霰聞くやこの身はもとの古柏
天和3年冬、門人たちの尽力で一年振りに芭蕉庵が再建された。一時は甲斐の国で避難生活を送っていた芭蕉だが、この間に郷里で母が没している。家を失い、母を失った一年。芭蕉の心境は如何だったか。再建なった草庵に入った40歳の芭蕉が句、「ふたたび芭蕉庵を造りいとなみて」と前置きして、
霰(あられ)聞くやこの身はもとの古柏
枯れても枝から離れずにいる柏の葉があられに打たれて(パタパタと)音を立てている。まさに自分自身だ。打たれても昔のまま、少しも変わってはいない。などと自嘲気味の感もあるけれど、門人たちへの配慮もあったのだろう。
翌年、野晒しの旅に出る。いよいよ一所不住の実践となる。蕉門も確立し、喰っていける自信も付いたから旅立ちを決意出来たとも云える。弟子や友人、知己を得て旅先の不安も無くなったのだろう。したたかとも云える。
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