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2009年7月の記事

2009年7月30日 (木)

暫時は瀧に籠るや夏の初

 芭蕉が奥の細道の途次、日光の裏見の滝を訪ねている。以下、岩波書店刊「日本古典文学体系」の「奥の細道」より抜粋。

 廿餘丁山を登つて瀧有。岩洞の頂より飛流して百尺、千岩の碧潭に落たり。岩窟に身をひそめ入て瀧の裏よりみれば、うらみの瀧と申し伝え侍る也。

 暫時(しばらく)は瀧に籠るや夏(げ)の初(はじめ)

 日光の三大名瀑は、華厳の滝、霧降の滝にこの裏見の滝の由。カミサンとの滝巡りの締めくくりは、芭蕉も訪ねた裏見の滝。こちらは整備された駐車場もあり、トイレもあって、寂光の滝とは大違いだった。

 車を止めて、歩く事10分程度で到着する。芭蕉も歩いただろう20余丁の道のり(みのる君はほとんど車だったけれど)を登ると、確かに岩洞のいただきから、勢い良く水が流れている。周辺の岩の間からも細い糸が垂れており、趣きがある。

 滝の裏の見物は無理だったが、しばし滝壺を眺め、涼風に当たる。暑さを忘れる。滝の裏に回って、冷気に触れていた芭蕉。盛夏、クーラーの良く利いた部屋にいると、外へは出たくない。うだるような暑さがおそろしい。この心境が「籠る(こもる)」に込められている。しばらくは涼んでいよう。3つの滝を巡ったみのる君は、すっかり草臥れていた。芭蕉と同様、暫時は冷気をたっぷりと味わった。

Urami  TBSで始まった「水戸黄門」を拝見。まさか芭蕉が登場するとは思わなかった。奇想天外、荒唐無稽。どんな展開になるのだろうか。噴飯ものながら、楽しみ。

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2009年7月29日 (水)

寂光の滝

 カミサンのオゴリで豪勢なゆば料理を賞味し、ついでに茶菓子を求めて土産物屋を物色するカミサンに付き合って、そろそろ引き上げようか、なんて云いながら車を走らせていると、「寂光の滝」の案内標識が目に入った。あら、こんな所に寂光の滝が。ここも「美の壺」で紹介していたのよ、是非、行って見ましょう。カミサンが目を輝かせてみのる君を促す。見れば、随分と狭い道。ちょっと厳しいぞ。対向車が来たらすれ違えない。みのる君は渋ったが、ご馳走になった手前、そうそう無下に出来ない。

 幸い、対向車に出会う事も無く、駐車スペースのある森に辿り着いた。その先は車では進めない。駐車場には先客の1台のみ。

 鬱蒼とした森をしばらく歩くと、若子神社に着く。その奥が寂光の滝。先客とは途中ですれ違い、滝には見物客はいなかった。ちょっと寂しい感じ。

Jakkou_3  高さ50㍍、幅6㍍で7段になっている由。日光八景の一つ。アクセスが不便が玉に瑕。曇天だった所為か、深山幽谷の雰囲気。猿に出喰わすと嫌だね、なんて云いながら、さっさと退散してしまった。

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2009年7月28日 (火)

霧降の滝

 週末、カミサンと栃木県日光の霧降の滝を見物した。みのる君が「袋田の滝」と勘違いしていた北斎の諸国滝廻りにも描かれた名瀑。たまたまNHKの「美の壺」でも紹介され、いよいよ出掛ける気になった。

 当日は、あいにくの曇り空。何とかなるだろうと云う気楽さで行ったが、その名の通り、霧降高原付近はすっかり霧に包まれていた。駐車場に車を止め、サンダルでも不自由なく歩けるよく整備された石畳や木道、石段を上り下りしながら、およそ10分程度の距離。少しずつ霧も晴れてきて、観瀑台に着くと、眼前に霧降の滝が見えた。なかなか壮観。

Kirihuri  もう少し近くで見られるのかと思ったが、滝は谷の向こう側だった。

 駐車場近くに「山のレストラン」があって、滝を見物した後、立ち寄る。テラスから滝が見られる由だったが、みのる君等がテラスでコーヒーを頂く頃には霧に阻まれ、何も見えなかった。2階には北斎の絵が飾ってあった。

 霧降高原も走ったが、10㍍先も見えない濃霧状態の中、20匹以上の猿が道路の真ん中で遊んでいた。子育てしている猿もいる。車を運転している人間様の方が猿を避けなければならない。霧降高原の猿たちは遠慮を知らぬらしい。

 日光に戻って、生ゆばのコース料理を味わった。カミサンのオゴリ。しかし、少々お高い。いくら名物とは云え、湯葉なんぞにカネを使うな。ローンの支払に悩むみのる君はカミサンを諭してしまった。

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2009年7月24日 (金)

2012年の金環日食

 皆既日食は月がすっぽり太陽を隠してしまうが、金環日食は、月が太陽を隠し切れず、ちょうどリングのような形で太陽がはみ出してしまう日食。地球が楕円軌道を描くために、太陽や月の視直径は常に変化する。その為に、こんな現象が起こる。

 この金環日食が、2012年5月21日の朝、7時34分頃に東京で見られる。皆既日食を満足に見られなかったから、多分、まだみのる君は生きているだろうから、せめては、これを期待しよう。

 「TheSky6」で、この日の東京千代田区での金環食をシミュレーションしてみた。2012年5月21日7時35分の様子。

D1205210735  月曜日の朝の7時と云えば、一番忙しい時間帯か。のんびり空を見上げている余裕は無いかも知れないが、今から休みを確保しておけば宜しいかと思う。

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2009年7月23日 (木)

26年後の日食

 曇天に阻まれ、満足に日食を楽しめずいささか悔しかった。

 次回は26年後と云う。長生きすれば見られるかも知れないが、生憎、今日まで不健康を自慢してきたから、生きている見込みは無い。せめて、シミュレーションで26年後の日食を拝んでおこう。

 例の「TheSky6」で、未来の日食を描いてみた。次回は北関東で皆既日食が見られると云うので、場所を群馬県前橋市に設定。確かに、見事な皆既日食が出現した。

D03509021008  皆既日食2分前の様子をご紹介。この2分後に、太陽は月の陰に隠れた。2035年9月2日午前10時8分。前橋市は漆黒の闇に包まれるはずだ。

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2009年7月22日 (水)

残念無念

 案の定。

 仕事の合間に空を眺めていたが、ずっとくもり空。9時半頃に微かな日差しが覗いて、もしかしたら、なんて淡い期待を寄せたけれど。やっぱり、空振り。午前11時頃は今にも雨が振り出しそうな空模様になってしまった。残念無念。曇天が恨めしい。

 食の最大を過ぎてしばらく経った11時半頃、厚い雲の隙間で太陽が淡い光を放った。千載一遇。46年に一回のチャンス。同僚が用意していた遮光ガラスで欠けた太陽を見ることが出来た。ほんの一瞬。ごく一瞬。あっと云う間に欠けた太陽は姿を隠してしまった。木漏れ日を楽しむ間も無し。大山鳴動ネズミ一匹。これも自然現象。諦めて、仕事に就いた次第。

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2009年7月21日 (火)

太陽系大紀行で日食再現

 西暦248年9月5日の日食を講談社発行の「太陽系大紀行」ソフトで再現してみた。こちらは場所を「大阪」に設定(選択肢が少ないから止むを得ずの処置)。時刻は「TheSky6」で確認した8時6分の様子。

D24809050806k  やはり日食が起こっている。但し、こちらのソフトでは部分日食みたい。分かりづらいけれど、太陽が下の方で顔を出している。

 天体の位置計算では、小数点以下の桁数処置で答えが大きく異なってしまう場合が多い。

 例えば、「0.125」の小数第3位を四捨五入すると「0.13」、第3位を切り捨てると「0.12」。元の「0.125」を2乗すると、「0.015625」となるけれど、「0.13」を2乗すると「0.0169」。「0.12」を2乗すれば「0.0144」。四捨五入と切り捨ての差は「0.0025」となる。

 実生活では些細な誤差に過ぎないけれど、天体の位置などを求める場合、この誤差では精度が悪い。ある答えを元に、次々と計算していかねばならず、小数点以下の桁数の扱いで答えがまるで変わってしまう。天文ソフトによって結果に微妙なズレが生じるのは、この桁数処置が原因かも知れない(素人判断だから的外れかも知れないけれど…)。

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2009年7月20日 (月)

西暦248年9月5日の日食

 天文シミュレーションソフト「TheSky6」で、西暦248年9月5日の日食をシミュレーションしてみた。設定場所は奈良の明日香村。

D24809050803  画像は8時3分の様子。この3分後に月が太陽をすっかり隠す皆既日食となった。九州宮崎の高千穂は8時ちょうどの頃に食が最大となるが、ごくわずか太陽が三日月のような顔を出しており、皆既日食にはならなかった模様。

 日が昇り、夜明けを迎える。人々は目覚め普段通りの生活を始めるが、7時頃から、何やら太陽の様子がおかしいと気付く。少しずつ欠けていくではないか。これは、きっと神のなせる業。大騒ぎになったかも知れない。

 この一年前の西暦247年3月24日にも日食が起こっている。その時をシミュレーションすると、明日香村では日没後に日食が始まり、最大の部分日食を迎える頃は夜の8時20分頃。あいにく日本では全く見られなかった。

 上記2例の日付は、卑弥呼と天照大神と日食を関連付けた多くの議論に登場する日付。今年5月、奈良県桜井市にある、卑弥呼の墓ではないかと云われており、古墳時代の始まりを告げるとも云われている箸墓古墳の築造年代は西暦240~260年代と報道された。卑弥呼没後に合致して、卑弥呼畿内説には有利な報道だったか。皆既日食も見られたはずだから、天照大神の伝説を絡めた邪馬台国畿内説に分がある感じかな。

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2009年7月19日 (日)

続日本紀の日食記事

 日本書紀につぐ第二の国家の正史として編纂された「続日本紀」。文武天皇元年(697年)から桓武天皇の延暦10年(791年)までの95年間の歴史を記述している。

 この「続日本紀」に「日食」の記事が72回も出てくる。日本では見られなかった日食や誤謬もある由、岩波書店の「新日本古典文学大系」で紹介している。95年の歴史で72回とは、ちょっと多過ぎる感もあり、誤謬も多いと云う検証も肯ける。が、何故、日食にこだわっていたのだろうか。もしかしたら、卑弥呼が絡んでいたのだろうか。

 慶雲四年(707年)12月の記事には、「十二月乙丑の朔、日蝕ゆる(ひはゆる)こと有り」とある。検証すると、食は「7」程度だった由。ちなみに、この日食を「ThsSky6」でシミュレーションしてみた。ちょうど、7月22日の部分日食に近い食状態だった。場所は奈良市を設定。

 当時の人々が味わったであろう自然現象が今回の日食でほぼ再現される。益々晴れを祈るばかり。照る照る坊主が必要かな。

D70712291041  この日食記事の次に、「戊辰(4日)、伊予国疫す。薬を給ひて療さしむ(いやさしむ)」と云う記事。

 その次に、詔を発して「およそ政(まつりごと)をする道は、礼を先とす」と、今でも通じるようなお触れを出している。礼儀を正せ。正史に記述する程だから、実情や推して知るべし。いつの時代も人間様の行いは変わらない。これも自然の摂理か。

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2009年7月18日 (土)

まもなく日食

 いよいよ7月22日が近付いてきた。久し振りに日本でも日食が楽しめる日。頼みの綱がお天気と云う、この時代にあっても神頼みに近い有様が可笑しいが、ともかく、晴れを期待している(ちょっと期待出来そうに無い雲行きだけれど)。

 あいにく、当日は仕事。しかし、一時の事だ、職場を巻き込んで自然の摂理を驚嘆したいと思っている。

 太陽を直に見るのは宜しくない。望遠鏡や双眼鏡で覗き込むのは最も危ない。目を傷めてしまう。ガラスに煤を塗ったり、サインペンで黒くしても駄目。白い紙に太陽の光を投影させる工夫が必要。

 「天文ガイド」では、鏡の上に小さな穴を開けた紙を置いて太陽を反射させると良い、とテクニックを披露している。両手を組んで小さな隙間を作り、足元に光を落とすのも良い、と云うアイデアも紹介している。木洩れ日を見るだけでも十分。

 東京での欠け始めが概ね9時55分、最大に欠ける頃は11時12分、終わりは12時30分頃。地域によって、時間のズレがあるものの、大体、10時半から11時前後は空に注目していたい。欠けた太陽を見るのも良いけれど、少しずつ空が変わっていく様子を眺めているのも面白い。めったに味わえない経験。空が暗くなれば、冬の星座が見られるかも知れない。強烈な太陽の光で光を失っていたふたご座やかに座、オリオン座等が存在感をアピールするかも知れない。今から楽しみ。

 「TheSky6」と云う優れた天文ソフトがある。滅法重たいソフトだけれど、重宝している。このソフトで日食をシミュレーションしてみた。場所は東京千代田区を設定。最大食0.75の頃。

D0907221112  手前の黒いのが月、後ろが太陽。肉眼では拝めないショーも、シミュレーションでは簡単に見られる。便利な事この上無い。

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2009年7月16日 (木)

芭蕉の旅への想い

 今から320年前の元禄2年(1689年)9月、大垣で「奥の細道」の旅を終えた46歳の芭蕉は、それから二年程、大津や京都、郷里を行ったり来たりの一所不住の生活を送っている。

 まず、伊勢遷宮見学に始まり、二見浦を見物して古里に帰り、それから奈良の春日大社を見物してから去来を訪ねて京都を訪問(いわゆる不易流行を言い出した頃)、大津に戻って膳所の義仲寺で越年、その後、再び郷里の伊賀へ戻る。膳所に舞い戻ってから石山寺を訪ね、幻住庵に入る。それから、京都へ上ったり、唐崎や堅田を逍遥し、伊賀上野に戻ったり、奈良で薪能を見物したり、落柿舎に泊まったり、詩仙堂を訪ねたり、風邪を引くは、腹をこわすは、実に精力的に動き回っていた。

 その前年の貞享5年(元禄1年)、奥の細道への出立前には、法事で帰郷した折に吉野行脚、高野山詣で、奈良で潅仏会を見たり、唐招提寺を見物、明石まで足を伸ばしている(笈の小文)。そして、更科は姨捨山の月を見てから江戸に戻り、いよいよ奥の細道の旅支度となる。

 出来の良い門人たち(資力と能力を兼ね備えた人々)に恵まれた事。これが芭蕉の一所不住を可能にさせた。支援者がいなければこれ程の行程を呑気にこなせるはずが無い。又、タフでなければこなせない。

 何故、芭蕉は旅の苦しさを厭わずあちこち動き回ったのだろうか。

 多分、歌枕が大きなきっかけだった。「明石」にしても「大津」にしても、「辛崎」や「更科」、「高野」や「二見」も、「不破の関」も「室の八島」も、「小夜中山」も「松島」、「内外宮」も、芭蕉が訪ねた場所の多くは、歌枕になっている。先人が残した歌枕の地を訪ねてみたい。書物を読むだけでは面白くない。追体験が大事。

 奥の細道の「立石寺」は、「人々のすすむるに依て、尾花沢より」とって返して見学に及んでいるが、歌枕でない「立石寺」の評判を聞き、恐らく予定外の行動だったのだろう、そんなに勧めるならば訪ねてみようと云う気持ちになった。だから、あえて「とって返して」と云う表現を使った。

 今日程旅のガイドブックが普及し、整備されていなかった時代には、和歌等に詠まれた地名が手っ取り早いガイドとなる。西行の足跡を辿ろうと云った発想は、みのる君が「芭蕉」ゆかりの地をドライブしよう、と発想するのに似ている。

 先人の詩歌や文章を読み、そこに描かれた見知らぬ土地を夢想する。一度は行ってみたい。単純な動機。芭蕉が現代に蘇れば、きっと車の免許を取って全国を走り回ったに違いない。

 みのる君が新車を買って走り回った1万㌔。その多くは芭蕉が訪ねた場所だった。大津、大垣、不破の関、高野山や落柿舎、唐崎や堅田、室の八島に姨捨山。石山寺に幻住庵、義仲寺、詩仙堂、浮御堂。あえて意図的に足跡を辿ったドライブ。但し、みのる君には、実際歩いて追体験しようなんて考えは無い。芭蕉の見た景色の一端を味わえれば良し。歩くなんて身体に悪い。芭蕉は実体験を通して先人の思いを味わった。

 野ざらし紀行は、「なつ衣いまだ虱をとりつくさず」と云う句で締めくくっている。

 長距離ドライブの後は、寝不足が祟って、しばし体調が思わしくない事もある。腹具合が宜しくない時もある。ビールは美味いけれど、食欲不振にもなる。40時間も寝ないでいると、身体のあちこちが不平を並べるから、元通りになるまで時間がかかる。芭蕉も同じ。

 知らない土地で便意を催す。道端の草叢が格好なトイレだが、家にいる時とは勝手が違うし落ち着かない。名物が美味しいとは限らない。背負った荷物が肩に辛い。毎晩の一宿一飯のお礼が煩わしい。野宿は腹が減るし。追い剥ぎの心配もある。昼間は汗だく。自販機も無い。喉は渇く。足に出来たマメが痛い。洗濯もままならないから、着物は汗臭いし、ホコリまみれ。風呂には入れないし、プールで泳げる環境でも無い。そりゃあ、虱もたかるわ。あぁ、面倒くさい。

 無事に旅を終えたけれど、結構、大変だったぜ、と云うニュアンスがこの最後の句に含まれている。

 でも、又、出掛けたい。奥の細道の冒頭の「道祖神のまねきにあひて」は、大変だけれど、旅は面白いぜと云う芭蕉の奥ゆかしい表現。道祖神が俺を呼んでるぜ。くだいて云えば、ネオンが俺を呼んでるぜ、と云うご同輩諸君の発想と同じだ。

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2009年7月13日 (月)

ヘビが出た

 ごくたまに、我が家にヘビが出る。新築した年のお盆に坪庭でトグロを巻いたヘビを見付けた。桜に抜け殻を発見したこともある。猫に襲われて無残な最期を遂げたヘビもいた。こんな住宅街でも野生が健気に頑張っていると感心もするが、やはり、目の前に堂々と姿を現すのは如何なものか。庭に出たカミサンが慌てて戻って来て、ヘビのご訪問を教えてくれた。珍しいから、写真を撮って頂戴。

Hebi  みのる君がケータイ片手に縁側へ出てみると、ちょうど土佐水木の幹を伝って地面に降りる所。全長は1㍍近い。一晩中、星でも眺めていたか。首の辺りはすでに茂みに隠れてしまっていたが、一応、記念撮影(写真では分かりづらいかな)。

 みのる君は大の苦手だが、カミサンは平然としている。育った環境の違いか。山歩きが好きな所為か、少しも動じない。

 あんなのが部屋に入ってきたら、どうしよう。私は、昔、座敷でとぐろを巻いていたヘビを見たことがあるわ。こっちが何もしなければ、相手だって大人しいものよ。

 少年時代、泉鏡花の「高野聖」を読んで以来、森の中や草むらが大嫌いになったみのる君だ。ヘビが道端で日向ぼっことか、上から蛭の大群襲来なんてことを想像してしまうから、自然とは仲良しになれない。

 我が庭にヘビが巣食っていると思うと、おちおち庭に出られない。当分、庭の立入は禁忌としよう。

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2009年7月12日 (日)

時期外れの花菖蒲園訪問

 NHKの「美の壺」で花菖蒲を取り上げていた。見ていたカミサンが、是非、見に行きましょうと云い出した。ちょっと時期外れだけれど、未だ間に合うかも知れない。調べてみれば、群馬県伊勢崎市に「赤堀花菖蒲園」と云うのがある。お昼はご馳走するからと云う甘言に乗って二人で出掛けた。

 案の定、今更遅い。花も人影も無い。それでもカミサンはめげずに木道を歩く。ほらほら、未だ咲いている。確かに。一輪、二輪、すっかり草臥れた花が緑に点在していた。運が良かったわ。来年が楽しみね。早速、来年の予定に組み込んでいる。

Syoubuen_2  デジカメを忘れたので、ケータイで撮影。赤堀花菖蒲園は国の指定史跡「女堀」遺構の由。高台には弁当を広げるには格好な林とベンチもあって、親子連れには楽しめる場所かな。

 みのる君は駐車場近くの蕎麦屋で生ビールのご馳走にありついた。

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2009年7月11日 (土)

ハードディスク購入

 動作緩慢、能力減退のみのる君のパソコン。新しいのを買う余裕もないから、改めて外付けハードディスクを買ってしまった。1テラもある容量で1万円ちょっと(随分安くなったものだ)を奮発。USBで常時接続。データの読み書きはこちらを頼る事にした。今までの外付けハードディスクはバックアップ用。ついでにSDカードにも貴重なデータをコピー。丸々1日半も費やしてしまったが、ハードディスク2台とSDカードに保存しておけば、不用意なデータ削除や紛失を免れる。容量が1テラもあるから当分は安心。いくらでも映像を増やせる。動作緩慢症状は大して改善されていないけれど、安定感を取り戻した感じ。信頼性も少しは回復して、ホッとしている。

 我が人生の記憶はたった1台のハードディスクに収まってしまう。やがては空しい記録と化して風化する。淋しくもあり、悲しくもあり、それ程の人生かと自省もあり、そんなものだと云う諦念もあり、つまりは、すっかりPCに振り回されている。

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2009年7月 8日 (水)

走行距離が1万㌔を超えた

 新車を買って119日で1万キロを走った。嬉しくて子供みたいにはしゃいでしまった結果か。前に乗っていたワンボックスカーは480日もかかって1万キロになった。ちょうど子供等が育っていく時代、多分、これで良かったのだろうと思う。たまの休日に家族で遠出を楽しむ程度。普段は通勤の往復に利用する位で、若い頃の無茶なドライブは控えていた。毎晩の一家団欒を肝に銘じていた。

 子供等が独立独歩の道を歩み始め、親との協同一致の時間を取らなくなってから、カミサンと二人のドライブが多くなった。そして、それまで控えていた無茶なドライブ癖が甦ったかな、元来尻が軽いから(フットワークが良いから)、深夜の走行も厭わず、あちこち遠出を楽しむようになった。

 車の燃費向上も一役買っているし、ETCの割引も大きな弾みだ。燃費は4割向上。高速道路は千円走り放題。とは云え、燃費が良くなっても、ガソリン単価が5割近く上がっているから、燃料代は前の時と比べると1万円程度の違いにしかならない。せっかく燃費が良くなっても、かかる費用は同じ。何となくエコにごまかされたような感じだ。

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2009年7月 4日 (土)

カミサンの買物にお付き合い

 京都の最後は、カミサンの買物にお付き合いだ。

 糺の森から京都御所へ向かい、御所脇、寺町通の駐車場に車を預けた後は、わざわざ御所を抜けて寺町へ。ちょうど店が開く時間帯。まずは一保堂へ寄りたい、松栄堂にも行きたい、唐長も覗いてみたい、亀屋良永でお土産を買いたい、骨董も見たい、カミサンは意気軒昂そのもの。ずっと運転手を引き受けているみのる君は歩くのは苦手。かつ、いつものサンダル履きだから、長時間歩行には不向き。半ば自棄の状態でカミサンに従った。

 結局、寺町通から烏丸通まで、丸太町通から御池通を過ぎて三条通近くまでの区間をぐるり一周するようなコースを歩いてしまった。梅雨の晴れ間の炎天下、散々なお付き合いだった。途中、コーヒー店で一服、一保堂で煎茶を頂戴して何とか命拾いの有様。カミサンは大方の目的を果たして満足の呈。

 昼過ぎに駐車場を離れ、三千院近くで遅い昼食。そのまま若狭街道を北上、朽木から高島へ抜けて敦賀へ。そこから北陸道に入る。尼御前SAでちょうど日没。しばし沈みゆく太陽を眺めて過ごし、後はひたすら関東地方に向けて驀進。日付が変わって、高速料金が一律1000円になったばかりの時間に高速道路を降り、程なく無事に帰宅。

 今回は高級ホテル一泊と車中泊での熟睡が功を奏して、サービスエリアでの休憩がほどんど無し。まだまだ頑丈を再確認したドライブだった。

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2009年7月 3日 (金)

糺の森

 堅田の後は、比叡山経由で京都に戻った。次なるお目当ては糺(ただす)の森。京都の町なか、下鴨神社境内にある世界遺産に登録されている原生林と云うから楽しみにしていたけれど、ビックリするような森では無かった。九州高千穂神社の森には負ける。樹齢何百年とおぼしき老木を期待したけれど、そんな木はほとんど見当たらなかった。むしろ、都会の真ん中で原生林を守って来た強大な力に圧倒される。さすが古都。Tadasu

 入口からすぐの所に河合神社があり、ここに鴨長明の方丈が再現されている。斜に構えた人生を送った鴨長明が、あちこち転々とする内に編み出した方丈の建物。移動可能な組立式の家屋。今風に捉えればプレハブ小屋か。なかなか斬新。

 下鴨神社にも寄ったが、ちょっと早い時間帯だった所為か、準備中の雰囲気、清掃に追われていたので、早々に立ち去った。

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2009年7月 2日 (木)

近江八景

 去る3月に大津をドライブした折に石山寺と三井寺を拝観したが、ついでに瀬田の唐橋も眺め、近江八景の3ヶ所は巡ったね、なんてカミサンと話していた。石山寺は「石山の秋月」、三井寺は「三井の晩鐘」、唐橋は「勢多の夕照」。機会があれば残りも見たいな。カミサンの興味はすぐに肥大する。

 カミサンの京都での一大行事が終わり、その晩は琵琶湖畔の道の駅で仮眠。明け方、南下して比叡山経由で京都に 戻ろうと云う事になり、しばらく走っていると、左手に近江八景の一つ、唐崎の松(唐崎の夜雨)の案内板が見える。うっかりしていたが、芭蕉の句にも出てくる辛崎の松じゃないか。花よりおぼろなみのる君の記憶。直ちに唐崎神社に立ち寄って、一応拝見に及んだが、句碑を見損ねてしまった。旅の疲れも出てきた頃か。

 更に少し走っていると浮御堂の案内が出てくる。今度はカミサンが騒ぐ。ほら、浮御堂よ、寄りましょう。確かに、ここも芭蕉ゆかりの場所だ。「堅田の落雁」と云う近江八景の一つでもある。朝が早いから寺なんか開いていなかったが、一応、記念写真を撮る。Ukimidou

 これで、近江八景の内、5つを巡った事になる。「比良の暮雪」は比良山系で、ドライブ中この山並みは遠くに見えていたから(雪の季節では無かったけれど)、これを加えれば6つ。残りは「粟津晴嵐」と「矢橋帰帆」。しかし、当分は訪ねないだろうね。

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2009年7月 1日 (水)

金福寺再訪

 天満宮の後は、鞍馬へ行ってみたいと云うカミサンのご要望に応えて車を走らせたが、存外に狭い道が続く。貴船方面にも行ってみたが、やはり狭い道路。川床料理店が道の両側にひしめいているばかり。別段、面白味も無かった。

 それから、垣根で有名な光悦寺を参拝してから、みのる君のお目当ての金福寺へ向った。

 その昔、京都遊学中の東海二君を伴って訪ねた思い出の寺だ。与謝蕪村の墓があり、俳句愛好家には好まれそうな寺。芭蕉庵もある。海二君と偶然立ち寄って以来の訪問だから、随分と経っている。景色は変わっただろうか。再訪を楽しみにしていたが、訪ねてみれば、狭い住宅街の一角とあって駐車場が無い。刻々と夕暮が近付いてくる。そんな時、ちょうど近くを巡回中の若い警察官が目に入った。藁をも掴む思いで警察官に近所の駐車場の在り処を訊ねると、生憎近くには無い、立場上推薦は出来ないが、パチンコ屋があります、と頼り無い返答。仕方ない、きっと有名な詩仙堂には駐車場位あるだろうから、そっちへ回ってみよう。みのる君は時間を気にしながら、詩仙堂へ向った。

 案の定、車を止められたが、500円も取りやがる。

 詩仙堂をあっさりと見学してから、狭い道路を右へ左へと足早に歩いて、見学時間終了15分前に金福寺にたどり着いた。何とか間に合った。

 短い時間では落ち着いて芭蕉庵を眺める余裕など無かったが、久し振りの金福寺。景色は少しも変わっていなかった。東海二君と芭蕉庵に腰を下ろして眺めた京都市街もそのまま。蕪村の墓もそのままだった。変わったのはみのる君の風貌のみか。メタボ予備軍。

 暫時感傷の時を味わう余裕も無く、あえなく時間切れとなってしまった。

Konpukuji

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