松島やああ松島や
日本三景の一つ、松島到着が午前8時過ぎ。すでに大勢の観光客があふれていたが、まだ朝の内。悠々と駐車場に車を止められた。眼前に島々が見える。初めて松島にやって来たカミサンが思わず口にした「松島やああ松島や松島や」。そいつは芭蕉の句じゃないぜ、田原坊と云う狂歌師の作だ。みのる君はすかさず横槍を入れる。
まず、島巡りの遊覧船に乗って小一時間の島巡りを楽しんだ。グリーン席を希望したら600円も余計に取られてしまった。乗船料金と合わせてお一人1600円。高速道路の料金より高い。
芭蕉が奥の細道に書いた「ふすものは波にはらばう。あるは二重にかさなり三重に畳みて、左にわかれ右につらなる。負るあり抱るあり、兒孫愛すがごとし」の景色は楽しめたが、「扶桑第一の好風」(いずれも岩波書店刊日本古典文学体系「芭蕉文集」より)とは云い難い。驚く程の景色では無かった。
下船して驚いた。船を待つ人々の長蛇の列が延々と続いている。さすが日本三景。みのる君らが乗船した時間帯では未だ空席も目立ったが、これから乗船する人達はすし詰め状態だろう。ご苦労な事だ。やっぱり観光は早い内が宜しい。
それから瑞巌寺を参拝。生憎本堂が修理中だったが、国宝の庫裏や本来は本堂に安置しているご本尊や伊達政宗公の位牌等が見られた。芭蕉もこの寺を訪ねているが、奥の細道には由来を記しているだけ。何故かな。芭蕉は慈覚大師が開いたこの寺や中尊寺、毛越寺、立石寺も訪ねており、何か曰くがあったか。
参道のあちこちに岩を掘って作った墓の跡も多い。中世の松島は「奥州の高野」と称せられた死者供養の霊場だった由。多くの岩窟がその名残りだ。
奥の細道には松島での句は出てこない。「予は口をとぢて眠らんとしていねられず」として、同行の曾良の「松嶋や鶴に身をかれほととぎす」(同上より)を紹介するに留めている。松島の絶景より死者供養の岩窟に驚き、「いねられず」となったか。前年、芭蕉が亡父三十三回忌の後に高野山を詣で、「父母のしきりに恋し雉の声」と詠んだ心境が「奥州の高野」で去来したかも知れない。
次に雄島へ行く。やはり岩窟が多い。奥の細道には、「雄嶋が磯は地つづきて海に出たる嶋也。雲居禅師(うんごぜんじ:瑞巌寺中興)の別室の跡、座禅石などあり。はた、松の木陰に世をいとふ人も稀々に見え侍りて、落穂・松笠など打ちけぶりたる草の庵閑に住みなし」(同上より)の様子が窺える。きっと芭蕉も眺めただろう雄嶋からの眺めをカメラに収めた。
最後は、豊臣秀吉の伏見桃山城にあった茶室を伊達政宗が貰い受け、江戸の藩邸に移築、それを二代目藩主の忠宗が松島へ移したと云われる観瀾亭を拝観。抹茶かコーヒーを頂けるとの事だったので、カミサンは抹茶、みのる君はコーヒーを頂戴した。奥に松島博物館があって伊達家ゆかりの品々を鑑賞出来る。
午後2時過ぎ、今回のドライブ計画の全てが終了、いよいよ帰路に就いた。駐車場から高速道路の入口、松島海岸インターまで反対車線は松島へ向かう車の列が切れ目無く続いていた。






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