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2008年2月の29件の記事

2008年2月29日 (金)

夜中の列車運休

 東海ニ君と夜行列車で長野から名古屋に抜ける時、台風の影響で急行が途中で運休となったことがある。深夜、松本駅で乗客は全員降ろされてしまった。急行券を買わず、あわよくば名古屋までしらばっくれようと算段していたみのる君は改札を抜ける際に駅員に指摘され、急行代金を取られてしまった。運休になっても松本までの費用は払わなければいけない。仕方ないね。ちょっと悔しかったけれど、理屈は正しいし、不正はいけない。

 さて、電車は動かない。駅の構内は放り出された乗客達で溢れている。片隅に陣取った海ニ君とみのる君は、予定外の事態にもめげず、この際、真夜中の松本城でも見に行こうなんて計画を立てて、雨の降る中、真暗の松本城を目指した。街中は誰も歩いていなかった。

 真夜中の城って、やはり不気味だった。妙に威圧感があった。随分昔のことなので、細かい事は忘れてしまったが、とにかく不気味と云う印象だけは強く心に残った。城自体は他を圧倒しなければ役に立たないのだろうな。

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2008年2月28日 (木)

夜行列車の旅

 学生時代、初めて夏の北海道へ旅行した際は急行「八甲田」でたっぷり時間をかけての列車の旅だった。

 宇都宮駅から自由席に乗り込んで、明け方まで退屈な列車の一人旅を満喫し、夜汽車の哀感を味わった。外は真暗。何もすることがないから、ただただ寝て過ごしてしまった。北へ行く程に混雑が解消され、四人掛けのボックス席で足を投げ出して呑気に寝ていた。きっと胡散臭い若造に見えたのだろうね。青森から青函連絡船に乗り、東京の私大に通う学生と時間潰しの会話を楽しんで函館に着いたけれど、それ以外、ほとんど無口状態。長い行程を車掌や弁当売りとの短い会話以外は話す機会もなかった。それでも、一向に気にならず、無邪気に列車の旅や船旅を楽しんでいた。函館から急行に乗って、倶知安に着いたのは午後。出発してから約一日。倶知安の駅で知己が迎えてくれたが、開口一番、エライ遠い所だね、ここは。みのる君の無粋な感想に、知己はニコニコ笑っていた。

 知己の実家に暫時逗留して、稚内まで夜行列車で遊びに行ったり、洞爺湖でアルバイトしたり、知己の厚意に甘えてゆっくりと北海道の晩夏を楽しんだ。本州へ戻る時は一緒に「八甲田」に乗った。この時は彼が話相手になってくれたから、長距離の移動も大して苦にもならなかった。

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2008年2月27日 (水)

日本語のために

 昭和49年、新潮社から刊行された丸谷才一氏の「日本語のために」ではしょっぱなから国語教科書批判を展開している。食ってかかっている感じもするけれど、指摘のいちいちはまさに正論。今の国語教育を見直す好材料の一つかも知れない。発行されて30余年、未だ色褪せないのは学校教育が古色蒼然としている証拠だろうか。「子供に詩を作らせるな」、「子供の文章はのせるな」、「小学生にも文語文を」などと挑戦的な惹句が並ぶ。「文学づくのはよそう」と云って、国語教科書の編者の浅薄な文学好きを揶揄している。最後に、「字も教へずに何が文学なものか。」と締めくくっている。その通りだろうね。

 昨今、TVや雑誌で日本語のクイズ番組が溢れている。日本語を見直す機会にはなるけれど、それ以外何の役にも立たない。絵文字の氾濫を放置しておいて、一生使う機会もないだろう難解な言葉をクイズに仕立てるのも、いかがなものかね。

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2008年2月26日 (火)

変わる日本語

 「変わる日本語」と題した講談社ゼミナール選書(昭和56年刊。若干時代遅れか)の中に、斎賀秀夫氏(国立国語研究所)の「現代人と漢字」を述べた一文がある。今の人々(昭和56年時点)の文字意識を論じていて面白いいが、特に成程と感心したのは、学生の漢字に対する意識の変化を述べたくだり。昔の学生は漢字の誤字を指摘されると「それこそ顔を赤くして、消え入らんばかりに恥じ入るそぶりを示した」が、今の学生はケロリとしている由。ところが、英語のスペリングの間違いを指摘すると、「顔を赤くして、モジモジと恥じ入る」そうだ。

 自国語のスペリング(要は漢字の誤字)のミスには平然としているのに、外国語のスペリングの間違いには大いに恥じ入るのは、「ふだんから、通じさえすればいいではないか、という感覚が根底にあるから」だと学生気質ないしは現代日本人の大雑把さを見抜いている。恥の文化も変わってきているのだろう。昭和56年当時で既にこのような学生気質。絵文字文化が誕生してもおかしくない環境は醸成されていたのだろうと思う。

 本日15時半から10分間程度、サーバーのメンテナンスの由。閲覧もコメントも出来なくなります。ご了承下さい。

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2008年2月25日 (月)

春一番

 一昨日の土曜日は散々の天気だった。朝の内は青空が顔を出しており好天に恵まれたかなと思っていたが、昼前後から俄かに雲が出てきて雪も混じって風も強くなり、一気に荒天。雪はすぐに止んだが、突風がすごい。隙間から砂ぼこりが入って、今冬初めて一日2回の掃除。春一番だった模様。

 その晩に雪になり、日曜日の朝は辺り銀世界。深夜の内にたっぷり降ったみたい。南に面した我が家のぬれ縁にも雪の吹き溜まり。坪庭のサッシ窓にも片寄って雪が積もっている。四方八方から風が吹いたと見えて、木々に積もった雪も或いは北側、或いは西側の幹にへばりついていた。おかげで、午前中は久し振りに雪かきに精を出す羽目となった。強風も止まず、夕方には再度掃除。雪の所為か砂は少なかったが、何となく部屋中、家中が砂だらけの感じ。とんだ休日だった。

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2008年2月24日 (日)

ナカマとヨソモノ

 井上ひさし氏の「私家版日本語文法」(新潮社。昭和56年)に、指示代名詞の「コレ」、「ソレ」、「アレ」、「ドレ」(ひっくるめてコソアド称格体系。コ系は近称、ソ系は中称、ア系は遠称、ド系は不定称)に言及して、ナカマとヨソモノについて論じたくだりがある。コソアドは遠近区分け法であり、自分と相手との間合がこの指示代名詞に表われてると述べている。「コレ・ソレ」の場ではじつに礼儀正しい。仲間内と云う環境だからだ。仲間以外は、「アレ」とか「アチラ」さんとか、ないしは「ドレ」とか「ドチラ」なんて云って余所者扱い。

 夫婦間の会話では、しばしば「コレ」や「ソレ」が出てくる。おい、あれ、取ってくれ。あれって、これね。これでお仕舞い。意思は通じる。これが「ナカマ」と云う範疇。友達同士の会話で、あいつはだらしねえよな、などと陰口を叩く場合なんかでは、「アレ」が出てくる。友達同士から見れば、「あいつ」は仲間ではない。ヨソモノの部類。日本人は巧みにこの指示代名詞を使い分けて、自らの位置を確保している。御説ご尤も。

 ケータイ電話がすっかり普及して、近頃は絵文字なる表現方法やギャル文字が跋扈している。ネット社会では仲間内の符丁がアッと云う間に世の中を席巻してしまう。マスコミも面白がって取り上げるものだから、意味不明の表現の洪水状態。いかがなものかね。仲間内の言葉遊びの延長線で社会と繋がっていると、これまで培ってきた文化が廃れてしまう気がする。ヨソモノとの緊張関係を保っていないと、やがて自ら余所者になりかねない。お前、こんな言葉を知らないのかい、バッカだな、なんて仲間から揶揄されて余所者の悲哀を味わってはバツが悪かろう。

 絵文字。何たる無精で画一的な表現。古代回帰か。文章には行間のニュアンスを読み取る楽しみがあるけれど、ワンパターンの絵文字にそれは期待出来ない。「夏って感じ」の表現方法が違和感なく受け入れられて久しいけれど、この言葉の印象にすがった表現方法から派生したのが絵文字かも知れない。意味は理解出来るけれど、例えば、笑いには微笑みもあれば苦笑もあり、爆笑や哄笑、嘲笑と云った表現があって腹を抱えるなどと云った言い回しもあるけれど、それを他愛ない絵で片付けてしまって良いのかな。

 文末辺りに「(笑)」と書く手抜きの表現も同様。自ら思考を停止しておりますと云っているようなものだ。時々、コメントを頂戴する元木さんには失礼かも知れませんが、ご理解の程を。他意はありません。みのる君の文化論の一端です(笑)。

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2008年2月23日 (土)

古池や蛙飛び込む水の音

 貞享3年春、芭蕉が腹痛で餅が食えず、桃の花をめでていた頃の句、

 古池や蛙飛び込む水の音

 芭蕉庵に40名もの門弟が集まって「蛙」の句合を行った。巻頭の芭蕉が一句が人口に膾炙された上記の句。

 最初、「蛙飛び込む水の音」と云う下の五七が浮かんだ。さて、上の五文字をどうしようか、などと悩んでいると、傍らの其角が「山吹や」では如何でしょうかと提案、うーん、ちょっと違うな。芭蕉は其角の意見を却下。突然浮かんだのが「古池や」の五文字。うん、これで行こう。「古池や蛙飛び込む水の音」、良い雰囲気じゃないか。他にも「蛙飛ンだる水の音」(芭蕉以前の桃青を名乗って「庵桜」に載っている)なんて作ってみたけれど、「飛び込む」方がよほど味があるぞ。弟子たちも賛成。蕉風確立の瞬間はほとんど思い付き、即興の作だった。

 蛙の鳴き声でなく、水の音に視点を移した所が芭蕉の求めて止まなかった世界。騒々しい蛙の合唱でなく、かすかに水面を叩く蛙の動きを詠んだ所が目新しい。音なんか聞こえるかな、なんて詮索は無用。この際、想像で十分。

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2008年2月22日 (金)

煩へば餅をも食はず桃の花

 貞享3年、芭蕉43歳の句、

 煩へば餅をも食はず桃の花

 折角の桃の節句なのに腹痛でも起こしたのだろうか、餅も食えない。仕方なく桃の花を眺めている。そんな所か。おめでたい席なのに、調子が悪いから元気が出ない。皆さんには申し訳ないが、花でもめでてじっと我慢しましょう。残念無念の心境。「食えず」としないで、「食はず」とやせ我慢の呈。昭和37年発行の岩波書店、日本古典文学大系「芭蕉句集」にはこの句が載っていない。何故かしら。

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2008年2月21日 (木)

素数をタイトルに使った映画

 どうでも好い事だけれど、数字の入った映画のタイトルって、案外に素数が多いと思わない?

 例えば、2は別にして、3の場合は「第3の男」、「3人の名付け親」、「3人の逃亡者」、「三文オペラ」…。5の場合は「五つの銅貨」、7では御存知「007」シリーズに「七人の侍」、「七年目の浮気」、11では「オーシャンと11人の仲間」、ナポレオンソロは0011、13は「13日の金曜日」、「十三人の刺客」、「アポロ13」、17は「セブンティーン」等々。「砦の29人」なんて映画もあったね。「101匹わんちゃん大行進」の「101」も素数。

 素数には独特の印象があるのかな。何となく据わりの悪そうな、それとも落ち着くような微妙なバランス。

 そう云えば、みのる君の家族の誕生月日には全て2以外の素数が入っている。カミサンなんか素数年生まれの素数月の素数日に生れている。何となく微妙なバランスを感じるな。

 子供らの生まれた日は二人とも同じ日。上の子の誕生月はカミサンの生まれた日、下の子の誕生月はカミサンの月。誕生した日はカミサンの生まれた月日を乗じた日。珍しい一致(?)。これも微妙なバランスのなせる技かも知れない。

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2008年2月20日 (水)

かばん

 みのる君は意外に神経質な所がある。電車なんかに乗った時、滅多に網棚に手荷物は置かない。足元か膝の上に置いておく。盗まれて困るような代物は持っていないけれど、置き忘れの心配も少しはあるけれど、どうも荷物が手元から放れてしまうと落ち着かない。

 網棚にかばんを置く。仮に悪意を持った人がこのかばんを持ち去ろうとしたら、どうしよう。こら、俺のかばんをどうするつもりだ、なんて一喝するだろうね。けれど、相手が開き直って、これは自分のかばんだと主張したら、どうなるだろうか。衆人環視の中、どちらに分があるだろうか。他人様から見れば、ごく自然に網棚の荷物を手にした人の方が持ち主に見えて、一喝したみのる君の方が怪しいぞ、と思われる可能性は十分にある。

 自分の所有物を客観的に証明しなければならない状況って、日常生活でも起こり得る。そんな状況を作って問題提起したのが、稲みのる君が同人誌に発表した処女作「かばん」。案外、好評だったぜ。

 以来、「かばん」の怖さも手伝って、網棚に荷物を預けづらくなってしまった面もある。

 このブログの左サイドにある「プロフィール」の下の「暗礁ホームページ」をクリックすると、若干内容が分かります。

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2008年2月19日 (火)

父の小説

 みのる君の父君は生涯文学青年を通した。みのる君が若い時分、一度だけ父君は新潮社の新人賞に応募してノミネートされた。ついては若干内容について再検討をお願いしたいので上京して貰いたい。父は編集者の要請に快く応じて、みのる君を案内係に指名して揃って新潮社を訪問した。みのる君は父を残してさっさと新潮社を離れたが、父君は夜まで、たっぷりと編集者にあれこれ作品の不備を指摘されて修正を余儀なくされたそうだ。正しい指摘もあったようだけれど、要は編集者の視点が多く採用されて、本人の意に反する訂正も多々あったご様子。不承不承の納得もあったみたい。すっかり外が暗くなった頃、みのる君は父を迎えに新潮社に戻った。それから二人して食事、家に戻ったのは夜中の2時近かった。

 その年の新潮社新人賞は該当なし。最終候補作品として父の小説が「新潮」に掲載された。父の華々しい一瞬だった。

 みのる君の女友達の名前が主人公の名前に使われており、彼女からどう云う事よ、なんて詰め寄られた覚えがある。親父の洒落じゃないの。みのる君も父君に問い質したが、偶然の一致で片付けられてしまった。

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2008年2月18日 (月)

日本ファンタジーノベル大賞

 一昔以上前、一念発起したみのる君は300枚の大作をモノにした。長年想を練っていた題材だったから、短時日で書き上げられた。追い込みの頃は週末の徹夜もしばしば。まさに一気呵成だった。賞金目当てと云うささやかな夢を秘めて、かつ意気揚々とこの自信作を日本ファンタジーノベル大賞募集受付係に送った。

 結果は、勿論、外れ。推敲不足もあったかななどと反省もしたけれど、荒唐無稽が過ぎたか知れない。

 古墳時代に火山噴火で埋没した村落遺跡を発掘していた所、当時の古代人の骨に混じって、現代人の殺害されたと思われる成人男性の骨が見付かった。現代人と判定された理由は、骨折治療と虫歯治療の痕跡が残されていたからだ。発掘されるまで掘り返された跡も無く、何故、現代人の骨が埋もれていたのか分からない。明らかに鋭利な刃物で殺されたと思われるので、一応、事件性を疑って地元警察が捜査に乗り出した。

 事に始まりをかいつまんで説明すると以上の通り。

 更に不可思議な一点がある。骨と一緒に指輪も発見されていた。その指輪は、捜査に乗り出した日付より一ヶ月も先に発表される予定の斬新なデザインの指輪だった。つまり、千数百年前の遺跡から一ヶ月先の未来の指輪が見付かったと云う事実。指輪に刻まれた日付と名前を頼りに、警察は一人の人物を探し当てる。しかし、消息は不明。その人物を知る昔の友人知人を訪ね歩いて、彼の足跡を追う。と云うのは、指輪に刻まれた日付を信用するならば、彼は一ヵ月後に「殺害」されるはずだからだ。殺害されて千数百年前の遺跡に埋められてしまうのか、時間を超えて千数百年前に殺されてしまうか、いずれにしろ、今は生きているだろうこの人物を探し出して真相を究明しなければならない。

 こんな展開で物語が進む。思えば乱暴なファンタジーだね。古代史と推理小説ばかり読んでいると、根性が曲がってしまうのかも知れない。話の展開としてはユニークだったと思うけれど、いささかひねくれた論法が審査員のヒンシュクを買ったのだろう。

 物語だから、タイムマシンが出て来てもおかしくない。ただ、どうやってこれを発明したのかと云う点が理屈っぽくていけなかったかな。理屈を云えば誰だってタイムマシンを手に入れることが出来る。

 今の自分にはタイムマシンを発明する能力も資力もない。しかし、いつか必ず自分の子孫にこれを発明して貰おう。その為の努力は惜しまない。発明出来なくても、世間にこんな機械が普及する時代が来るだろう。そして、タイムマシンが完成したら、必ず自分を迎えに来い。この自分の強固な意思を子孫に受け継がせていく。わざわざ何年何月何日の何時何分と日時を指定して、自分の遺志を子孫に伝えていく。 たったこれだけの意志があれば良い。正しく意志が遺志となって未来に伝えられれば指定した時間に子孫が迎えに来る理屈となる。来なければ、あなたの信念が弱かったからだね。実は、若干論理的に矛盾があるけれど、物語だから大目に見て貰おうと云う魂胆…。

 物語はこの意思が見事に成就。彼が指定した日時に子孫がやって来る。彼は迎えに来た子孫のタイムマシンを使って、現在、過去を旅する事が出来た…。映画にヒントを得て着想した部分もあるけれど、我ながら上出来、募集締め切りが迫っていたので、見直すゆとりがなかった。後の祭りさ。みのる君の努力は泡と消えてしまった。それに、パソコンを買い替えた時データの一部を紛失してしまって、今やまぼろしの作品となってしまった。

 広大無限の宇宙には地球人が想像する宇宙人なんていない。巷間で噂され、目撃される空飛ぶ円盤は、きっと未来から来た地球人に違いない。空飛ぶ円盤はタイムマシン。そう考えた方が余程理に適っている。

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2008年2月17日 (日)

広辞苑第六版

 広辞苑第六版を衝動買いしてしまった。みのる君の書棚にはすでに第二版と第四版が鎮座している。カミサンも第二版を持っている。一体こんな重いモノ、どうするの。カミサンが呆れている。確かに重い。ほとんど無用の長物だろうな。第四版を買っても、これを紐解いた記憶がない。飾っておくだけ。当時は逆引き広辞苑も発行され、ついつい買ってしまった。今回も、懲りずに手を出してしまった。

 昔のみのる君は「ツンドク」と云う読書が好きで、読みもしないのに次々と全集本を買っては悦に入っていた。最近は金欠病が悪化して、滅多に買わない。買えない。それに買いたいと思う本も少ない。本屋にはあふれんばかりの書物が飾ってあるけれど、どうも食指が動かない。読むのも億劫になってしまった。唯一森博嗣のミステリーばかり読んでいる。近頃はこれもすっかり飽きてきたけれど、惰性って怖いね、本屋で新刊を見かけると手が出てしまう。

 広辞苑第六版には付録が付いている。「漢字・難読語一覧」なんかは重宝しそうだけれど、「手紙の書き方」なんて大きなお節介まで付いている。大分読者におもねているみたい。時代の流れかな。

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2008年2月16日 (土)

明日香巡り

 カミサンと高松塚古墳や吉野の里を訪ねたことがある。西名阪道の香芝サービスエリアで夜を明かしてから藤井寺インターを降り、応神天皇陵の脇を抜け、太子町を通り当麻町を越えて、吉野山の勝手神社に到着したのは、午前7時半。サービスエリアから2時間足らずの行程。道中に西行が墓があった由、後で知ってカミサンは地団太を踏んでいた。

 神社向かいの店で、桜の季節を過ぎた山を見ながら朝粥定食を頂く。座敷から景色を眺めるには酒が欲しい所だけれど、呑んだら何処へも行けなくなってしまう。木立からウグイスが歓迎の意を表してくれた。

 勝手神社の境内は、義経と別れた静御前が捕らえられ、請われて舞を舞った場所だと云う。朝が早いから観光客もいない。しばらく散策。折口信夫の歌碑(吉野山さくらさく日にもうで来てかなしむ心人しらめやも)もある。みのる君が訪れた半年後、不審火によって本殿が焼失の由。残念だね。そう云えば、先だってのTV「水戸黄門」で勝手神社が舞台になっていたね。

 その後吉野神宮を拝観してから、明日香村へ向かう。

 国営の歴史公園館駐車場に車を預けてから、村内をゆっくり散策。まずは、高松塚古墳の壁画館へ。思ったより小さな壁画を堪能してから、丘陵地帯をのんびりと歩いた。貸自転車で走り回る観光客も多かったけれど、みのる君たちは自らの足を頼りに、文武天皇稜や天武・持統天皇陵などを訪ねた。鬼の雪隠や鬼のまな板なんて古墳の名残りも拝見。修学旅行で行った石舞台はすっかり観光名所になっており、その変貌ぶりに驚いてしまった。ただの巨大な石っころでも宣伝如何で金になってしまう。隔世の感に浸り、のどかな明日香を満喫した一日だった。

 

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2008年2月15日 (金)

満場一致

 様々な会議の模様を伝える新聞記事ないし議事録なんかで重宝に使われる言葉に「満場一致」と云うのがある。出席者全員の意見が一致した場合に使われるけれど、本来、意見が一致することなんか滅多にないはずだ。総会なんかでは、議長が採決を求めると場内から「異議なし」の声が飛ぶ。その一言で「それでは、この議案は満場一致の承認で宜しいか。宜しければ拍手を」なんて云って、全員に拍手を求め、めでたく採決。出席者全員が本気で賛成している訳ではない。セレモニーだからあえて緊急動議なんて愚挙に及ばないだけ。皆がそう思っている。感じている。それを大雑把に括って「満場一致」で決着。馴れ合い社会の便利な表現と云える。新聞記事なんかでこの表現を見付けたら、眉唾と勘ぐった方が良いかも知れない。

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2008年2月14日 (木)

バレンタインデー

 毎年のように繰り返されるおかしな行事。お菓子の行事。義理チョコの数で一喜一憂の呈がおかしい。みのる君の職場もしばらく義理チョコが蔓延していたけれど、いつのまにか女史も面倒くさくなったとみえてチョコの姿が消えた。清々する。どうでも好いことで煩わされるのが癪さ。カミサンからの義理チョコは、仕方ないね、一応頂戴するけれど、後が怖い。

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2008年2月13日 (水)

猛烈な突風

 昨晩はひどい風が吹き荒れた。家中がガタガタ云って、おちおち寝ていられなかった。冬の北風には慣れっこだけれど、こんな突風も珍しい。今日は寝不足気味。

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2008年2月12日 (火)

シューカツ

 最近は学生の就職活動のことを「シューカツ」と云うそうだけれど、何でも縮めれば好いってものじゃない。何となく時代に流されてしまっている感じだね。みのる君の息子もご多分に漏れずって奴だ。わざわざ上京して合同企業説明会に臨んだ。大変なご時世だね。「シューカツ」なんて言葉に惑わされないよう、自らの道を切り開くしかない。お疲れさん。

 みのる君の「シューカツ」は散々だった。もっとも左程真剣でなかった面もある。なるようになるさ。周辺が呑気な連中ばかりだったから、勢い悠長に構えてエライ目にあった。これも経験だね。

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2008年2月11日 (月)

今日は仕事

 今日は仕事。週末に降った雪はきれいに解けてしまって、無難に出勤出来るのは有難いけれど、祝日の出勤は聊か気が重い。この時期は多忙を極めるので休んでいられない。やむを得ないと諦めている。この頃になって、ようやく出勤途中で日の出を迎える。東の空に赤い太陽が顔を出す。春も近いね。

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2008年2月10日 (日)

杜の都仙台

 昔、家族で仙台を訪ねたことがある。青葉城址では石垣の改修工事中の頃だから、大分、以前のことだ。小雨の降る暑い時分。

 真夜中に出発して、あちこち見て回ってから仙台に到着したので、運転に専念して来たみのる君はすっかり草臥れていた。青葉城址に到着して、二代目伊達政宗騎馬像の前で記念撮影してから辺りを散策。仙台市街を一望出来て眺めが良い。遠くに高層ビルも見える。午後の遅い時間ながら観光客で賑わっていた。

 ずっと昔、剣道の猛者とこの地を訪れ、大学を下見したこともあった。その頃は足を頼りに歩き回ったが、長ずれば車と云う手段を気軽に利用出来るから便利なものだ。市内を一回りしてから、ホテルに到着。ホテル前には大きな七夕飾りがあって、子供達は大喜びだった。それに、ホテル泊まりも滅多にない経験だから、疲れを忘れてしまった様子。荷物を置いてから表に出た。折角仙台まで来たのだから、地元の名物、美味しい物でも食べましょう。カミサンの発想はいつもの通り。運転手の苦労など一顧だにしない。しばし、七夕飾りが垂れ下がったアーケード街を美味しい物を求めて歩いたが、子供連れでは気の利いた店には入りづらい。子供の口に合った物でよかろう。昼間の疲れが足に出てきたみのる君がぐずるものだから、結局、ファミレスで夕食。仙台まで来てファミレスなんて。カミサンはぶつぶつ文句を云う。仙台駄菓子を土産に買えば宜しい。みのる君は冷淡に云い放つ。ここの駄菓子は名物だぜ。確か、出張で仙台に来た時、土産に買った覚えがある。お菓子と食事は別でしょう。

 全国展開のファミレスで夕食後、みのる君と息子はホテルに戻り、カミサンと娘は更にあちこち探索。元気が良い。翌朝、みのる君が訪ねた大学を見てから、東照宮に立ち寄った。朝の早い時間で人影もまばらな参道を散策。鬱蒼とした杉木立の向こうに市街が見えた。

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2008年2月 9日 (土)

有難い親切

 昔、友人の剣道の猛者と群馬県の西端にある妙義山を登ったことがある。奇岩が天を衝く山容が有名な山で、みのる君も猛者も若かったね、怖いもの知らずで奇岩のてっぺんまで登って万歳三唱。それから下仁田の方へ下ったが、途中で体力が消耗、二人してダラダラとバラス道を歩いていると、一台の軽自動車が脇に止まった。訝って車を覗き込むと、若い女性が運転しており、横にその母親と思しき年寄りが乗っている。駅まで送りましょうか。嬉しかったね。猛者もみのる君も辞退する理由はない。お言葉に甘えて、駅まで乗せて貰った。こう云う時に救いの手を差し伸べてくれるって非常に有難い。きっと母親が娘を促して情けない若者を救ったのだろうけれど、まだまだ、田舎には人情が残っていたね。

 同じ頃、東海ニ君と山に登った時も、通りすがりの車から乗せてやろうと声を掛けられた。一台だけでない、数台の車から有難い親切な申し出を受けた。県道沿いを歩いていたから、車の往来の邪魔になっていたかも知れないけれど、まだまだ、奇特な人が多かった時代。

 今でも、こんなふれあいは残っているのだろうか。みのる君自身、道路で草臥れている人を見かけても、声をかけようなんて気にはならない。善意を裏切る輩が跋扈するご時世、うかつに優しい手を差し伸べて居直られては危ない。そんな風に考えてもおかしくない時代なのかね。それとも、みのる君が冷淡なのかな。

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2008年2月 8日 (金)

祝600回

 本日は600回目の記事です。100回毎の乾杯です。アクセスカウンターが17000を超える盛況(?)ぶりでビックリしております。ご訪問頂いております皆様方に深く感謝申し上げます。今後とも懲りずに宜しくお願いします。

 みのる君の友人等はコンピュータの苦手な人ばかりで、コメントを書くことすら出来ないようで、今時、情け無い連中ですが、時々見ているよと云う励ましを頂いております。有難いご配慮に感謝。

 これからも宜しく(そろそろ息切れの時期ですが…)。

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2008年2月 7日 (木)

霰聞くやこの身はもとの古柏

 天和3年冬、門人たちの尽力で一年振りに芭蕉庵が再建された。一時は甲斐の国で避難生活を送っていた芭蕉だが、この間に郷里で母が没している。家を失い、母を失った一年。芭蕉の心境は如何だったか。再建なった草庵に入った40歳の芭蕉が句、「ふたたび芭蕉庵を造りいとなみて」と前置きして、

 霰(あられ)聞くやこの身はもとの古柏

 枯れても枝から離れずにいる柏の葉があられに打たれて(パタパタと)音を立てている。まさに自分自身だ。打たれても昔のまま、少しも変わってはいない。などと自嘲気味の感もあるけれど、門人たちへの配慮もあったのだろう。

 翌年、野晒しの旅に出る。いよいよ一所不住の実践となる。蕉門も確立し、喰っていける自信も付いたから旅立ちを決意出来たとも云える。弟子や友人、知己を得て旅先の不安も無くなったのだろう。したたかとも云える。

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2008年2月 6日 (水)

天和2年、芭蕉庵焼失

 天和2年12月28日、江戸は駒込の大円寺より出火した大火事で、深川の芭蕉庵も類焼した。芭蕉の高弟の其角が「枯尾華」に、「深川の草庵急火にかこまれ、潮にひたり苫をかづきて煙のうちに生きのびけん、是ぞ玉の緒のはかなき初め也。爰に猶如火宅の変を悟り、無所住の心を発して」と39歳の芭蕉が一所不住の心を強くしたと述べている。

 この大火を題材にした句はない。一旦は甲斐の知り合いの所に身を寄せ、再び江戸に下ってからも、暫時、消息がはっきりしていない時期。蕉風確立前、談林俳諧とは一線を画する斬新な表現方法や発想を模索していた時期の草庵焼失。余程ショックだったのだろう。

 天和3年夏、甲斐で避難生活中、「画讃」と題した一文と発句を発表している。

 かさ着て馬に乗たる坊主は、いづれの境より出て、何をむさぼりありくにや。このぬしのいへる、是は予が旅のすがたを写せりとかや。さればこそ、三界流浪のもも尻おちてあやまちすることなかれ(岩波文庫「芭蕉発句集」)
  馬ぼくぼく我を絵に見る夏野哉

 自らを坊主に見立てて、かつ、馬から落っこちるなよと自らを冷やかしながら、暑い夏を過ごしている。一所不住を意識し、流浪の覚悟が出てきたか。この句は苦吟したと白状しており、同様句が他に3つもある。

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2008年2月 5日 (火)

夕顔の白ク夜ルの後架に

 天和元年、芭蕉38歳の頃の句、

 夕顔の白ク夜ルの後架に紙燭とりて

 夜、明かり(紙燭~しそく)を持ってトイレ(後架~こうか~は便所のこと)へ行こうと部屋を出たら、闇の向こうに夕顔が白く見えた。源氏物語の「夕顔」とトイレを結び付けた句。面白いと云えば面白いけれど、如何なものかね。「後架」(便所)を持ち出した所に、蕉風確立前の芭蕉の苦心が窺える。

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2008年2月 4日 (月)

久し振りの雪

 昨日は久し振りの雪景色だった。こんな日にカミサンは茶事の為に上京。前々からの計画だから変更しない。しかも着物姿。雪の影響で電車は遅れているし、そんな姿じゃ往生するぞ。カミサンを駅まで送って行く途中でみのる君が云うと、ようやく悟ったみたいで、そうね、洋服でも良かったみたい。辺りは真っ白の世界。道路も空いている。雪は止む気配でない。今更戻って着替える時間も無いから、着物姿で行動するしかない。何とかなる。カミサンは自分に云い聞かせていた。

 みのる君にしてみれば、スタッドレスタイヤが初めて効果を発揮してくれたのが嬉しい。投資効果を確認出来たので満足さ。

 夜、カミサンは大きなトラブルもなく無事に帰宅。帰宅早々に豆まきに精を出す。元気なカミサンだけれど、送迎と留守番担当にもっと感謝しなければいけないぜ。

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2008年2月 3日 (日)

遺影がブーム?

 昨日朝のNHKニュースで、若い人たちの間でも自分の遺影を撮っておく事が流行っているような話題を流していた。今の自分を「遺影」と云う形で残したいと云う。わざわざ写真館できちんと撮って貰う由。ちょっとおかしなブームだね。

 そもそも遺影って、本人には全く無関係で、残された者たちのレクイエムみたいものだろうに。生前に自分の遺影を指定しておくなんて愚の骨頂だろう。指定された側、つまり残された家族や親族にとって、あらかじめ遺影を決められていたら、迷惑千万かも知れない。他人の困惑を顧みない自己満足そのものの感じがするね。無味乾燥とした背景の前で、気に入った笑顔の写真が紹介されていたけれど、個性も何もない感じ。長い人生の内のほんの短い、何十分の一秒を切り取った写真に自らを託すって、淋しい気もする。

 膨大な家族のスナップ写真をパソコンに取り込んでから、両親の顔だけを同じ大きさで切り取って、老境の両親の顔が少しずつ若返っていくように、パソコンの編集ソフトを使ってつなぎ合わせた事がある。老いた父の顔がだんだんと若くなっていく。やがて、独身時代の精悍な顔になってフェードアウト。母も同じように、よぼよぼの顔が徐々に若返って二十歳前の可憐な表情で終わる短い顔写真ストーリー。全てスナップ写真から切り取っているから、表情は豊かで自然のまま。遺影に使った顔も出てくる。BGM(ロックンロールだからね)も流して感傷たっぷりに仕上げたけれど、自己満足ながら親戚には好評だった。両親の生きた証しになった。

 自分の死後は残された者たちが考えれば良い。今の自分を写真に焼き付けたいのであれば、何も無い背景の前でポーズを取るのではなく、友人知人等と戯れる瞬間を切り取った方が余程躍動感があって宜しい。遺影なんて言葉に惑わされない方が宜しい。

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2008年2月 2日 (土)

例外のない規則はない

 タイトルの「例外のない規則はない」は本当だろうか。

 もし、これが本当だとすると、「例外のないル規則はない」と云う規則自体にも例外があることになり、「例外のない規則」が存在しなければならない。「例外のない規則もある」と云うことになって、矛盾が生じる。従って、「例外のない規則はない」は正しくない。

 これも詭弁と同じで、理屈の世界ではよく議論される話。

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2008年2月 1日 (金)

整理整頓

 5Sと云う言葉がある。「整理、整頓、清掃、清潔、しつけ」の頭文字から付けられた言葉で、製造現場なんかでよく使われている。具体的な意味が案外奥深い。「整理」って云うのは、必要なモノと必要でないモノを分けて、必要でないモノを処分すること。「整頓」は、必要なモノをすぐに取り出せるようにしておくこと。

 この「整理整頓」が難しい。みのる君のカミサンなんか、最も苦手な作業とみえて、何でも出したら出しっ放し。しょっちゅう探し物している。かく云うみのる君は、何でも取っておく方だから、荷物が増えてしようがない。半年も使わないようなモノは元来不要なモノの部類に入るけれど、捨て難い。5Sを我が家にも導入した方が宜しいかと思うけれど、書棚の何処に何が収まっているのか、しっかり頭の中に入っているし、机の中だって、見た目はゴチャゴチャしているけれど、ちゃんと必要なモノは取り出せる記憶力があるから、改まって整理整頓も無いと開き直っている。しかしながら、職場では不要なモノはどんどん捨ててしまう。仕事が終われば、机の上には何も残さない。整理整頓が徹底している。職場と家庭ではこうも違うのかなと思うけれど、これも性分なのかしらん。

 5Sの内、一番厄介なのは、「しつけ」。整理整頓、清掃清潔を守らせることが「しつけ」になるけれど、大抵、5Sがお題目で終わってしまうのは、この決められたルールを守らせること(しつけ)が難しいからだ。ルールを守るって苦手な人が多いからね。

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