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2009年2月の記事

2009年2月28日 (土)

議論の花を咲かせた時代

 学生時代、バイトの無い暇な夏休みの休日、京都から帰省中の東海二君や地元の大学に通っていた健さんとしばしば文学談義の花を咲かせていた。専ら、日がな一日近くの喫茶店に入り浸って他愛無い議論に明け暮れ、時には読書会も開いて自説開陳、他人の意見を無視して徹底的に云い合っていた。屁理屈を身に付けていった時代。ディベートのはしりみたいなものだったかも知れない。

 入り浸った喫茶店のマスターが出来た人で、我々がコーヒー一杯で何時間粘っていても、一切文句を云わなかった。時には留守番を頼まれたこともあった。長閑な時代だったか。近頃は議論に適した喫茶店が少なくなったような気がする。タバコも吸えない喫茶店が増えてしまい、たまり場の用をなさなくなった。残念である。

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2009年2月27日 (金)

職安近くの映画館

 みのる君が住んでいた町の職安の、道路を挟んだ反対側に古びた映画館があった。昔はリバイバルばかり上映していた。館内の座席の下、足元には細いパイプが張り巡らされていた。冬場の暖房用だ。足元だけが暖かく、やけどを心配しながら、古い映画を楽しんでいた。

 まさに場末のこの映画館は、やが成人映画専門になってしまい、一層侘しくなってしまった。おいおい、職安の前だぜ。なんて躊躇も乏しく、みのる君はしばしば足を運んで、山本晋也監督の作品や若松孝二、向井寛と云った大御所監督の作品を楽しんでいた。職探しの方々を尻目に派手なピンク映画の看板の下をくぐるのは、ちょっと抵抗もあったけれど、いつの間にか慣れてしまい、その内、自分も職安へ通うことになったけれど、用事が済めば、向かい側へ足が向いていた。

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2009年2月26日 (木)

千載一遇を逃したかな

 みのる君は学生時代から同人誌発行に熱中していた。概要は「暗礁物語」に書いているが、一時は新潮社発行の「文芸年鑑」にも紹介され、意気揚々としていた時代。地方の有力同人誌作家発掘に意欲を燃やした福武書店(現在ベネッセコーポレーション)が「海燕」と云う文芸月刊誌を創刊した頃、わざわざ編集長がみのる君を訪ねてくれたことがある。あいにく仕事が忙しくて応対も出来ず、代わりに親父殿が対応してくれた。有力新人を求めて各地を回っていたそうだが、あの時、仕事を放って行き会っていたら、今頃、吉本ばななみたいになっていたかも知れない。ついに才能は埋もれてしまった。奇才は異彩を放たなかった。

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2009年2月25日 (水)

時間にルーズな友人

 みのる君の仲間で時間に無頓着な奴がいた。待ち合わせ時間なんか守ったためしが無い。複数が集まってワイワイガヤガヤ雑談に興じる時は、一人位遅刻がいても気にならなかったが、相対で待ち合わせた時なんか悲惨だった。駅前でじっと改札を出て来る仲間を待つ。電車が到着するたびに改札の人込みに仲間を捜す。10分、20分も同じような作業を繰り返した挙句に平然とやって来られると腹が立つ。西荻窪の薫君さ。もう一人が悠さん。悠さんには最大2時間も待たされた覚えがある。今でもしっかり記憶している位だから、当時はよほど頭にきたのだろう。下宿先に電話をすれば留守と云う。きっと、こちらに向かっているな、と思うから、じっと我慢して待つ。ひどい時は、約束を忘れて寝ていたこともあった。今では大変な要職に就いている悠さんだが、仕事振りが気になる。

 何度も書いているが、元来、みのる君は時間に几帳面だ。約束の時間を破ったことは無い(多分)。必ず5分以上前には到着している。先んずれば人を制す。この流儀を貫いているから、約束に無頓着の神経が分からない。カミサンもルーズな方だ。だから、しょっちゅう苦言を呈している。今は便利なケータイがあるから、多少はじれったさも緩和されるだろうけれど、遅れる奴は、やっぱり遅れるものだ。根気良くお付き合いしているみのる君は立派と云うべきだろうね。

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2009年2月24日 (火)

ルーリン彗星見付けられず

 本日、地球に最も近付くルーリン彗星だが、日曜日未明、目覚めたついでに庭に出てみたが、見付からなかった。近眼ゆえの悲しさ。目が良ければ星の世界を目指していたに違いないみのる君だ。ハンデが悔しい。最接近の頃は土星近くにいるはずだから、良い目安になるな、と思っていたけれど、やはり、駄目だった。残念。パジャマ姿のまま庭先で頑張る訳にもいかず、早々に諦めて部屋に戻ってしまった。ただ、幸いなことに、一つ流れ星が見られた。

 ずいぶん昔、みのる君は彗星探索を夢見ていた。

 彗星は太陽に近付くと明るさを増す。明るくなって彗星を見付けやすくなる時間帯、つまり、太陽が隠れている時間で太陽の近くと云えば日没後の西の空か夜明け前の東の空に限られる。夕方より明け方の方が空気は澄んでいるに違いない。毎朝、夜明け前の東の空を、隅から隅まで大型の双眼鏡でじっくりゆっくりチェックしていく。彗星は星と違って、点では無い。ボーッと淡い雲の欠片のように見える。星雲と同じような姿。見間違えると不味いので、傍らに星図を置き、怪しいと思ったら、星図を広げて星雲か否かを確認する。地味で地道な作業。

 探索には大型双眼鏡が必要になる。大型の双眼鏡と云えば、勿論、フジノンの15㌢双眼鏡。これが欲しい。みのる君はこの巨大な双眼鏡が欲しくてたまらなかった。しかし、当時から百万円を超える代物。貧乏人には手も出ない。足が出たら大騒ぎだ。と云って、バイトしてお金を貯めようなんて根性も無かったし、熱意も無かった。結局、彗星探しは諦めてしまった。その後、パソコンが世の中を席巻して、近頃はパソコンを使った画像処理の彗星探しが主流みたい。不精も甚だしい。

 今頃のルーリン彗星は日没後に東の空に現れ、ほぼ一晩中見られる。こんな彗星も珍しい。大雑把に云うと、太陽から遠ざかっていくルーリン彗星が、地球の外側の軌道で地球とすれ違うため(すれ違うと云ってもエラク離は離れている)、地球から見ると、ちょうど太陽を背にした形になって一晩中拝めることになる。

 長時間露光の写真では尾も写るだろうけれど、肉眼ではぼんやりした雲の欠片。写真みたいな形を想像すると、きっとガッカリすると思う。

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2009年2月23日 (月)

長距離電話

 ケータイの無い時代、みのる君は小銭が貯まると長距離電話を楽しんでいた。10円玉を何十枚も用意して、公衆電話で遠方の友人に電話をかける。夏休みなんかに京都の東海二君を訪ねた折には、よく東京や北海道の友人に電話したものだ。今、京都にいるぜ。驚いたかい。これで10円が消える。北海道は涼しいだろうね。京都は暑くて、暑くて。相手の相槌を聞く内に、4、50円位が無くなってしまう。見る間に10円玉が消えていくので、無駄口も手短になって簡潔明瞭。この慌しさが面白かった。使用料が把握できる緊張感って、ケータイでは味わえない。小銭を使い切ったら、おしまい。10円玉が貯まると公衆電話に向かったものだ。

 100円が使える公衆電話も最初は有難かったけれど、お釣は出ないし、何となく無駄遣いのような気がして、あまり利用しなかった。10円玉の無い時なんかは重宝したけれど、貧乏学生にはちょっと贅沢だった。

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2009年2月22日 (日)

鍋にインスタントラーメン

 学生時分は友人のアパートで賑やかな宴会が多かった。友人等は学生アパートに住んでおり、少々羽目を外しても苦情を持ち込まれたことは無かった。みのる君の下宿は賄い付きの素人下宿だったものだから、時々、大家の息子に怒鳴り込まれてしまい、やむなく友人のアパートまで出張して呑むようになった経緯がある。

 豪徳寺界隈に住んでいた北国出身の啓さんの所では、しばしば鍋物を肴にして呑んでいた。鍋物と云っても、野郎同士、数人の宴だから味は二の次、何でも鍋に放り込んでは出来上がりを楽しんでいた。仏頂面の啓さんは外見と違って、意外に神経が細やかで巧みに味付けをしていた。そして、最後の仕上げはインスタントラーメンを放り込む。これが格別美味かった。だしも効いていた。しかし、酔いの覚めた翌朝は誰も残り物に手を出さなかった。

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2009年2月21日 (土)

三畳間に三人宿泊

 みのる君が学生時分は、しばしば友人のアパートに泊めて貰っていた。多い時は3日も4日も続けてあちこちの友人宅を泊まり歩き、一宿一飯の恩義に与っていた。

 永福町に住んでいた友人は三畳一間に間借りしており、ここにあるじの薫君と仲間の悠さん、合せて三人で泊ったことがある。三畳間には机もあれば、まがりなりにも本棚もあって、一人で寝るのが精一杯の環境。そこで賑やかな宴を催し、酔った勢いで泊った次第だが、窮屈この上なかった。足が伸ばせないから、各自、壁に足を預けた状態で頭だけが部屋の中央に集まって、何だかんだ云いながら眠った。学生だからこそ出来た無茶な一時だった。

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2009年2月20日 (金)

東京時代の散歩コース

 東京に住んでいた時分は、よく歩いた。

 千歳烏山の下宿から西荻窪に住む友人のアパートまで、暇に飽かして随分と歩いた。折角訪ねたのに留守だった、なんてこともあった。多くの寺が集まる界隈を通り、久我山辺りの閑静な住宅街を抜けて西荻窪へ向かう小一時間のコース。運動不足の学生には、格好の散歩コースだった。

 新宿でオールナイトの映画を観た帰りは、夜明け前の甲州街道を千歳烏山まで歩いたものだ。環八が工事中だった時代。京王線沿いの八幡山や芦花公園周辺も散歩コースだった。新宿から十条まで歩いたこともある。皇居を一周したこともある。思い起こしてみると、結構歩いていたものだ。大抵は電車賃を惜しんでの強硬手段。二十四時間が自由に使えた時代だったからこそ出来た、時間を贅沢に使った、かつ金欠病がゆえの常套手段だった。

 今は、近所のコンビニへ行くにも車を使ってしまう。便利な道具は使うべし。油を無駄に使った常套手段。

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2009年2月19日 (木)

親父の墓参り

 この前の休日、親父の命日が近いので、カミサンと墓参りに行って来た。

 親父は郊外の大きな寺に眠る。みのる君が子供の頃、親父に連れられて家族総出でこの寺までピクニックに出掛けたことがある。家族一緒の小旅行は初めてだったかと思う。境内の一角で弁当を広げた記憶が残っている。

 出不精の親父にしては珍しい行動だったが、後々考えてみると、ちょうど寺が墓地の分譲を始めた頃に当たり、恐らく、あらかじめ自分の眠る土地を確保したかったのだろう、それで、子供等を連れての現地視察となったに違いない。

 確保してから実際に使用するまでに長い年月が経った。親父が定年退職後、みのる君と市内の名所巡りをしたことがある。みのる君があちこち案内したが、コースにこの寺も入っており、二人で将来の安住の場所を訪ねている。親父にしてみれば、折に触れて自分の永眠場所を確認したかったのだろう。年間管理料を支払う用もあったのだろう。その後も、機会があれば立ち寄っていた。お陰で墓を作る際、墓地で迷うことはなかった。

 墓参りの帰り、道を間違えたカミサンが偶然見付けた喫茶店に入り、店内禁煙にはガッカリしたけれど、久し振りにおいしいモカを味わった。

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2009年2月18日 (水)

曙椿

 庭先に出たカミサンが嬉しそうな声をあげた。あけぼのが咲いたわ。見れば、隅っこでひっそりと咲いていた。これもケータイで撮影。ピントが甘かった。

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2009年2月17日 (火)

梅が咲き始めた

 今年も、我が家の白加賀が几帳面に咲き始めた。春が近い。ケータイで撮影。

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2009年2月16日 (月)

数奇屋門修理

 前々から、傷みもひどく大風に吹かれると今にも倒れそうになっていた我が家の数奇屋門だが、カミサンが知り合いに頼んでようやく補強して貰った。両脇の二本の柱が腐っており、原形をとどめていなかったそうだ。資力不足の安普請だからやむを得ないが、まさかすっかり朽ちているとは思わなかった。二人がかりで半日仕事。ついでに、坪庭の門も直して貰ったが、こちらも根元が駄目になっていた由。補強工事の翌日はひどい風が吹いたが、さすがに今度はビクともしなかった。当分は安心か。風に飛ばされ、他人様の家を傷付けたり、道行く人にぶつかっていたら大騒ぎなってしまところ。カミサンの英断には感心するが、資金は大丈夫だろうね。

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2009年2月15日 (日)

カミサンはコタツ嫌い

 みのる君のカミサンは炬燵が嫌いだ。炬燵に入ってしまうと条件反射的に眠くなってしまい、何も出来なくなる。だから、炬燵は嫌。そんな訳で我が家には炬燵が無い。

 改築前は和室に炬燵を置いていたが、家族は専ら居間で過ごしていたので、炬燵に入る機会は滅多に無く、炬燵で一家団欒、ミカンを食べ、お茶を飲み、会話を楽しむと云った日本的光景は少なかった。

 やがて、居間を洋間に改築してしまい、我が家から炬燵は姿を消してしまった。 リフォームで我が家の洋間は床暖房になった。カミサンはこの床暖房を気に入っており、夕食後は床に座布団を敷いてテレビを見る。そして、5分も経たない内に居眠りを始める。炬燵を嫌ったカミサンだが、床暖房には抵抗が無いみたい。その内、ゴロリと横になってしまう。睡魔と闘う殊勝な心掛けの持ち主は、特別固い信念を持っていた訳では無かったようだ。何故、炬燵を毛嫌いするのだろう。カミサンの真意が分からない。

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2009年2月14日 (土)

酒に梅

 貞享2年春の頃か、芭蕉の酒にまつわる文章。岩波書店「日本古典体系」より。

 葛城の郡竹内に住む人有りけり。妻子寒からず、家子(いえのこ。使用人)ゆたかにして、春田がへし秋いそがはし、家は杏花のにほひに富みて、詩人をいさめ(慰めること)、愁人(しゅうじん。ものの哀れを解する人。詩人、文人)を慰す(ゐす)。菖蒲に替はり、菊に移りて、慈童が水に徳をあらそはん事必とせり。
 初春先(しょしゅんまづ)酒に梅賣にほひかな

 「妻子寒からず」とは金持ちの意味。杏の花の匂いとは酒の芳香の喩え。菖蒲酒(万病を治すと云われる)に替わって、中国の「菊慈童」が菊の露を飲んで不老不死となったあの菊水と効能を争うことが必ずやあるだろう。

 芭蕉は酒でも振舞われたか、菊水を例にあげて、一宿一飯の恩に報いている感じかな、御宅の酒は中国故事の不老不死の酒にも負けない位だ、とおだてている。「梅に酒売る」ところを「酒に梅売る」としている。初春にはまず梅が香に添えて酒を売ることだ、と云った句意。

 新潟名酒に「菊水」と云うのがある。きっと不老不死のご利益にあやかったのだろうね。

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2009年2月13日 (金)

栖去之弁

 元禄五年頃の芭蕉の文章。

 ここかしこうかれありきて、橘町といふところに冬ごもりして、睦月、きさらぎになりぬ。風雅もよしや是までにして、口をとぢむとすれば、風情胸中をさそひて、物のちらめくや風雅の魔心なるべし。なを放下して栖(すみか)を去り、腰にただ百銭をたくはへて、柱杖一鉢(ちゅうじょういっぱつ。僧の杖と托鉢のための一鉢)に命を結ぶ。なし得たり、風情終に菰をかぶらんとは。(岩波版「日本古典体系」)

 「野ざらし紀行」や「笈の小文」、「奥の細道」といった旅のあと、しばらく日本橋橘町の彦右衛門の家に身を置く。俳諧(風雅)もこれまで、と心に決めたが、やっぱり旅寝が忘れられない。風雅と云う魔心にとり付かれてしまったか。わずかの銭(百銭)を持って、托鉢よろしく旅にでよう。風雅も極めれば、まるで乞食みたい。「風雅終に菰をかぶらん」と、半ばヤケクソの弁。芭蕉の真情。

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2009年2月12日 (木)

あすならふ

 芭蕉の文章に「あすならふ」と云うのがある。岩波版「日本古典体系」より。

 あすは檜の木とかや、谷の老木(おいき)のいへる事あり。きのふは夢と過ぎて、あすはいまだ来たらず。ただ、生前一樽(いっそん)のたのしみの外に、あすはあすはといひくらして、終に賢者のそしりをうけぬ。
 さびしさや華のあたりのあすならふ

 枕草子の「なにの心ありてあすはひの木とつけけむ、あぢきなきかねごと」と紹介された「翌檜(あすなろ)」。明日は檜のなろうと云うつもりだろうが、お前は馬鹿かと賢者に云われてしまった。「生前一樽」は白楽天の「生前一樽ノ酒」による。生きている間の楽しみを放って、明日は明日はと願う辺り、愚かな奴だ。華やかに咲き誇る花々の間に翌檜が淋しく立っている。自らの姿か。芭蕉の悔恨かも知れない。

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2009年2月11日 (水)

建国記念の日なのに…

 去年も愚痴ったけれど、建国記念の日だと云うのにみのる君は仕事。働く身にはちょっと辛いが、今時仕事があると云うのは幸せかな。周りがお休みしているのに、いつものように朝早くからご出勤。これも宮仕えの身分ゆえに仕方無い。稼ぐに追いつく貧乏なし。しかし、周辺に何やら暗雲もたちこめており、雲行きが怪しい。青天の霹靂なんて事になったら、貧乏に追い付かれてしまうかも知れない。くわばら、くわばら。

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2009年2月10日 (火)

芭蕉の「高野詣」

 貞享五年、亡父の三十三回忌を営んだあと、芭蕉(45歳)は高野山を詣でている。岩波書店「日本古典文学大系」より(一部現代表記)。

 高野のおくにのぼれば、霊場さかんにして法の燈消る時なく、坊舎地をしめて仏閣甍(いらか)をならべ、一印頓成(いちいんとんじょう。真言宗の教え。印を結んでお経を唱えるさま)の春の花は、寂莫(じゃくまく。ひっそりと静まり返っている様子)の霞の空に匂ひておぼえ、猿の声、鳥の啼くにも腸(はらわた)を破るばかりにて、御廟(弘法大師の御廟)をしづかにをがみ、骨堂のあたりにたたずみて、つらつらおもふやうあり。此処はおほくの人のかたみの集まれる所にして、わが先祖の鬢髪(びんはつ。髪の毛)をはじめ、したしきなつかしきかぎりの白骨も、此内にこそおもひこめつれと、袂もせきあへず、そぞろにこぼるる涙をとどめて、
 父母のしきりに戀し雉の聲

 高野山金剛峰寺に登った芭蕉の一文。伊賀時代の寛文六年(芭蕉23歳)、主君藤堂良忠(蝉吟)の位牌を高野山に納めており、久し振りの高野詣で。感極まったか。良忠の死後、芭蕉は上京に至る。我が人生の転機がここにある。父母への思慕もある。同時に俳諧師のウンチクもある。行基が高野山で詠んだと云われる「山鳥のほろほろと鳴く声きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」を踏まえて、「ちちははのしきりに恋し」とまとめている。

 「笈の小文」には、同行した杜国(万菊丸)の「ちる花にたぶさはづかし奥の院」を併記している。「たぶさ」は「もとどり」(髪型)のこと。奥の院まで来ると、桜の花が散って、もとどりを結ったままの俗人としては恥ずかしい。神聖な高野山への配慮と沈痛な面持ちの芭蕉を気遣って、こんな格好では不味かったかな、などと殊勝になる。まるでメロドラマの一場面だ。

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2009年2月 9日 (月)

昨日はひどい風だった

 冬型の気圧配置になると関東地方には北風が吹くが、昨日はひどかった。一日中空が唸り、古くなって建てつけも悪くなった窓が音を立てていた。廊下に砂が入り込む。歩くと足跡がくっきりと残る。掃除機をかけ、雑巾掛けをしても役に立たない。すぐに白くなってしまう。年に一、二度ある強風。こんな日は我慢の一日。二度も三度も掃除に明け暮れてしまった(去年も似たような記事を書いたっけ。余程うんざりしている証拠だね)。

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2009年2月 8日 (日)

行雲や犬の欠尿(かけばり)

 芭蕉34歳、延宝五年の作、

 行雲(ゆくくも)や犬の欠尿(かけばり)むらしぐれ

 「むらしくれ」は「村時雨」。雲行きが怪しくなってきて、突然、雨が降ってくる。急に止んでは又降り出す。まるで犬があちこちに小便しているようだ。村時雨を犬の小便に例えた句。お上品な貞門でなく、ちょっと奇抜を狙う談林俳諧。

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2009年2月 7日 (土)

春風にふき出し笑ふ花も哉

 寛文七年、芭蕉24歳の作、松尾宗房名で「続山井」に入集、

 春風にふき出し笑ふ花も哉

 伊賀上野時代の貞門俳諧。「ふき出し笑う」は春の花が開花する様。長い冬が終わり、一斉に花々が咲き出す。春風が吹く日、こんな日に咲く花があったら良いな。だから何だ、と云う感じかな。

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2009年2月 6日 (金)

霜を着て風を敷き寝の捨子哉

 延宝五年、芭蕉34歳の作、

 霜を着て風を敷き寝の捨子哉

 古今集の「きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかもねむ」をもじった句。延宝七年刊行の「坂東太郎」には「霜を着て衣片敷く捨子哉」となっている。坂東太郎の方がパロディが明白。艶っぽい和歌に「捨子」を持ち出して意表を衝いている。「風を敷き寝」が「衣片敷く」となったが、後に「衣」に朱を入れて「風」に改めている由。富士川の「捨子」と比較してみると面白い。芭蕉の発想の変遷が窺える。

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2009年2月 5日 (木)

久し振りにMT車運転

 十数年もAT車ばかり運転していたので、もうマニュアル車なんか無理だろうな、と思っていた。が、最近、MT車を運転せざるを得ない状況になり、久し振りに動かしてみた。

 身体は覚えているものだね、左足は躊躇なくクラッチを踏んでギヤーチェンジに問題無し。クラッチの調整も以前のまま。初心者みたいな空ふかしも無し。案ずるより生むが易し。

 慣れない車だったので、バックとローの位置に戸惑ったけれど、何とかなるね。踏切で一時停止、一瞬、線路上でエンコの不安がよぎったけれど、無事通過。昔とった杵柄は大したものだった。

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2009年2月 4日 (水)

治療完了

 ようやく歯の治療が終わった。義歯装着一週間、調子は如何か。医者にも看護師にも訊かれ、大分慣れたが、何となく喋りづらい、唇や舌を噛みそうになったり、少し痛みもある、その内慣れるでしょう、大雑把な請合いを聞いておしまい。最初はゴネたのに、諦めると積極的でしたね、なんて感想を云われてしまった。今後は半年点検のみ。現状維持も容易では無い。

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2009年2月 3日 (火)

庭にモンキチョウ

 北風の強い日、庭先に出たカミサンがモンキチョウを見付けた。風に吹かれてもピクリとも動かず。羽化が早過ぎて寒さが応えたか。

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2009年2月 2日 (月)

チーム・マイナス6%

 地球温暖化防止のために、国民的プロジェクトが始動している由。みんなで二酸化炭素の排出を抑えようという運動。個人的には賛成も反対も無いが、一応Co2削減には留意しているつもり。みのる君宅の年間排出量は大雑把に云って約7トン。この現状が世間相場かどうか不明だが、結構、つましく生活しているつもりだから、更に6%減らせ、となると、ちょっと容易で無い。7トンの6%となると、420㎏。この数値は、何処へも出掛けず、冷暖房も使わず、毎日職場と自宅を往復するだけの1ヶ月間に相当する。そう考えると蒼くなるが、視点を変えて、全ての行動を6%縮める、と思えば、案外簡単かも知れない。

 1時間の晩酌時間を56分で諦める。トイレに入って5分の用足しを4分42秒で切り上げる。20分の風呂は18分48秒でおしまい。15分の通勤時間を14分に縮め、挙句にパトカーに捕まる。一日20本の喫煙を19本で遠慮する。2時間のお笑いTV番組を1時間53分で飽きるようにする。長距離ドライブは目的地の手前で引き返す。逆に、6時間の睡眠時間は6時間36分に延長して惰眠をむさぼる。8時間の仕事は7時間31分で止めて、残った時間をテキトーにごまかす。

 一つ一つの行動を抑えれば(例えば睡眠のようなエネルギーを使わない環境にやさしい行動は増やす)、自ずと目標数値を達成出来るに違いない。大上段に構えてキャンペーンを張るより、規則正しい生活を、もっと睡眠を取りましょう、メールに頼らず手紙を書きましょう、と云った取り組みやすい内容で抑制を訴えた方が効果的かな、と思う。

 でも、個人レベルの努力なんかたかが知れている。ひとたび戦闘機がスクランブル発進すれば、きっと、みのる君が頑張って抑えたCo2排出量の何百倍が瞬く間に放出されてしまうに違いない。努力は水泡に帰す。深夜営業自粛、深夜放送中止、と云った強権発動の方がよほど効果絶大だろうな。

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2009年2月 1日 (日)

我が家のCo2排出量

 我が家のCo2排出量を計算してみた(エネルギーのみ)。

 昨年一年にまき散らしたCo2は約4トン。しかし、あちこち派手にドライブして使ったガソリンで二酸化炭素を3トンも排出していた。これを合せると7トン。

 過去数年を調べてみると、およそエネルギーが4トン半とガソリン2トン半が平均。やっぱり7トンは排出していた。冷暖房を使わず、ドライブも控えて大人しくしていると月に400kg程度の排出量。子供等と賑やかに生活していた頃は月に500kg強。家族が減って、行動も抑えれば、排出量は少なくなるのは当然。

 一家庭、年間7トンの排出量って多過ぎるかな。

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