崎千川亭での挨拶句も詠んでいる。いずれも「伊吹山」を取り上げている。奥の細道で「いぶき」の歌を残した藤原実方や西行を偲んで「笠嶋はいづこ…」と詠んだ事が脳裡から離れなかったか。ぬかる道で疲れ果てていた芭蕉は実方ゆかりを訪ねられなかった悔しさが「伊吹山」に込められているような気もする。

 みのる君ご一行は伊吹山ドライブウェイを走って上を目指したが、生憎の濃霧。10㍍先も定かには見えない悪天候だったため、伊吹山の醍醐味は味わえなかったが、芭蕉の句碑は見付けた。

Ibuki

 山を下って、念願だった不破の関に立ち寄った。そこで、貞享元年、41歳の芭蕉が野ざらし紀行で詠んだ「秋風や藪も畠も不破の関」(前出より)の句碑を見付けた。

Huwa

 その晩は京都に泊まり、翌日は着物姿に変身したカミサンとしばし別行動。みのる君は琵琶湖方面等に出向いて時間調整、午後遅くにカミサンと合流、そのまま九州へと向かった。勿論、途中のSAでカミサンは普段着に着替え、清々した顔となって、いざ九州へ、と元気にみのる君の背中を押してくれた。

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笠嶋はいづこ

 仙台にも桜が咲き始めた頃、用事があってカミサンと仙台に一泊した。その翌日、折角だからのんびり帰ろう。地図を見ると名取市に藤原実方の墓があるらしいので立ち寄ってみよう。勿論、カミサンに異議は無い。早速、実方の墓を探して南下したが、そこで再び、みのる君の迂闊さが露呈してしまった。芭蕉が奥の細道の旅で、みのる君同様、実方の墓を訪ねていたようだ。名取と奥の細道がみのる君の頭の中で結び付いていなかった。

 笠嶋はいづこさ月のぬかり道

 名取郡笠島村に入った芭蕉は、藤中将実方の塚はどの辺りだろうと地元の人に聞いていた。遥か右に見える山際にあると教えて貰ったと云う。生憎五月雨で道はぬかってぐちゃぐちゃ。少々体調が悪かった芭蕉は、今更引き返すのは億劫だったらしい、遠くから眺めるだけだった。「笠嶋はいづこさ月のぬかり道」(講談社学術文庫「芭蕉全発句」による)と詠んで、西行も訪ねた実方の墓に思いを寄せただけだった。

 まさか実方の墓で芭蕉に出くわすとは思ってもみなかった。昨年暮れ、みのる君は「芭蕉論」の増補版を自費出版して、一応、芭蕉には区切りをつけたつもりだったが、まだまだ未熟だった。

Kasasima

 写真中央の桜の木の下に芭蕉句碑がある。句碑の脇を森の方へ入ると実方の墓がある。西行が詠んだ「朽ちもせぬその名ばかりをとどめ置きて枯野の薄形見にぞ見る(山家集)の歌碑もある。桜の元には「かたみのすすき」の看板もあった。「実方橋」もあった。

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蛸壺やはかなき夢を夏の月

 明石の柿本神社にも芭蕉句碑があるらしい。みのる君ご一行は須磨寺の次に明石を目指した。

 明石は日本標準時の子午線が通っている。東経135度。みのる君は子供時分から一度は135度線に立ってみたいと願っていた。芭蕉句碑巡りの締めくくりが子午線に縁のある町とは、なかなか乙なものだ。柿本神社自体が子午線上にある。日本標準時は柿本神社を基点とする。面白い。論文の一つでも書けそうだ。

 Suma4

 芭蕉句碑(読みづらいが、蛸壺やはかなき夢を夏の月)は日本標準時子午線標示柱のすぐ近くにあった。東経135度の線上に「はかなき夢」を持ってくるなんてお洒落な句碑だ。

 句碑の背後は明石市立天文科学館だ。ちょっと寄ってみたいと云う気持ちもあったが、やはり深夜の移動が祟ったか、いささかぼんやりして忘れてしまった。

 柿本神社には柿本人麻呂の「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む」の歌碑もあった。日本標準時を定める位置で「長々し夜をひとりかも寝む」。何となく意味深長かな。

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須磨明石訪問

 今年の9月の連休は須磨、明石を訪ねた。関東地方から5百㌔以上も離れている場所には深夜の移動に限る。渋滞とは無縁の快適さだ。朝7時には須磨浦公園に到着。お目当ての芭蕉句碑をカメラに収めた。朝日を浴びて句碑が眩い。

Suma1

 蝸牛角ふりわけよ須磨明石

 公園の背後にある鉄拐山からの眺望を詠んだ句。源氏物語の須磨の巻、「明石の浦はただはひわたる程なれば」に依ったものと云う(山本健吉:芭蕉全発句)。

 須磨寺の近くに現光寺(別名源氏寺)と云う寺があって、ここにも芭蕉の句碑がある。

Suma3

 見渡せば詠れば(ながむれば)見れば須磨の秋

 みのる君が談林時代の駄作と評した句だ。改めて須磨で句を噛み締めてみると源氏物語に因んだ苦心が窺えるか。

 須磨寺には「須磨寺やふかぬ笛きく木下闇(こしたやみ)」の句碑がある。

Suma2

 須磨浦公園から須磨寺に向かう途中、平敦盛の「史蹟敦盛塚」があった。芭蕉は敦盛の石塔を見てあわれさに涙をとどめかねたそうだが、みのる君はそうした感興を抱かなかった。長距離ドライブで少々疲れてしまったか。ただ、今回のドライブに当たっては、あらかじめ、一応は平家物語を紐解いて(岩波書店の古典文学大系)、敦盛と熊谷直実の有名な一節に目を通していたので、カミサンには自信を持って説明することが出来た。カミサンは、「5月連休では四国でクマガイソウの群生を見て、今度は直実ね。今年は熊谷に縁があるわね」と笑っていた。

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世の人の見付ぬ花や軒の栗

 等躬の住まい近くに可伸と云う僧が俗世間を避けて隠棲していた。ここを訪ねた芭蕉は、「栗といふ文字は西の木と書て、西方浄土に便(たより)ありと、行基菩薩の一生杖にも柱にも此木を用(もちひ)給ふとかや」(岩波書店:日本古典文学大系「芭蕉文集」より)と前書きして、以下の句を「奥の細道」に披露している。

 世の人の見付ぬ花や軒の栗

 芭蕉記念館のすぐ近くに可伸庵跡がある。

Kasin

 一応、立ち寄ってみた。小さな待合みたいな軒先が設えてあった。

Kuhi02

 今回は福島県の白河や須賀川周辺を走り回ったが、途中、小高い丘の上に鎮座する天文台を見付けた。その時は気にも留めず、田舎道の一角にあって明かりも少ないだろうから、きっと星空を楽しめるのだろうなと云った感想と羨ましい環境と思いつつ素通りしてしまった。後になって思い返せば、もしかしたら、あの天文台はかの有名な「白河天体観測所」だったか知れない。天文好きなら誰でも知っている観測所だ。

 相変わらずみのる君の迂闊さに呆れてしまった。その時は芭蕉に気を取られていて天文台までは気が回らなかった。もう少し頭は柔軟であってほしい。極めて残念なり(とは云え、諸般の事情で観測所はすでに閉鎖されているはずだけれど。でも、やっぱり残念)。

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風流の初やおくの田植うた

 芭蕉は奥の細道の途次、須賀川の等躬宅にしばらく滞在している。等躬から「白河の関は如何でしたか」と聞かれ、「長途のくるしみ、心身つかれ、且は風景に魂奪うばゝれ、懐旧に腸を断て、はかばかしう思ひめぐらさず」と感想を述べ、「無下にこえんもさすがに」として、「風流の初やおくの田植うた」を披露している。白河は多くの歌人等が歌を残している。何も詠まずに越えるのは残念なので、自分も一句詠んだ。等躬の問いは、その句の催促だった訳で、芭蕉の発句に続けて、等躬は「覆盆子(いちご)を折て我まうけ草」の脇句を詠んでいる(山本健吉:芭蕉全発句より)。他人様のお宅にご厄介になるので、一応、礼を尽くしたのだろう。

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 栃木県と福島県の県境に「境の明神」があって、その境内に句碑があった。白河の関と同様、「風流の初やおくの田植うた」と刻まれている。

 須賀川市役所近くに芭蕉記念館があると云うので、訪ねてみたが、市役所の建て替え工事中の所為か、建物が見当たらない。工事現場の人に聞くと、知らんと云う。横にいた同僚が、確かNTTの中にあるはずだと教えてくれた。お蔭で、記念館も拝見する事が出来た。工事が終わるまでの間、しばらく仮住まいの由。

 近くに芭蕉も参拝した十念寺と云う寺があって、ここにも芭蕉の句碑がある。やはり、刻まれた句は「風流の」だった。

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 この寺には東京オリンピックで活躍した円谷幸吉の墓があるそうだ。

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白河の関

 芭蕉は「奥の細道」の冒頭で、「春立る(たてる)霞の空に白川の関こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて」(岩波書店:日本古典文学大系より)と書いている。西行も越えた白河の関へ行ってみようと云う好奇心もあったのだろう。芭蕉の句碑巡りに興じているみのる君ご一行も、先日、芭蕉同様の好奇心で白河の関を訪ねた。

 訪ねてみてみのる君の無知さ加減に呆れてしまった。

 みのる君は、ずっと前から白河の関も天下の箱根の峠道みたいな険しい道と思い込んでいた。知らないと云うのは情けない。しかも、昨年、道の駅のスタンプ集めに熱心だった頃、この近くにある道の駅までやって来ていたのだ。白河の関は険しい峠と信じて疑わなかったみのる君は、道の駅近くに芭蕉ゆかりの地があるなんて、全く思いもよらなかった。情けない。白河の関にたどり着けば、何だ、こんな場所にあったのか、我ながら呆れてしまった。

Sirakawa

 写真右のこんもりした森の辺りが白河の関。きっと芭蕉もこの景色を楽しんだのだろう。

 芭蕉は、「心許なき日かずを重る(かさなる)まゝに、白川の関にかゝりて旅心定まりぬ」と書いている。やっと奥州に足を踏み入れる。ようやく雑念を払拭したか。さあ、行くぞ。

 田一枚植て立去る柳かな

 白河に着く前、西行も立ち寄った蘆野の「遊行柳」を見て詠んだ句。生憎、みのる君ご一行はここを見逃してしまった。無知なる故。

 白河関の森公園に芭蕉と曽良の像がみのる君を出迎えてくれた。御機嫌よう。

Sirakawab

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 台座には「風流の初やおくの田植うた」が刻まれていた。

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都留市の芭蕉句碑

 過日、山梨県都留市を訪ねた。勿論、芭蕉句碑を見るため。都留市は深川の芭蕉庵を火事で失い、甲斐に逃れていた時分に滞在していた場所だ。2008年2月に「天和2年、芭蕉庵焼失」と題して書いているので、詳しくは(多少程度)そちらを。都留市には10ヶ所もの句碑があるそうだ。全部を見る時間的余裕もなかったし、余り熱心ではないので、3ヶ所に留めた。

 まずは円通院の境内の「旅人と我が名よばれんはつ時雨」。笈の小文の冒頭に出てくる発句。寛政5年(1793年)、芭蕉翁百年忌の際の建立とのこと。四囲が囲ってあり、大事に残してきたのだろうと思う。

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 次に近くにある「ぴゅあ富士」前にある「山賤(やまがつ)のおとがい閉るむぐらかな」。貞享2年、江戸への帰路、甲州の山中で出会った山賤(云ってみれば地元の木こり)に挨拶すると、おとがい(下顎)を閉じたまま返事もしない、と云った句意。純朴無口な村人に出会ってホッとした気分でもあろう。この句碑は芭蕉が甲斐で避難生活していた付近にある。

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 すぐ近くに芭蕉が生活していた庵を復元した「桃林軒」があった。芭蕉が頼りにした地元谷村藩家老の高山伝右衛門の屋敷の離れが桃林軒と云ったそうだ。一応、ざっと拝見。

 最後は楽山公園と云う小高い丘の上にある句碑。きつい坂道を登るので少々閉口してしまった。「馬ぼくぼく我を絵に見る夏野哉」。まさに甲斐に流寓中の作。みのる君は急坂を歩いたものだから、息切れ、汗だく。馬に揺られて呑気に構える風情では無かった。

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 この後、カミサンが地元の人に教わったおいしいラーメンの店で遅い昼食を摂って帰路についた。相変わらず慌ただしいみのる君ご一行だった。晴れていて良かった。

 帰宅した途端、土砂降りの雨が降って、4、5分遅ければずぶ濡れになる所だった。

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啄木も庵はやぶらず夏木立

 芭蕉は深川で仏頂和尚と出会い、参禅の師と仰いでいた。鹿島詣は仏頂和尚の根本寺を訪ねる目的もあったが、奥の細道でも仏頂和尚の山居跡を訪ねている。

 雲岸寺のおくに佛頂和尚山居跡あり。
  「縦横の五尺にたらぬ夏の庵
    むすぶもくやし宿なかりせば と松の炭して岩に書付侍り」と、いつぞや聞え給ふ。
(中略)卯月の天今猶寒し。十景盡る所、橋をわたって山門に入

 こう前置きして、

 啄木(きつつき)も庵(いほ)はやぶらず夏木立

 と詠んでいる(この一句を柱に残した由:岩波書店日本古典文学大系「芭蕉文集」より)。

 去る7月、カミサンと黒羽の雲巌寺を訪ねた。勿論、芭蕉句碑を見るためだ。黒羽には芭蕉記念館があって、そちらも訪ねた。記念館の庭にはバショウが植えてあった。芭蕉と曽良の像もあった。芭蕉庵もあった。が、その辺はあっさりと眺め、目的地へと車を走らせた。

Kunganji

 雲巌寺山門に到着して、まずは勾配のきつそうな階段に呆れてしまった。暑い盛り、みのる君には応える階段だ。カミサンは意にも介さずさっさと登り始める。仕方なく後を追った。「橋を渡って山門に入る」と云う奥の細道の一節を身を持って体感。汗だくになりながらも何とか句碑を見付け、写真を撮る。昔の人は強かったと思う。

Bkuhi_kitutuki

 折角句碑をカメラに収めたが、文字が読めない。仏頂の歌と芭蕉の一句が彫られているようだが、浅学のみのる君はお手上げだった。

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根本寺訪問

 この2、3ヶ月、みのる君は芭蕉の足跡を追っかけていた。以前、更科紀行ゆかりの姨捨を訪ねているので、伊良湖岬の次は鹿島神宮へ行ってみよう。勿論、カミサンも喜んで賛成する。みのる君ご一行は動いていれば満足する。

 鹿島神宮を参拝後、やっとの思いで根本寺を見付けた。道幅の狭い所に寺がある。根本寺は芭蕉の参禅の師である仏頂和尚が住職をしていた寺。芭蕉はここに泊まる。

 寺に寝てまこと顔なる月見哉

 2009年11月にもこの句について書いているので、細かいことは抜きにして、みのる君はただ単に句碑を見て満足していた。

Bkuhi_konpon

 近くに塚原卜伝の墓があり、ついでに立ち寄ったが、カミサンは何某卜全と勘違いしていた。女性には無縁だったか。

 鹿島神宮には「この松のみばへせし代や神の秋」や「かれ朶に烏のとまりけり秋の暮」の句碑があった。一応カメラに収めたけれど、省略。

 帰路、近くの道の駅2ヶ所を巡ることは忘れなかった。

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