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被災地訪問

 アメリカはワシントンで生活しているカミサンの旧友が、東日本大震災のボランティア活動で一年程前から単身で帰国、南相馬市の臨時職員となって働いている。そろそろアメリカに戻る時期となり、前々から再会を楽しみにしていたカミサンは、みのる君にせがんで、ようやく目的を果たした。ちょうど、東日本大震災から丸2年目を迎える頃の3月9日。

 旧友は、アメリカから自己紹介の手紙を市役所に送って自らを売り込み、運良く採用された由。週末は友人知人を相馬市に招いては被災地を案内している。のべ100人以上に現状を伝えた由。当初は、仕事上で知り合った仮設住宅に住む古老に被災状況を語って貰っていたそうだが、いつの間にか、すっかり相馬市や南相馬の実情を自分でも説明できるようになったと云う。道理で、立て板に水だった訳だ。みのる君は専ら運転手だった為に、ほとんど会話には参加しなかったが、カミサンは、時には涙を浮かべて聞いていた。

 早朝に自宅を出発、東北道福島西インターから東進。中村街道を突っ走って、相馬市役所に到着したのは午前9時。旧友宅で一服(カミサンが茶道具を持参。一応お点前で一服)してから出発。相馬市郊外の高台にある仮設住宅や相馬港を訪ねた。港は数多くのトラックが走り回っていた。地盤沈下した倉庫の周辺には人影もなかった。風光明媚な松川浦の惨状も目の当たりにした。

 南相馬市では、福島第一原発から20㌔範囲内の、一時は警戒区域に指定された旧小高町を訪問。静まりかえった町並で、信号機だけが律儀に動作している。復旧していない小高駅前には、地元テレビ局の取材班と思しき人々がたむろしていた。南相馬の子供達は運動不足で肥満児が多いとも話してくれた。原発事故の2次災害だろう。ジャニーズ事務所が南相馬の小学校に遊具を贈呈したと云う。お陰で少しは運動不足も解消されたらしい。

 傍観者に過ぎないみのる君と違って、自ら行動するカミサンの旧友には大いに感心させられた一日だった。みのる君は、ただ、見守っていくしかない。

 相馬の海岸に、サーフィンのメッカと云われる一角がある。訪ねてみると、寒い中、サーファー達が波に乗ってサーフィンを楽しんでいた。反対側には、津波で橋脚だけが残った橋がみえる。

J
 

 夕方4時過ぎに相馬市を離れた。往復700㌔超の日帰り強行訪問。一泊を勧められたが、翌日は外せない用事があって、やむなくの日帰りだった。

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