夏目漱石内坪井旧居
初めての熊本市内を城を目安に走り回って、うまい具合に漱石旧居に近い城の駐車場に車を止められた。昼時でどこの駐車場も駐車待ちの車が列を成していたけれど、タイミングが良かったかな、誘導員の指示に従って、並ぶこともせず、すんなり駐車場に入れた。運がいい。
熊本城も見学したかったけれど、時間が足りない。城を横目で見ながら(時間があれば是非寄りたかった。今回は城壁の前で記念撮影して終わり)、夏目漱石が熊本時代に住まいしていた5番目の住居を探す。市内の詳しい地図なんか持っていなかったけれど、いい加減な勘が的中、カミサンが通りがかりの人に道を尋ねれば、すぐ近くだった。
不勉強のイタチゴッコで、熊本は多くの文学者に縁があるとは知らなかった。徳富蘆花、蘇峰兄弟は熊本出身の由、林芙美子は少女時代を過ごし、漱石は青年期を生き、小泉八雲も森鴎外も頼山陽も、猿丸太夫や山頭火や中村汀女も…。そうそうたる御仁が名前を連ねているではないか。
熊本と云えば、みのる君はお城が立派と漱石しか思い浮かばなかった。事前の知識がたっぷりだったら、多分、もう少し腰をすえていたに違いない。道路地図だけを頼りに漱石旧居を目指したけれど、お城の南側に小泉八雲旧居があると承知していながら、時間的に見学は難しいだろうと初めから漱石に絞っていた。他の面々の名前を耳にしていたら、きっと、熊本一泊も選択肢に入っていただろうと思うが、後の祭りさ。何時やって来るか分からない「次の機会」を楽しみにするしかない。せっかちの後悔はいつも大きい。
結婚し、長女を儲けた漱石の住まいは客がまばらだった。もはや文学は遺物と化したね。趨勢とは云え、ちょっと淋しい感じもする。すぐ近くの熊本城は駐車も出来ない程の混雑ぶりなのに、近代日本文学の功労者には冷淡な扱い。人間とは何ぞや。文学の本質を考えれば、冷淡も遺物も文学的と云えないことも無い。
「安々と海鼠(なまこ)のごとき子を産めり」と呑気な亭主の感慨を述べた漱石の住居庭に、長女筆子が産湯を使った井戸が残っている。この前で記念撮影。建物内を一巡、広くて結構な身分だったなと感心。となりに学校があって、生徒たちの歓声が聞こえてくる。成程、苦沙弥先生が往生したのも分かる。小説で鬱憤を晴らしたのだろうなと思う。
カミサンが「漱石山房」の名前を冠した原稿用紙を買って、みのる君にプレゼントしてくれた。気が利くね。土産物には全く無関心のみのる君だから、折角の漱石旧居でも土産物の物色なんかしなかったが、カミサンからのプレゼントは良い記念になった。
熊本インター方面は渋滞が予想されるから、お城の駐車場を出て、すぐに左折。まっすぐ北に伸びる交通量が断然少ない道を進んで植木インターから高速道路へ。いざ、北上。
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コメント
熊本の高校生と言えば「三四郎」「猫」などで「野蛮」だの「卑怯」だのと言われていますが、私の父も漱石のはるか後にそこを出ています。
質実剛健が似合いそうな学校ですかね。多感な頃はこの精神も大事かと思っています。行き過ぎは迷惑ですけれど、ね。 (稲)
投稿 Bianca | 2008年5月12日 (月) 19時22分