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2009年4月の記事

2009年4月30日 (木)

カミサン奮起す

 何を思ったか、昨日一日カミサンは大掃除に精を出した。北風も治まって、天気も良かった所為かな。物置と化していた茶室の荷物を一掃し(但し、モノを移動させただけ)、一冬の間に積もり積もったホコリを掃除機で吸い取り、畳を念入りに拭いて、一応きれいになった。居間のあちこちに散乱していた読みかけの書物もすっかり片付け、ようやくまともな部屋に戻った。広間に広げっ放しだった茶事で着ていた幾つもの着物も元通りに収まって、やれば出来るじゃん、随分とすっきりしたね、みのる君が労をねぎらえば、そうよ、今日は頑張ったの、と鼻が高くなっていた。連休は暫時家を留守にするから、とりあえず身の回りを整理する気になったのだろうか。殊勝と云えば殊勝。が、片付けが終わると、身から出たサビには目を瞑って、疲れた、疲れたを連発して妙に威張っている。大したモノだ。

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2009年4月29日 (水)

相変わらずタフなカミサン

 明治村の茶会に顔を出した後、カミサンは立て続けに3つの茶会に参加した。いずれも地元ではない。離れた場所の開催。地図を広げ、道を確認しては出掛けて行ったが、何度地図を眺めてもなかなか位置を把握出来ないカミサンだから、一度はみのる君を駆り出して下見に及ぶ始末。みのる君こそいい迷惑さ。みのる君がせっせと働いている間に茶事三昧。明治村へ出掛けていった前の日だって東京で稽古。無職のくせに贅沢極まりない。合間に自宅で稽古。よく体が持つものだと感心するが、夕食後の惰眠が日課になっているから、何とか続けられるのだろう。女はタフでなければ生きていけない。でも、少しは家計にも気配りして貰いたいところだ。

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2009年4月28日 (火)

国宝安楽寺八角三重塔

 長野県上田市別所温泉に国宝の三重塔がある。前々からカミサンが訪ねたかった地。

 姨捨見物の後、更に北上を企てていたみのる君だったが、突然、カミサンが八角三重塔の事を思い出したようで、南に下りましょう、上田の安楽寺の国宝を是非観たいと云い出した。いきなり予定を変えろと云われても困る。こっちだって都合がある。前年、飯山のレストランを捜し求めて失敗した経緯があって、今度こそくだんの店を見付けるぞ、なんて気合を入れていたから、今更予定の変更は認めない。みのる君はカミサンの動議を拒否したが、結局、押し切られてしまった。しぶしぶ車の向きを変える。みのる君の心優しい一面。

 安楽寺は別所温泉街にある。到着した頃は、すでに温泉街に観光客があふれていた。狭い道をゆっくりと進む。こんな所に国宝かい。猥雑な通りを抜けると、鬱蒼とした森に囲まれた寺が現われた。

 鎌倉の建長寺などと並んで日本では最も古い禅寺の由。今は曹洞宗の寺。昔は栄えていたと云うが、今は昔。温泉客の物見遊山に格好な古刹。

 一見四重塔だが、一階部分の上は裳階(もこし。庇又は露よけの類)となっている由。八角形の塔はこの安楽寺にしかないと云う。周囲は墓地になっていた。文化財と一般庶民の生活が一体となった雰囲気。火気厳禁に付き、墓参の際、必ず線香の火は消すよう注意書きがあった。

 念願叶ったカミサンはじっくりと観ていた。みのる君は例の如くあっさりしたもので、一巡でお仕舞い。

Anrakuji

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2009年4月27日 (月)

更科姨捨月之辨

 元禄元年(1688)8月、45歳の芭蕉が思い立って、更級の月を見に行く。「更級紀行」の旅。俳文にも同様の内容がある。「更級姨捨月之辨」。以下、岩波「日本古典文学大系」より引用。一部現代表記。

 あるいはしらら・吹上ときくにうちさそはれて、ことし姨捨の月みむことしきりなりければ、八月十一日美濃の国をたち、道とほく日数すくなければ、夜に出でて暮に草枕す。思ふにたがはず、その夜更科の里にいたる。山は八幡といふ里より一里ばかり南に、西南によこをりふして、すさまじう高くもあらず、かどかどしき岩なども見えず、只哀れふかき山の姿なり。なぐさめかねしと云ひけむ理しられて、そぞろにかなしきに、何ゆへに老いたる人をすてたらむとおもふに、いとど涙落ちそいければ、

 俤は姨ひとりなく月の友
 いさよひもまださらしなの郡哉

 「或いは白浦・吹上」とは平曲等で有名な月の名所。噂に聞く姨捨の月を見たい。思い立った芭蕉は弟子の越人を伴って、8月11日に美濃を出発。木曽路を必死に北上してぎりぎりセーフ、名月に間に合う。古今集にも歌われている「わが心なぐさめかねつ更科やをばすて山に照る月を見て」(詠み人しらず)や伝説を念頭に、成程「なぐさめかねし」とはよく云ったものだと感心し、姨捨の月に涙する。月を見ていると、一人泣いている姨の面影が浮かぶ。今宵の月はこれを友にしよう、と云った句意。深沢七郎の「楢山節考」でも有名。

 過日、カミサンと姨捨に行ってきた。ひとつ、下見でもしておこうか。いつか我等も捨てられるかも知れない。近頃、新車を乗り回して、あちこち出掛けているが、どうせ行くなら、芭蕉ゆかりの地も宜しい。一度は訪ねておこう。

 休日の昼、姨捨観光会館には一台の観光バスが止まっていた。年寄りの一団だった。きっと、連中も下見に違いない。みのる君が軽口を叩くとカミサンに睨まれてしまった。

 生憎冬が終わったばかり、「田毎の月」をめでる棚田に風情はなかった。時期が悪かったかな。水田に水が張られた頃は、きっと壮観だろうと思う。

 長楽寺には多くの句碑がある。いちいち見て回るのも面倒、芭蕉面影塚だけじっくりと拝見して、眼下に川中島を配した月見堂(写真の堂。自由にお茶が飲める。但し、100円)でお茶を頂いた。

Obasute

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2009年4月26日 (日)

馳走になる

 3月に学校を卒業し社会人になった息子は連日泊りがけの研修に明け暮れ、ほとんど留守にしていたが、ようやく基礎研修も終了、自宅から通勤を始めた。そして、初めての給料を手にし、早速、両親に御馳走しようと提案してくれた。よく出来た倅だ。好きな店で、好きなモノを、好きなだけと云われたが、さて、弱った。親たちの行き付けの店は蕎麦屋ばかり。せっかくの申し出を蕎麦で済ます訳にはいかない。暫時思案。考えてみると、最近は手近を決め込んでいるから、ちょっと気取った店を思い付かない。呑みにも行かなくなったから、その方面も疎い。まさかファミレスでは按配悪いし。ようやく昔何度か足を運んだイタリアンレストランを思い出し、あそこなら息子の懐にも相応だ。カミサンに異論はない。早速、仕事を終えて帰宅した息子と連れ立って、久し振りの外食。前菜からデザートに至るコースを頂いた。勿論、喉を潤すアルコールも頂戴して、カミサンもほろ酔い気分、すっかり良い心地の一晩だった。健気な息子に感謝。都内で研修中に金欠になった息子がSOSを発信して来たので、若干用立ててやったが、それも返済に及び、なかなかしっかりした心構えだ。

 蛇足だが、近頃はネット上で送金出来るから便利。パソコンの操作一つでお金が動く。みのる君が学生時分には考えられなかった事だ。金の無心に電報を使う必要もなくなった。カネオクレ、タノム。みのる君の常套句は死語になった。

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2009年4月22日 (水)

久々に旧友と再会

 三畳一間に下宿していた旧友と久し振りに会った。みのる君達が同人誌を作っていた頃の親分、大谷薫だ。明治村へ行ったついでに、ちょいと足を伸ばして、君のご尊顔を拝する。事前に時間を確保しておいて貰い、当初の時間より大分遅れたが、何とか薫君と再会を果たした。お互い老けたね。などと常套句を並べた後は、近くの喫茶店で長談義。こっちは車だし、泊る予定は考えていないから、呑む訳にはいかない。アルコールは又の機会に譲って同席のカミサンも会話に加わって積もる話を次々に連発、最後は店員さんにシャッターを押して貰って記念撮影。あっと云う間に時が経ってしまった。

 東海北陸自動車道が富山までつながっている。帰りはこの道を走ろう。家に着く頃、高速料金は1000円になっている。高速道路が整備されているから、会おうと思えばいつでも会える。近くなったものだ、薫君。コンピュータも覚えた方が宜しい。膨大な書物に埋もれていては世界を見失うぞ。書を捨てよ。なんて檄を飛ばして解散。朝6時から夜の8時近くまで岐阜周辺を走り回った一日が終わった。

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2009年4月21日 (火)

明治村茶会

 みのる君のカミサンが、無謀にも遥か遠地の明治村の茶会に参加したいなんて云い出して、送って頂戴と駄々をこねた。申込締切日にいきなり云われても困る。こっちだって都合があるけれど、新車に有頂天のみのる君は二つ返事さ。任せておけ。CDもたっぷりHDDにダビングした所。一晩中走っても全部を聴き終わらない位好みの音楽を保存したばかり、ちょうど良い、賑やかなエイトビートを聴きながらドライブを楽しもう。ついでに芭蕉ゆかりの地も訪ねよう。瞬く間に計画が完成、先週末、カミサンと近畿地方ドライブと相成った次第。

 午前中に受付を済ませたいと云うので、関ヶ原や大垣観光はほどほどにして、何とか11時半には明治村に到着。カミサンは揚揚と入っていった。みのる君は燃料を補給してから入場。

 明治村は4度目。毎回漱石の住居は欠かさず拝見。今回は幸田露伴の住居「蝸牛庵」を観たいと思ったが、生憎茶会の待合になっており、何となく入りづらい。茶会の参加者(オバハン達。カミサンも同類だからこれ以上は云わない)が大勢うろついているし、写真だけで我慢。

Kagyuu  徹夜の運転疲れ(前夜11時半に関東地方を出発)もあって、あちこち見て回る元気もない。村の横にある入鹿池をぼんやり眺めているとカミサンからケータイに電話。今、何処にいるの、点心のところてんがあるから食べましょう、なんて誘う。西園寺公望別邸の「坐魚荘」での茶席は上々の首尾だった模様。機嫌が宜しい。

 ところてんのご相伴に与った後は、カミサンと漱石住居を見物。中を拝見。

学習院長官舎での茶席まで時間を持て余していた由。早い所終わりにしてほしい。この後も予定がある。みのる君はいささか憔悴。カミサンは好きな茶事に没頭しているから、一向にへこたれない。もう少し待って頂戴。さっさと待合の方へ戻ってしまった。

 茶会が終わり、明治村を離れたのが午後4時半。近くに住む古い友人が首を長くして待っている頃合いだった。

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2009年4月20日 (月)

奥の細道むすびの地

 芭蕉が「奥の細道」の最後の地は「芭蕉元禄の街大垣」と賑やかに宣伝する大垣市。芭蕉がポン友の谷木因を訪ねて旅を締めくくった場所。一度は訪ねたい。みのる君の積年の願いが叶って、先週末、カミサンと出向いていった。相変わらず高速道路の深夜割引時間帯を狙って、夜通し運転、明け方に関ヶ原に到着。休む間もなく大垣まで引き返して、芭蕉が記念の場所へ辿り着いた。

 駒にたすけられて大垣の庄に入ば、曾良も伊勢より来り合、越人も馬をとばせて、如行が家に入集る。前川子、荊口父子、其外したしき人々日夜とぶらひて、蘇生のものにあふがごとく、且悦び且いたはる。旅のうさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の迁宮(遷宮)おがまんと、又舟にのりて、「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」 (岩波日本古典文学体系「芭蕉文集」より抜粋)

 大垣城の外堀だった水門川の一角に「蛤塚」や「奥の細道むすびの地記念館」がある。整備された水門川に到着したのは午前7時。滅法早い時間帯。時間が限られていたから、少々急ぎ旅だ。川沿いに車を止めて、しばし芭蕉句碑を見て回った。なかなか落ち着いた街並み。河畔には芭蕉と木因の像があって鼻白んだが、観光名所だから止むを得まい。一応観光客だから、写真を撮る。

Oogaki1  記念館が開くまで大垣城を見物。ついでに城の前に喫茶店があって、久し振りにモーニングサービスを味わった。こちらは未だにこのサービスが健在だった。380円でトースト、サラダに卵付きのコーヒーを楽しんだ。

 奥の細道むすびの地記念館には芭蕉の足跡や谷木因の人となりが展示してあった。ここに喫茶室があって、もう一度モーニングサービスにありついてしまった。こちらは350円。サラダなし。深夜強行ドライブ敢行だから、こうしたサービスは嬉しい限り。

 物見遊山に伊勢の遷宮を見に行った芭蕉が木因宛てに、「此度さまざま御馳走、誠に以って痛み入りかたじけなく存じ奉り候」と書簡を送っている。ポン友への配慮。大事なことだ。

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2009年4月19日 (日)

笹尾山石田三成陣跡

 朝6時、笹尾山の石田三成陣跡に立った。小雨模様の曇天。眼下には400年以上も前に東西勢力十数万が対峙した関ヶ原が広がる。芭蕉が野ざらしの旅の途中に立ち寄った不破の関も近い。常盤御前の墓も近い。薮も畠も宅地に変わり、天下分け目も今は昔。長閑な朝の景色が広がっていた。

Sekigahar  今回のドライブの目的は他にある。のんびり史跡巡りの余裕はない。つかの間昔日を偲び、決戦地と桃配山の家康最初陣跡を訪ね、慌しく関ヶ原を離れてしまった。

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2009年4月17日 (金)

室の八島

 芭蕉が「奥の細道」に旅立った元禄2年(1689年)3月29日、栃木県に入り、室の八島を訪れている。以下、奥の細道の一節(岩波書店「芭蕉文集」より抜粋。一部現代表記)。

 室の八嶋に詣す。同行曾良がいわく、「この神は木の花さくや姫の神と申して富士一体なり。無戸室(うつむろ。古事記、日本書記の神話を引き合いに出した話)に入りて焼きたまふ誓いのみ中に、火々出見命(ほほでみのみこと)生れたまひしより室の八嶋と申す。又煙を読み習わし侍るもこの謂れなり。」 はた、このしろ(「こはだ」の類。焼くと人を焼く臭いがするので焼くのを禁止された由)といふ魚を禁ず縁起の旨世に伝ふ事も侍りし。

 神話に出てくるこの花咲くや姫とニニギノミコトの一夜の契りの話が元になった「室の八島」は栃木県栃木市の大神神社(おおみわじんじゃ。奈良県桜井市の大神神社<大三輪神社>の分霊を祀る神社で栃木県最古と云われている)にある。みのる君の住む場所からそう遠くはない。一度は訪ねてみようと云う事で、過日、カミサンと行って来た。

 鬱蒼とした森の中に小さな池が八つあるだけ。年に何度か例大祭が開かれる由だが、みのる君が訪れた時は閑散としていた。老夫婦一組が境内の椅子に腰掛けて弁当を頬張っていただけ。芭蕉が「奥の細道」でも前述の文章を残した程度の地。由緒あっても古色蒼然。こんな平野部に泉が湧くのかな。池には恰幅の良い鯉が泳いでおり、一箇所から水が湧いていたが、何となく人工物の感じもする。水は淀み、木立から空を見上げるとジェット機が飛んでいた。長閑な光景。

Hikouki  同行した曾良の「曾良書留」に、「糸遊に結びつきたる煙哉」と云う芭蕉の句を残しているが、「細道」には載せていない。多分、古来より歌枕(和歌の引き合いに出される定番の地名。名所)として有名な「室の八島」(「煙たつ室の八島」と具合に「煙」の引き合いに使われる。大江匡房の「煙たつ室の八嶋にあらぬ身はこがれしことぞくやしかりける」といった歌がある)に使われており、どんな場所だったのか、芭蕉自身の眼で確かめたかったのだろう。

 実際に訪ねてみれば、何だこりゃ、と云った感慨だったか。平安の昔から言葉だけが先行してしまった地。東国の外れは歌にはならない。「糸遊」は陽炎の事。陽炎と歌枕の煙を結び付けただけのヤケクソ気味の句。一応、句碑があったので写真を撮った。

Itoyuu

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2009年4月15日 (水)

「つま恋2006」の続き

 久々に録画しておいた吉田拓郎の「つま恋2006」を観た。NHKハイビジョンが生中継したコンサート模様と後日NHKのプレミアム10でつま恋を紹介した番組の2本。これまで全く気が付かなかったけれど、とんでもない違いがあった。

 コンサート当日のハイビジョン番組の「今日までそして明日から」を録音し、しばしば車で聴いていたから、改めてプレミアム10で同じ曲を聴いて、大いに驚いてしまった。

 プレミアムの方はエレクトーンかな、鍵盤楽器の旋律が鮮やかに聞こえて来るではないか。ハイビジョンとまるで違う。慌ててハイビジョンの方を再生してみると、ほとんど聞こえて来ない。ギターの刻みばかりが目立つ。

 成程。ミキシングの威力だね、凄いものだ。みのる君はすっかり感心してしまった。

 生中継ハイビジョン放送中の慌しい音の編集と、後日、たっぷり時間を使って編集したものの違いか。ミキシング担当の好み(かどうか知らないけれど)の入った音作りの違いか。これほどはっきり出ているとは思わなかった。

 カミサンに聞かせてみると、よく分からないと云う答え。違いを的確に把握出来ないと云う。情け無い奴だね。カミサンはむくれてしまった。

 ミキシングを侮れない。意図的編集も可能。音についても、はなから信用せず疑ってかかる必要があるかも知れない。ナマを聴けと云う事かも知れない。

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2009年4月14日 (火)

昔のTV番組をダビング

 みのる君が買った車にはカセットテープを再生する機能が無い。今時カセットも無いが、長年にわたってため込んできたカセットの音楽資産を楽しめないは残念。ドライブの楽しみも半減、なんて少々落胆していたが、今度のオーディオはハードディスク搭載で2千曲位保存出来る、これはスゴイ機能、気分を切り替え、せっせとCDの曲をハードディスクに取り込んでいる。専らフォークソングや賑やかなエイトビートばかりだけれど、カセットに劣らず、CDも結構沢山持っている。これらを毎日の通勤途上でダビング作業、セットしておけば短時間で自動的にダビングされる機能を活かして、少しずつ楽しみを増やしている。

 更に、この新しいオーディオ装置はDVDも楽しめる。これも魅力的。80年代終わり頃からテレビで放映された映画をビデオに録画、洋画、邦画合せて千本以上を集めて来たが(今ではすっかり熱も冷めてしまい、又、VHS時代も終わり、収集癖は頓挫してしまったが)、テレビの音楽番組も数多く録画してきた。これをDVDにダビングしよう。いよいよドライブが楽しくなる。

 久し振りにずっと昔に録画しておいた音楽番組を再生してみた。懐かしい映像がたっぷりとある。中には録画したものの、一度も観ていなかった番組もあった。よくぞ残しておいた。休日、みのる君は一人悦に入りながらダビング作業に専念した。加山雄三もキャンディーズも拓郎も、クレージーキャッツもドリフターズも、みんな若かった。因幡晃が出ている番組もあった。高田渡や小室等も録画していたなんて、すっかり忘れていた。杉田二郎は相変わらずだった。深夜のワイドショー11PM最終回も残っていた。

 これら映像資産の中から、みのる君好みの曲を一つずつ再生しながらダビング。山本リンダの「どうにもとまらない」もダビング、ドライブにぴったり。益々長距離ドライブが楽しくなる。

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2009年4月12日 (日)

会計監査が終わった

 一年振りに自治会の会計監査の仕事がやって来た。昨日、2時間近くかけて入出金をチェック。ざっと目を通しながらの作業だったが、それでもおかしなな点が見付かる。3万円を超える領収証に印紙が無い。お店側のうっかりミスだね。自治会活動には問題無いから良しとしよう。雑収入があって、その内一部が分担金で天引きされている。差引額だけ計上されているけれど、本来なら入金と出金とに分けて伝票は2枚必要じゃないの。厳密主義のみのる君が指摘は、残高一致だからこれで良いと云われる。厳密はほどほどが宜しいか。大勢に影響も無いし、どっちでも良い事だし。一応、会計監査の役目を果たしたまで。

 今期で自治会長も役を降りると云う。役員が大幅に入れ替わるそうだ。総会でグチャグチャ意見を言う人たちに役をやって貰った方が良い。みのる君が云うと、新年度の役員は、そうした一家言を持つ人たちばかりに押し付けた由。さすが自治会長だ。口ばっかりの人たちも少しは運営の苦労を味わった方が良い。

 みのる君の定年は何時、なんて遠い先の事を訊ねられたが、まさか役員の席を用意するつもりじゃないだろうね、あまり関わりたくないのが本音、あわてて当分現役を強調。来週の総会は都合で出席出来ない。もう一人の監事に会計監査報告をお願いして早々に退散してしまった。組長、監事と3年続いた自治会の役がやっと終わった。

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2009年4月11日 (土)

桜が咲いた

Sakura09  今年も我が家の桜が几帳面に咲いた。何だかんだとみのる君がケチを付けているが、桜は一向に意に介さず、毎年律儀に花を咲かす。ご苦労なことだ。これに群がる毛虫や鳩君たちが品行方正であれば文句は云わないが、人間様と同じで、花見の後始末が悪い。買ったばかりのみのる君の新車にフンを落としていくものだから、愛車が台無し。お手入れ苦手な性分でも、耐用年数に係わると聞けば気になってしまう。

 カミサンの要望で、新車にはピカピカを維持する特別なコーティングを施している。コーティングは鳥のフンに対応していない、すぐにフンを除去しないと折角のコーティングが無駄になります、なんてディラーに脅かされているから、余計に心配。

 もう少しお手入れを。みのる君への鳩君たちの温かい警鐘かしら。時折、枝に止まった鳩君が喉を鳴らしている。

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2009年4月 9日 (木)

おそろし雉子の声

 元禄3年3月、故郷の伊賀から膳所へ向かう途中の芭蕉の句、

 蛇食ふと聞けばおそろし雉子の声

 古来、キジの声は哀しいものと相場が決まっているが、あのキジが蛇を喰うと聞けば恐ろしくもある、と云った意味。夢と現実のギャップ。

 みのる君のカミサンは日課の散歩で時折キジの声を聞くと云うが、蛇をくわえたキジを見付けたら、きっと興醒めも甚だしいだろうね。雉子も鳴かずば撃たれまい。大人しくしていれば夢は続く。

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2009年4月 8日 (水)

行く春を近江の人と惜しむ

 元禄3年(1690年)3月、47歳の芭蕉が膳所滞在中の句、 

 行く春や近江の人と惜しみける

 前書に「志賀辛崎に舟をうかべて、人々春の名残りをいひけるに」とある。近江の門人達と春を惜しんだ、と云っただけの句だが、「湖水朦朧として春を惜しむ」と去来の弁にある通り(膳所蕉門の尚白(しょうはく)が「近江は丹波に言い換えられる、行く春は行く年にも換えられるとケチを付けた所、去来がとんでもないと芭蕉を弁護した去来の自慢話~去来抄~)、琵琶湖の風雅を詠み込んだ句。語呂も良い。みのる君の好きな句の一つ。

 前述の「行く春や」は「真蹟懐紙」にあり、「猿蓑」では「望湖水惜春」と前書して、「行く春を近江の人とおしみける」となっている。改変しており、芭蕉自身も気に入っていたか。義仲寺の句碑には「芭蕉桃青」とあった。

Yukuharu  この時期、芭蕉は義仲寺の草庵を主宿にしていたが、4月になってから幻住庵に移った。

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2009年4月 6日 (月)

ようやく一段落

 息子の引越し荷物も大方収まって、我が家もようやく平穏の日々に戻った。6年間の遊学を終えた息子は、帰郷後、すぐに社会人となり、連日泊り込みの研修中。週末に戻って来て、久し振りに家族全員が夕食を共にしたが、翌朝は世話になった方へご挨拶に伺い、再び、研修先へと向かってしまった。親の役目も終わったかな。

 京都の利休忌に参加したカミサンは、その日の午後は友人と京都見物。お互い着物姿で町を闊歩した様子。友人からメールで写真が送られて来たが、見れば、満開の桜の下でにこやかに笑っている。みのる君が息子と引越し騒ぎの最中だったと云うのに、呑気な事だ。たまには命も洗濯も必要だろうが、この一週間は疲れが出たのかな、毎日ゴロゴロしていたぞ。みのる君は精一杯仕事に励んでいるのに、幸せな御仁だ。

 ようやくさまざまな事が一段落した。カミサンは就職活動を再開する由。みのる君は厳しい現実に立ち向かっている。息子はしばらく研修三昧。娘はマイペースを決め込んでいる。我が家の桜もほころび始めた。

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2009年4月 4日 (土)

根本中堂から京都へ

 カミサンの友人には更に遅くなると一報して貰い、来たついでに延暦寺まで足を伸ばした。親父、お袋が眠るお寺さんは天台宗だ。その総本山を素通りしては坊主に叱られる。せめて根本中堂を拝観しなければ。みのる君にとって初めての比叡山。昔、東海二君と登頂を試みた山へ行ってみようと云う事になり、午後の遅い時間、颯爽と新車を操って、山に登った。有料道路とは思わなかった。

 延暦寺前の駐車場はすでに閑散としていたが、それでも、何台かの観光バスも止まっている。まだ間に合ったかな。車を降りると寒い。カミサンは身震いする始末。友達を待たせているから、早々に引き揚げましょう。

 ずっと、比叡山は初めての場所だと思っていた。昔から一度は訪ねたい場所の一つにしていたが、車を降りて歩き出すと、何となく見覚えがある感覚。おかしいな。少々訝りながら根本中堂の前に辿り着いたが、やはり、記憶がよみがえってくる感じ。買ったばかりの御朱印帳に参拝記念を書いて貰い、この総本堂へ入ったが、紛れも無い、確かに来た覚えがある。中堂内陣では大勢の観光客が有難い説教を聴いていたが、1200年もの間絶やした事の無い不滅の法灯の説明にも覚えがあった。一体、いつ頃訪ねたのだろうか。全く記憶が無い。しかし、間違いなく来ている。来たはず。まさに既視感。普段から神などほっとけ(仏)派を自認しているみのる君の不思議な体験だった。

Konpon

 比叡山から眺める琵琶湖や夕陽に映える京都市街はなかなかの見ものだった。

 延暦寺から小一時間で京都大学の正門前に到着。懐かしい立看板が林立している。待ち合わせ場所にカミサンの友人の姿が見えない。おかしいぞ。カミサンはケータイでお互いの所在を確認し合うが、通りの名前を云われても分からない。関東者は訳も分からず、ウロウロするばかりだ。何度か通りを行ったり来たりして、たまたま信号待ちで停車したら、歩道の向こうに彼女が立っていた。カミサンは車内から手を振るが、分かるはずが無いだろうに。しかし、すぐに相手も気付いた様子。車の合間を縫って駆けて来る。信号が青になった所で、彼女到着。慌てて車に乗り込み、周囲に迷惑をかけずに済んだ。

 彼女の研究室へ案内され、お茶を頂戴する。ちょうど男子学生が旅行に行って来たとかで、お土産を持って研究室に顔を出したものだから、お土産のご相伴に与った。みのる君はちっとも変わらないわね。昔、一度だけ学会出席の為関東地方にやって来た彼女を泊めた事があるが、よく覚えていたものだ。

 これから新潟へ行かねばならない。そろそろ失礼する。積もる話は明日の利休忌の後で。カミサンも腰を上げてくれた。黙っていれば、深夜まで話し込む勢いだった。

 前もって予約しておいたホテルにカミサンを送り届けた後、みのる君一人、吹雪の新潟目指して出発。京の五条の橋の上で夕暮の大渋滞に遭遇したが、これも良い記念だ。

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2009年4月 3日 (金)

園城寺(三井寺)

 義仲寺の次は園城寺を詣でた。ここも一度は拝見したかった場所。特別の思い入れは無いが、話のタネかな、折角大津まで来たからには、三井寺も見なければならない。カミサンのケータイに京都の友人から声が届く。あちらさんは首を長くして待っているご様子。今、三井寺なのよ、もう少し時間を頂戴。カミサンはみのる君に遠慮して、再会時刻を先に延ばしてくれた。あまり、気を遣わんでも宜しい。ざっと一巡で済まそう。

 重要文化財の仁王門から境内に入り、国宝の金堂を一瞥し、折り良く鳴った三井の晩鐘の音を聞きながら重文の唐院、一切経蔵を眺め、天智、天武、持統天皇が産湯に使ったと云う湧き出る泉と左甚五郎の龍の彫り物を堪能。友達を待たせるのも忍びない、カミサンもいつもより早足で見て回った。

Mii  奥の細道後、暫時大津に滞在していた芭蕉が、義仲寺での宴席で詠んだ、「三井寺の門敲(たた)かばや今日の月」と云うのがある。名月に酔っ払い、三井寺まで足を伸ばして、いっそ、門を叩いて坊主に今宵の名月を教えてやろうか、などと酔った勢いの句。「推敲」の謂れとなった中国の詩、能の「融」にも採り入れられた「鳥は宿す池中の樹、僧は敲く月下の門」を踏まえた句で、いかにも芭蕉の機微。この句碑があった。

Basyouku

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2009年4月 2日 (木)

義仲寺訪問

 芭蕉の墓は大津市の義仲寺にある。夢が枯野をかけ廻った芭蕉の墓を見たい。ついに、みのる君の希望が叶った。

 頭の隅っこで理解していながら、義仲寺が大津にあったなんて、迂闊にも忘れていた。折角大津へ行くからには、是非とも芭蕉の墓を見よう。昨年は生誕の地を訪ねている。この際、最後を見届ける必要がある。石山寺を後にして、義仲寺を目指した。

 実は芭蕉ゆかりの幻住庵も予定に入れていたが、最新ナビに案内された幻住庵はお門違いだった。ナビを頼りにやっとの思いで訪ねた幻住庵は無人。近くの人に問えば、尼さんが住んでいる由。妙な事だな。多少不審だったが、表札はまさに幻住庵。しかし、案内板も無い。大津市は芭蕉を何だと思っているんだ、などと悪態を付いてその場を去ったが、後日、失敗に気付いた。

 みのる君等が訪ねた幻住庵は名前こそ同じだったが、全く別、他人様のお住まいだった。紛らわしい事この上無い。最新ナビにも困ったものだ。何となくおかしいとは思っていたけれど、みのる君の不勉強にも呆れるばかり。後のお祭り。まるで勘違いの幻住庵を訪ねてしまった次第で、悔しい事限り無い。いつか再訪せねば。

 その後、カミサンが膳所焼美術館を見たいなんて云うから、余計な時間まで食ってしまった。

 義仲寺は狭い路地にある。門前にやっと一台車を止めるスペースがあって幸いだった。境内も狭かった。受付を済ませ、近江の人と行く春を惜しんだ句を横目に見ながら奥へ進めば、巴御前の巴塚、木曾義仲公の墓と並び、その向こうに芭蕉の墓がある。無名庵もある。

 芭蕉の大津時代を偲び、みのる君にしては珍しい事だが、受付で御朱印帳を購入して参拝記念を書いて貰った。ついでに持参した別のノートにペタペタとスタンプを押して、芭蕉を偲んだ。

 「骸は木曾塚(義仲寺)に送るべし」と云う芭蕉の遺言に従って、大阪で客死した芭蕉の遺骸は、死後2日目に門人等によって義仲寺へ運ばれ、埋葬された由。会葬者は300余人と云う。大したものだ。

 境内には、古池の句もあった。Basyou

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2009年4月 1日 (水)

石山寺参詣

 何度も京都方面には足を運んでいるが、手前の大津周辺に興味を示す事は無かった。毎回素通り。これまで滋賀県と云えば琵琶湖のイメージ程度しか無かった。不覚だったかな。

 カミサンを京都まで送っていく際、たまには大津辺りでゆっくり観光も良かろうなんて思い立ち、カミサンに話すと、案の定、二つ返事。カミサンの古い友人が京都大学で教鞭を執っている。利休忌に際して、会いたいなんて連絡を取り合っており、再会までに時間がある、大津でのんびりしましょう、などと上機嫌の呈。まずは、源氏物語ゆかりの石山寺へ行きましょう。早速、嬉しそうに提案する。

 深夜に自宅を出発、圏央道、吹雪の中央道を経由して名神高速道路の多賀SA到着が朝の7時。ここでしばらく時間調整。カミサンはナビ付属のTVでNHKの「だんだん」を見たいと駄々をこねる。毎日楽しみにしているから、旅先でもご執心だ。新しいナビのTVはきれいね。一応、お世辞の一つを忘れない。みのる君はしばし仮眠。

 朝食を摂り、燃料を補給して出発。日本三名橋の一つ、近江八景の一つでもある瀬田の唐橋を見てから、石山寺に着いたのが午前9時半。この時期は客が少ないのかな、駐車場はガラガラだった。

 のんびり境内を散策。石山寺の由来となった硅灰岩が見事。天然記念物に指定されている由。本堂や多宝塔を見て、月見亭から瀬田川を望む。高台からの眼下一望が爽快。梅園や牡丹園の脇を通って無憂園へ行くと、何処かの幼稚園かな、園児たちが賑やかに歩いていた。ぐるり一回りして、東大門近くの拾翠園でカミサンは抹茶を一服。みのる君は自販機のブラックコーヒーで一服。紫式部や芭蕉やら大津には見所一杯だね。不勉強の二人は無学非才を吹聴しながら、呑気なひと時を過ごした。源氏千年紀の昨年は結構な賑わいだったそうだが、時が過ぎれば閑散。そんなものだろうな。

Isiyama

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