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2009年9月の記事

2009年9月30日 (水)

松島やああ松島や

 日本三景の一つ、松島到着が午前8時過ぎ。すでに大勢の観光客があふれていたが、まだ朝の内。悠々と駐車場に車を止められた。眼前に島々が見える。初めて松島にやって来たカミサンが思わず口にした「松島やああ松島や松島や」。そいつは芭蕉の句じゃないぜ、田原坊と云う狂歌師の作だ。みのる君はすかさず横槍を入れる。

 まず、島巡りの遊覧船に乗って小一時間の島巡りを楽しんだ。グリーン席を希望したら600円も余計に取られてしまった。乗船料金と合わせてお一人1600円。高速道路の料金より高い。

 芭蕉が奥の細道に書いた「ふすものは波にはらばう。あるは二重にかさなり三重に畳みて、左にわかれ右につらなる。負るあり抱るあり、兒孫愛すがごとし」の景色は楽しめたが、「扶桑第一の好風」(いずれも岩波書店刊日本古典文学体系「芭蕉文集」より)とは云い難い。驚く程の景色では無かった。

 下船して驚いた。船を待つ人々の長蛇の列が延々と続いている。さすが日本三景。みのる君らが乗船した時間帯では未だ空席も目立ったが、これから乗船する人達はすし詰め状態だろう。ご苦労な事だ。やっぱり観光は早い内が宜しい。

 それから瑞巌寺を参拝。生憎本堂が修理中だったが、国宝の庫裏や本来は本堂に安置しているご本尊や伊達政宗公の位牌等が見られた。芭蕉もこの寺を訪ねているが、奥の細道には由来を記しているだけ。何故かな。芭蕉は慈覚大師が開いたこの寺や中尊寺、毛越寺、立石寺も訪ねており、何か曰くがあったか。

 参道のあちこちに岩を掘って作った墓の跡も多い。中世の松島は「奥州の高野」と称せられた死者供養の霊場だった由。多くの岩窟がその名残りだ。

 奥の細道には松島での句は出てこない。「予は口をとぢて眠らんとしていねられず」として、同行の曾良の「松嶋や鶴に身をかれほととぎす」(同上より)を紹介するに留めている。松島の絶景より死者供養の岩窟に驚き、「いねられず」となったか。前年、芭蕉が亡父三十三回忌の後に高野山を詣で、「父母のしきりに恋し雉の声」と詠んだ心境が「奥州の高野」で去来したかも知れない。

 次に雄島へ行く。やはり岩窟が多い。奥の細道には、「雄嶋が磯は地つづきて海に出たる嶋也。雲居禅師(うんごぜんじ:瑞巌寺中興)の別室の跡、座禅石などあり。はた、松の木陰に世をいとふ人も稀々に見え侍りて、落穂・松笠など打ちけぶりたる草の庵閑に住みなし」(同上より)の様子が窺える。きっと芭蕉も眺めただろう雄嶋からの眺めをカメラに収めた。Ojima

 最後は、豊臣秀吉の伏見桃山城にあった茶室を伊達政宗が貰い受け、江戸の藩邸に移築、それを二代目藩主の忠宗が松島へ移したと云われる観瀾亭を拝観。抹茶かコーヒーを頂けるとの事だったので、カミサンは抹茶、みのる君はコーヒーを頂戴した。奥に松島博物館があって伊達家ゆかりの品々を鑑賞出来る。

 午後2時過ぎ、今回のドライブ計画の全てが終了、いよいよ帰路に就いた。駐車場から高速道路の入口、松島海岸インターまで反対車線は松島へ向かう車の列が切れ目無く続いていた。

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2009年9月29日 (火)

八戸自動車のSAで一泊

 むつ市を後にしたみのる君一行は国道338号線を南下、一路八戸を目指した。ほとんど車は走っていない。すでに夜も遅い。周囲は真っ暗闇の国道をノンストップ状態で進んだ。左手は太平洋。昼間であれば下北の景色を堪能出来たに違いない。六ヶ所村を過ぎ、三沢基地を通り越し、八戸北ICまで2時間40分。距離にして110㌔。快走だった。途中、車を止め、ライトを消して夜空を仰いでみたが、雲が多かった。少々ガッカリ。カミサンが真っ暗闇を不安がる。他に車も走って来ないし、獣にも出喰わしたら大変だ。みのる君は臆病者だから、慌てて車を発進させる始末だった。

 八戸自動車道の折爪サービスエリア到着が午後11時前。さすがに疲れた。いよいよ休息の時間だ。他に数台の車が止まっている程度の静かなSAで暫時仮眠となった。実に42時間振りの睡眠。後部シートに横になった途端、夜明けを迎えてしまった。

 5時間熟睡。洗面所で身支度を整え、さあ、一気に東北道を南下だ。折爪SAを離れ、走り出したが、安代JCTから東北道に入り、盛岡までの約100㌔区間、みのる君の車は5台を追い越したが、それ以上車は走っていなかった。後ろからやって来る車もなかった。全くガラガラ状態の東北自動車道。朝が早かった所為かな。100㌔区間に車5台は、いかにも少ない。

 盛岡を過ぎると少しずつ車も増えて来たが、みのる君の車は順調に走る。そして、中尊寺PAで小休止。芭蕉の「夏草や…」の句碑紹介の看板があった。Tuwamono

 大和ICから一般道路へ。いよいよ最後の目的、カミサン念願の松島へと向かった。

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2009年9月28日 (月)

旧友と再会

 学生時代の友人であり、同人誌の重鎮、啓さんと久し振りに再会した。

 彼は大学卒業後、ずっと地元のむつ市に住んでいる。都会の垢を落として、すっかり地元に根付いていた。東京は世田谷のアパートで夜通し語り、飲み明かした時代、井の頭公園で大騒ぎしたり、狭山湖で野球に興じた時代はすでに遥か彼方の出来事。お互い老けたね。

 恐山から急いで下山し指定されたむつ市内の店に着くと、すでに啓さんご夫妻が待ちわびていた。ごめん、ごめん、すっかり遅くなってしまった。みのる君夫妻は平身低頭して座敷にあがった。一日で津軽と下北を回るのは無茶と云うものだ、と、たしなめられてしまった。啓さんご一家は龍飛崎から十三湖を1泊2日でのんびり廻ったと云う。みのる君の強行軍とは大違いだ。風が凄かったでしょう。私達が十三湖を訪ねた時は、立ってられない程の風が吹いていたわ。いや、今日は天晴晴天、穏やかな日和でした。北海道も見られたし。みのる君らは運が良かったかも知れない。

 実は、龍飛崎に着いた時点で啓さんに一報しておいた。今、龍飛崎にいるけれど、夕方、ご尊顔を拝しにお邪魔しても良いかな。いきなりの電話に啓さんは面食らったご様子だったが、拒む事もせず、すばやく段取りを付けてくれた。了解。では、ご指定の場所で会おう。知らない土地の知らない店の名前を告げられたが、そこら辺で聞けば分かるだろうと云う啓さんのいい加減な助言に従って、むつ市に着くやたまたま目にしたタクシー会社の営業所で店の場所を聞けば、すぐ裏手にあった。さすが地方都市だ、地元の情報は共有されている。

 ドライブ途中の身の上なので、アルコールは呑めなかったが、啓さんは美味しそうにビールを呑みやがる。先年身体を壊したと云うが、少しのアルコールは問題無いし、晩酌は欠かさないと云う。若い頃は一升ビンを空にする元気があった啓さんも、さすがにこの頃は控え目をモットーにしているようだ。

 海鮮料理を味わいながら、過日の東京での同窓会の報告(北海道の原君の報告書にも目を通していた由。無精して報告書のお礼を出していないと云う。いかにも啓さんらしい)や家族、健康の話題で盛り上がり、あっと云う間に時が過ぎてしまった。

 みのる君達は旅の途中。まだスケジュールが残っているから、のんびりしていられない。突然の来訪でご迷惑をおかけしてしまい、これもみのる君のいつもの強引無礼、許しを願うのみ、深くお詫びを申し上げ、又の再会を約し、午後8時前に店を離れた。啓さんの細君からご丁寧にお土産まで頂戴してしまい、カミサンはすっかり恐縮してしまっていた。啓さん、今度は一緒に呑もうぜ。みのる君と啓さんは固い握手を交わして別れた。

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2009年9月27日 (日)

霊場恐山

 三内丸山遺跡から野辺地経由で恐山まで2時間半で到着した。実に快適な走りだった。野辺地から左手に陸奥湾を眺めながら進むと、巨大な風力発電の羽根の群れが見える。風の強い地域だろうね。幸い、みのる君が走った日は穏やかな快晴だった。

 みのる君のカミサンは恐山へ行って見たいと云う。午後2時過ぎに三内丸山遺跡を出発だぜ、今からでは間に合わないだろう。みのる君は取り合わなかったが、初めての場所よ、中に入れなくても構わない、外からだけでも雰囲気を味わいたいと駄々をこねる。仕方ないね、実は友人との再会を楽しみにしていたみのる君だったが、友人には恐山見物を告げ、少々遅くなる旨を一報し、恐山に向かった。みのる君はこの友人、啓さんの案内で一度恐山を訪ねている。硫黄の臭いが強烈だった印象が強い。他には吉村達也の推理小説の舞台になったかな、と云った程度の印象。イタコには興味無いし。

 夕方5時に恐山到着。拝観受付は6時までだったので、滑り込みセーフと云った所。カミサンは慌てて入山券を買いに行く。硫黄の臭いが凄いね。カミサンは臭いと異様な光景に目を見張っていた。

Osorezan  しばし境内を散策。カミサンは宇曽利湖の方まで足を伸ばしたが、みのる君は少々疲労困憊、すでに30数時間も寝ていない状態だから、歩くのも億劫、さっさと駐車場に戻って一服の次第。カミサンもタフなお方だ。日は西に傾き、人影も疎らになった賽の河原や血の池地獄、無間地獄をのんびりと見物して回っていた。所々、熱を帯びた箇所があってガスが吹き出ている。何となく危険な臭い。余り長居はしたくない所だった。

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2009年9月26日 (土)

三内丸山遺跡

 青森インターから津軽半島の突端を目指し、そこから南下、五所川原を経由して青森に戻って来たみのる君ご一行は、青森インター近くにある三内丸山遺跡にたどり着いた。一気に180㌔余りを7時間で走り抜けて来た勘定になる。3時間以上の見学時間を差し引くと、平均時速は40㌔を超えている。

 通常、一般道路のドライブでは時速30㌔ちょっと程度が相場。車が多いし、信号にも引っ掛かるから、いくら頑張っても100㌔の道のりでは、3時間は掛かってしまう。ところが、青森では2時間余で走り抜けてしまう。快適なドライブのはずだ。

 日本最大級の縄文集落跡、三内丸山遺跡見学も今回のドライブの目的の一つだった。青森インターのすぐ近くに位置しているが、まさか青森インター到着の明け方早々に訪ねる訳にもいかず、まずは龍飛崎に向かい、昼過ぎにようやく戻って来た次第。

Maruyama

 昨年、九州の吉野ヶ里遺跡を訪ねたが、こちらは日本最大級の弥生遺跡。次は三内丸山の縄文遺跡だね、とカミサンと話していた。発掘調査が大々的に新聞で報じられて以来、一度は訪ねたかった場所。

 弥生時代の吉野ヶ里は「ムラ」として機能していたし、外敵の脅威も窺えたが、三内丸山遺跡は紀元前4、5千年の時代、「ムラ」の機能も未熟だっただろう、お互いが寄り添って何とか生きていた様子が窺える。冬になれば雪に埋もれる地で生き延びて来た根性は立派。

 生憎、次のスケジュールもあって長居が出来ず、「縄文時遊館」を覗いている時間が無かった。ちょっと残念だったが、友人との約束を反故にする訳にはいかず、やむなく出発。今度は下北半島へ向かった。

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2009年9月25日 (金)

太宰治記念館「斜陽館」

 太宰治にはあまり興味無い。みのる君の思考回路は単純明快で、関心が無いとどうでも良くなってしまうし、あえて記念館なんか見たいとは思わない。一応、彼の作品を読んでいるが、大方忘れてしまっている。ところが、カミサンは違っていた。

 今回のドライブでカミサンが強硬に主張したのは太宰治記念館見学。十三湖の近くよ。素通りなんかさせない。是非、寄って頂戴。カミサンは太宰のファンと云う訳では無い。折角の機会を逃がしたくないと云う女心。バーゲンセールを見逃さない感覚。みのる君は彼女の主張を受け入れ、しぶしぶと記念館に立ち寄った。

Dazai  驚いたね。「斜陽館」は観光客で溢れていた。案の定と云うべきか、女性が多い。生誕百年記念の由。皆さん、入り口で記念撮影している。大きな屋敷内を観光客がゾロゾロと歩く。他人様の建物を見たって、別段面白いとは思わない(興味があれば話は別だけれど)。みのる君はあっさりと一巡。展示資料も数多くあったけれど、やはり関心も薄いから印象も薄い。時代を象徴するマントも展示されていた。カミサンは例によってじっくりと見て回っていた。

 五所川原は「津軽金山焼」と云う焼物の産地。斜陽館の向かいの土産物店に少しだけ展示されていた。唐津に似ているわね。カミサンは一瞥しただけ。珍しく興味を示さなかった。みのる君が知人から仕入れた金山焼のウンチクが気に入らなかったとみえる。自ら欲するモノを探し求める。カミサンの流儀に反していたようだ。人に薦められるとへそが曲がってしまう性格かしら。

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2009年9月24日 (木)

七ツ滝から十三湖

 龍飛崎からは「竜泊ライン」と云う国道を南下した。ほとんど車は走っていない。実に快適。ごくたまに対向車がやって来る程度。カーブの多い山道を下りると日本海側に出る。人家も無い。電信柱も無い。しばらく行くと、左手に「七ツ滝」が現れる。道端に車を停め、滝を眺めて暫時一服。

Nanatu  休憩中、対向車が一台通っただけ。後ろからは一台もやって来ない。長閑な寒村風景か。

 昔、「十三湖」が舞台となったテレビのサスペンスドラマがあった。どんなタイトルだったのかも、誰が出演していたのかも忘れてしまったが、荒涼とした湖の景色と湖の名前だけは印象に残っており、いつかは訪ねたいと思っていたから龍飛崎の次は十三湖と決めていた。

 七ツ滝から更に南に下ると十三湖に出る。日本海とつながっており、宍道湖同様シジミの産地の由。

 サスペンスドラマの印象を期待していたけれど、快晴の十三湖は明るい日差しを浴び、観光地化しており、ちょっと期待外れ。寂しい景色には程遠く(冬であれば違った印象だったかも知れない)、カミサンと記念撮影に興じただけ、さっさと出発してしまった。

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2009年9月23日 (水)

龍飛崎

 9月連休初日の朝は青森県津軽半島の突端、龍飛崎にいた。穏やかな快晴。北海道が目前に見える。アジサイは盛りを過ぎていた。下の道路の方から、時折、石川さゆりの名曲が聞こえて来る。

Tappi  一度は訪ねたかった場所。昔、本州最北端、下北半島の大間崎まで足を運んでおり、次は津軽半島を、と念じつつ、なかなか機会は訪れなかったが、ようやく奮起、高速料金割引セール中、しかもポイント還元中の今を置いて他にない、なんて理屈を並べ、カミサンを誘っての長距離ドライブ敢行となった。

 高速道路料金の割引セールのお陰で真夜中も渋滞するようになってしまった。福島県郡山付近は午前0時過ぎから渋滞発生と云う嫌な情報を耳にしたものだから、いつもより早目に出発したが、東北道はすでに混雑状態だった。渋滞寸前状態。車間距離も取れず、走行車線も追越車線も隙間無く車の列。この塊が時速100㌔前後で整然と移動している。危険極まりない。ヘタクソがブレーキを踏むと、途端に後方車両が一斉にスピードダウン、事故になってもおかしく無い。ヘタクソに限って追越車線を占領しているから、流れが乱れるし、無闇にブレーキランプを点灯させるから、余計に危ない。高速道路ではブレーキなんか踏むな。ブレーキは非常時のみ。これが常識なのに、ヘタクソはお構いなしにブレーキを踏む。もう少しドライブテクニックを磨け。ハラハラしながらカリカリしながら、東北道を北進。幸い渋滞にはならず、無事青森インターへたどり着いた。そこから津軽半島を北上。ちなみに、ポイント還元のお陰で高速料金はタダだった。ガソリン代のみ。安月給には有り難い制度だ。

 しかしながら、高速料金が無料になると、ルールも技術も身に付けていない輩が堂々と追越車線を突っ走るのだろうね。車線の譲り合いにはあうんの呼吸も必要だけれど、きっと、連中には分からないだろうな。事故や渋滞も頻発するだろう。これからは深夜のドライブを自粛しようか。カミサンと車の中で協議する始末だった。

 龍飛崎には吉田松陰の碑や大月桂月の碑があった。吉田松陰には少なからず関心を持つカミサンはゆかりの地を訪ねて良かったと喜び、有名な階段国道を楽しんでいた。みのる君は石川さゆりの歌に聞き惚れていた。

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2009年9月21日 (月)

文章は難しい

 ブログに書いた芭蕉の記事だけを集めて一冊の芭蕉論にまとめよう、なんて思い立ち、暇をみては編集している。ところが、これが意外に大変。云ってみれば口語体と文語体の違いか。改めて自分が書いたブログの文章を読み返してみると、大半が口語体然としていて、とってもじゃないが「芭蕉論」にはならない。勿論、書いた本人は十分に承知しているから云わんとする所は分かるけれど、歯切れが悪い。「論文」にならない。いちいち、「論文」調に修正すると、更に歯切れが悪くなってしまう。半ば勢いで書いている面もあって、冷めてみれば他愛ない感想と云う記事もある。みのる君の記念碑だから、あえて書き直さず、ブログのままでまとめよう。なんて思う事もあるが、やっぱり納得出来ない。どう折り合いを付けるか。近頃は一人で悩んでいる。文章は難しいね。

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2009年9月18日 (金)

大失態

 しばらく預金通帳に記帳していなかったので、休日、町に出たついでに銀行へ寄った。ATMに通帳を指し込み、記帳のボタンを押し、機械の照合するガチャガチャと云う音を聞きながら、しばし待機。すると、いきなり、この通帳は使えない、再確認の必要があるのでキャッシュカードを差し込めと云うメッセージが出た。

 今までこうしたエラーになった事はない。おかしいな、と思いつつキャッシュカードを取り出して、改めてメッセージを見る。このATMで使える通帳はこれです、とご丁寧に通帳の見本が明示されている。通帳の柄なんか気にした事はなかったが、どうも持っている通帳とはイメージが違う。一抹の不安もあって、とりあえず、本日の所は諦めよう。取消しボタンを押して記帳を断念したが、何気なくATMの脇に書かれている銀行名に目をやると、何と、まるで違う銀行の名前ではないか。あれ、この銀行、合併したかしら。みのる君は訝った。

 さりげなく周囲を見回すと、通帳に書かれている銀行とは違う名前ばかりが目に付く。あれれ、あれれ。もしかして、銀行が違ったかしら。表に出て、改めて銀行の看板を見れば、全くの他行。みのる君が取引している銀行はその隣りに構えている。

 迂闊にも隣りの銀行に入ってしまった次第。利口なATMが拒否するはずだ。大失態。きっと防犯カメラに、みのる君の不審な行動が捉えられたはずだ。不味いな。不味いぞ。内心苦笑しながら、隣へ入った。

 こんな失敗は初めてだった。決して記憶が衰えた訳ではない。年齢の所為ではない。思い込みの怖さだね。ないしは昼間っからビールを呑んだ所為だね。カミサンにこの一件を話したら、冷ややかな眼で見られてしまった。

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2009年9月16日 (水)

今年は秋が早い?

 7月頃から我が家の桜の葉が散り始めた。

 初めのうちはアメヒトにやられたかと思っていたが、カミサンがきちんと知り合いに頼んで消毒して貰っているから、アメヒトの被害ではない。しかし、落葉は日増しにひどくなっていく。近所の街路樹の葉っぱも散っている。ウチばかりではないとしても、我が家の桜は庭一面や道路にまで傍若無人な振る舞い。四六時中葉を落とし続けている。掃除するそばから散ってくる。お陰でみのる君が買った車は毎朝全身枯葉を覆っている始末(鳥の糞も多い!)。

 今年は冷夏かな。とにかく、異常な程の落葉。掃除が大変だし、その内近所から苦情を持ち込まれそうだ。みのる君の家の前だけ一面葉っぱだらけ。カミサンも掃除にウンザリしている様子。いくら掃いても埒が明かない。掻き集めた枯葉が駐車場の片隅を陣取っている。いい加減桜なんか切ってしまえ。みのる君の強硬意見は毎度不採用になるが、カミサンも参っている様子。異常気象の被害ここにあり、か。

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2009年9月14日 (月)

同窓会の報告書受領

 東京御茶ノ水で開いたみのる君等の同窓会の報告書が届いた。はるばる北海道から参加した原君がお得意の名調子で会の様子を詳細にまとめている。しかも写真付き。しかもメイド喫茶のチラシまで同封されており、都会の異様を伝えてくれた。昔住んでいた京王線沿線の様変わりや、仲間達と興じたボーリング場がデパートになっていたり、新宿駅で出口が分からなくなったり、大学の正門は旧態依然と、見るもの全てが新鮮だったようだ。中央線からの眺めを楽しみにしていたのに、移動はタクシーを主張した不精なみのる君のお陰でこれが叶わなかった恨みや、三島由紀夫が頻繁に利用していたホテルに泊まれたことが嬉しかったことも書いてあり、東京の風景と出席同人等の集合写真を添付しての立派な報告書だ。やむなく不参加となってしまった同人等にも同様の報告書を送り、次回の出席を促している。持つべきは仲間だ。又、企画しよう。

 用事があってその日のうちに帰ってしまった同人は、今頃所用でオーストラリアに滞在中のはずだ。餞別もせんと土産を期待するのは如何なものかと云う気もするが、きっと、同窓会の直後だから何か送ってくれるだろう、なんて思っていたら、コアラの絵葉書が一枚届いて、又、やろうと云う積極姿勢の表明だけだった。お互い多忙な世代ゆえに計画は大変だが、とにかく、次回までは互いに無事を祈って頑張ろう、諸君。

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2009年9月12日 (土)

一日に2回ISSを見られた

 過日、国際宇宙ステーションを一日に2回も見られた。滅多にないチャンスだったか。1回目は南西の低い位置から光り出し、徐々に高度をあげ、やがて東の彼方に消えていった。これを見届けてから、およそ90分後、今度は北西に現われた。2度目は条件が悪く、ごく短い時間で光を失ってしまったが、一日に2度もISSを見たのは初めてだったので大満足。翌日はほぼ真上を通るコース。最近は天候不順もあって、なかなか良いチャンスに恵まれず、今度こそは、と期待していたが、やはり曇天。厚い雲が全天を蔽ってしまい、折角の好機を逸してしまった。

 又、暫時関東地方では見られないが、青森や北海道では、低い位置ながら、この先一週間、毎日のように見られるようだ。羨ましい限りだ。

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2009年9月10日 (木)

NHKのベンチャーズ拝見

 先週末、NHKBSの「ベンチャーズ結成50周年スペシャル」を拝見。懐かしい映像を堪能。みのる君が音楽に目覚めるきっかけとなったグループ。初めて買ったレコードは、確か「ダイヤモンドヘッド」。メル・テイラーのドラムに憧れ、必死にコピーしていた時代がよみがえる。

 老境のノーキー・エドワーズの若干ぎこちない演奏やドン・ウィルソンの控え目なリズムに時の流れを感じ、過日、新聞の片隅に載っていたボブ・ボークルの死亡記事をかみしめながら彼の演奏を楽しみ、番組冒頭に出て来た中高年を誇る大勢のコピーバンドに呆れながらも、三宅裕司と中村香津美の息の合ったセッションに感心しながらも、とうとう最後まで見てしまった。今や時代遅れかと思っていたから、根強いファンの存在が心強い。未だみのる君の車にはベンチャーズが流れている。

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2009年9月 5日 (土)

祝1100回

 本日の記事が1100回目。我ながらよくぞ続くものと感心(ないし寒心)しております。

 先日の同窓会では、馬鹿馬鹿しくて読んでられない、なんて酷評も出されましたが、そんな感想が出ると云う事は、結構、熱心にご覧頂いている裏返しで、コメントの一つも寄越さんと生意気云うな、もっと素直になれ、みのる君みたいに、全世界に向って独善的自我を吹聴する体力、根性があるのか、なんて胸を張ってはみるものの、ご指摘はご尤も。謙虚に受け止めなければいけない。今後は自重し、自戒し、かつ葦の髄から天井を覗く愚を自慢しつつ、散発的にコツコツと書き留めていきたいと思う。宜しければ相変らずのお付き合いの程を。

 なお、余計な事ですが、大勢の方々にみのる君のブログをご覧頂いており、どのようなキーワードで訪問されているのか、本人自身が興味津々のため、昨日から当面の間、運営者提供のブログパーツ(「検索ワード/フレーズ」の多い順を紹介)を隅っこに掲示し、今後の励みにしたいと思いますので、ご理解の程を。

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2009年9月 4日 (金)

漱石の墓参り

 同窓会の翌日、学生時代に漱石を研究していた同人誌の主幹が、漱石の墓参りに行こうと云い出した。即座に反応したのが、みのる君のカミサン。是非、行きましょうと強引にみのる君を誘う。他の連中も異議を申し立てず、どうせ暇だし、この際、昔住み慣れたアパート周辺も訪ねてみたいし、アキバのメイド喫茶にも行ってみようなんて云い出す始末で、さすがにそこまでお付き合いは出来ないが、カミサンの希望もあるから、しぶしぶ雑司が谷霊園まではご一緒する事にした。

 雑司が谷霊園には夏目漱石の墓の他に小泉八雲の墓もあった。訪ねてみて、初めて知った次第。最近、新潟の池田記念美術館で八雲と漱石の因縁を知ったばかり、まさか雑司が谷霊園にこの因縁の二人が眠っているとは思わなかった。霊園前の花屋で花を調達し、一応墓参を済ませた。ついでに、漱石の親友だった中村是公の墓も拝見。

 是公と云えば、満州鉄道の総裁や東京市長を歴任したお方。漱石を中国旅行に誘っており、漱石は帰国後に「帰り見れば蕎麦まだ白き稲みのる」なんて俳句を作っている。その親友も雑司が谷に眠っているとは思わなかった。

 又いつか同窓会を開こう。その時までお互い無事で。池袋駅で同人等と再会を約して解散。連中は上京土産と云いつつアキバへと向った。

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2009年9月 3日 (木)

都心にリスが…

 御茶ノ水の「山の上ホテル」の脇に錦華公園と云う小さな公園がある。学生時分はしばしばここで暇を潰していた。確か、昔は古本市が開かれていたと思う。公園の隣に夏目漱石が通った錦華小学校(現お茶ノ水小学校)がある。

 山の上ホテルに一泊した翌朝。カミサンと散歩のついでにここへ立ち寄ったところ、彼女がめざとくリスを見付けた。大きな木の枝から枝へ、リスが、どう見てもリスが動き回っていた。木の実をあさっていたのかも知れない。独特の長い尻尾。どう見てもリス。

 まさか都心に野生のリスが生息しているとは思われない。逃げ出したペットかしら。慌ててケータイを取り出しシャッターを切ったが、素早くて証拠写真にはならなかった。公園のベンチには夜を明かした風情の男性が寝ており、さすが都会の光景。リスと酔っ払い。東京って凄い所だね。

 明治大学のリバティタワーの前にあるベンチにも若者が寝転んでいた。こちらは何となく親しみが持てた。昔の自分を見付けたようで…。

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2009年9月 2日 (水)

久し振りの同窓会

 32年振りに同人誌仲間の同窓会を開いた。一年前から計画していた割には諸事多忙の世代ゆえに集まりは悪かったが、懐かしい面々と久し振りの再会を果した。

 東京御茶ノ水の「山の上ホテル」のロビーへ集合、と云う掛け声で全国各地から同人が参集。当日になって不参加を申し出る同人もいる始末で、約束なんか屁とも思わない連中が集まった同人誌の仲間たちは昔と少しも変わっていなかった。

 お互い老けたねと云う常套句で始まったが、話し始めれば全員意気軒昂、風貌は変われど、精神年齢は若い時分とまるで同じ。みのる君のカミサンはちっとも変わっていないね。仲間たちからお世辞を云われ、カミサンは上機嫌の呈。ワイワイガヤガヤとロビーで大騒ぎした挙句に新宿へ繰り出した。

 新宿は人が多過ぎる。みのる君はウンザリしてしまったが、他の連中はいたって平気の様子。昔より賑やかだね、なんて云いながら人ごみをかき分け、押しのけ、日が沈む前には居酒屋に陣取って乾杯だ。昔話や近況報告に文学論、以前は無かった健康談議も交えて賑やかな一時を過ごした。アルコールを禁止されている輩もいて、結局、極めて頑強なみのる君一人がぐいぐいと呑む。長いブランクがありながら、行き会った途端に学生時代に戻れる間柄は貴重だね。

 次回は葬式か墓参か。今生の別れになるやも知れない、などと云いつつ、再会は何度あっても良し、又、企画しよう。翌日に仕事を抱えた同人を東京駅まで見送った後は、全員がホテルに戻った。みのる君は少々呑み過ぎ、さっさと休息したが、別館に泊まった連中は深夜まで懐旧談か怪しい相談で盛り上がったらしい。

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2009年9月 1日 (火)

永青文庫訪問

 週末、久し振りに電車で上京した。5月に甥っ子の結婚式で高田馬場まで出向いたけれど、カミサンと二人きりで上京するのは、多分、結婚以来初めての愚挙かと思う。

 他に用事があっての上京だったけれど、用事の前に、是非、一緒に永青文庫へ行きましょうと云うカミサンの希望で、山手線の目白駅から徒歩30分の道のりを、炎天下、やっとの思いで歩いた。こんなに歩くのかい。みのる君は例によって苦情を並び立てながら辛抱強く、しかも都内じゃ歩行禁煙、歩道には結構吸殻が落ちていたけれど、タバコも吸えない過酷な状況に耐えて、永青文庫を目指した。

 細川家の屋敷跡の鬱蒼とした森の中に永青文庫がある。都会の真ん中で蝉時雨とは恐れ入った。ちょうど「白洲正子と細川護立~最後の目利きから学んだもの~」と云う企画展を開催中で、しばし白洲正子が細川護立のコレクションから美意識を養ったと云う国宝や重文を拝見。改めて、パトロン抜きでは芸術は芸術になり得ないと云う現実をかみ締めた次第。河上徹太郎夫妻が暫時武相荘に逗留していたと云う。知らなかった。

 別館ではコーヒーを頂ける。30分も歩いた所為ですっかり汗だくのみのる君には有り難いメニューだった。

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