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2007年11月の30件の記事

2007年11月30日 (金)

スパイダソリティアその後

 飽きずに「スパイダソリティア」に熱中しているけれど、一向に腕が上がらない。相変わらず中級の勝率は32%のまま。時々5連勝、6連勝もあるけれど、負け続けることの方が多いから成績は上がらない。情け無いね。でも、「マインスイーパ」の初級のハイスコアは6秒の実績を誇っている。

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2007年11月29日 (木)

再び、玄関の鍵が故障

 昨夕、仕事中にカミサンからSOSの電話。又、玄関の鍵が壊れてしまって、中に入れない。キーも抜けなくなってしまったわ。このまま寒空の下、ブルブル震えて待つのは嫌。非常用の勝手口のキーの在り処を教えて。

 忙しい時に参ったね。早々に仕事を切り上げて帰宅。再び鍵屋だ。キーが抜けないから分解もままならなかったけれど、悪戦苦闘の末、何とか修復。大したものね。すっかり錠前屋が板についてる。なんて冷やかしやがる。前回の修理が不完全だったのかな。毎日の開け閉めでキー溝に差し込んでいるネジが緩んでしまったみたい。今度は、バッチリ差し込んでおいたぞ。少し不安は残るけれど…。

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2007年11月28日 (水)

萩原朔太郎の「春雨」

 明治37年、旧制中学在籍中の萩原朔太郎が学友会雑誌に文章を発表している。抜粋してご紹介。

 春雨
 今日にてこの雨六日つづきぬ。文玉へと姉よりの繪はがきつきし朝、南の窓にもたれて詩集ひもとく。
 『こうべらぼうにさむいや』
 『そりゃきこえませぬ、傳兵衛さまか、アハハハ』
 職人風の男二人、相合傘に意勢よき高笑ひ。からたちの垣すかして見やれば、一人は大きな酒樽さげたり、一人は鼻唄うたいつつ道を左り、屈(かがま)りゆく。
 往来しばしとだえぬるに、庭の椿ニ片はらはらとこぼれつ。尚その一片もやと思ふとき、門にきこゆる大師和讃の調(ふし)も清らや。
 『南無大師遍照金剛………』
 げに事々に趣もつ春の小雨。

 捉えた情景は陳腐。二十歳前の朔太郎の気負いだろうね、ドラマチックを意識し過ぎている。若気の至り。あえて云えば「南の窓にもたれて詩集をひもとく」だけで十分。朔太郎にも若い時代があったと云うことさ。尚、この一文が載った学友雑誌に絵も発表しているが、一文よりよっぽど味がある。

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2007年11月27日 (火)

手塚治虫の「シュマリ」

 手塚治虫の漫画はあまり見ないけれど、「シュマリ」と云う作品だけは意外に熱心に目を通した。明治初期の北海道を舞台に、一人の女を一途に愛した男の物語。所詮漫画と思いつつ、一本気の主人公に引き込まれて最後まで一気に読んでしまった。シュマリのような頑なな生き方も良し。「火の鳥」みたいな壮大な物語より、余程人間味があった。

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2007年11月26日 (月)

かぐやの映像拝見

 宇宙航空研究開発機構(JAXA)のホームページで月の周回衛星「かぐや」が捉えた「地球の入り」と「地球の出」を紹介している。一見の価値あり。Googleなどで「宇宙航空研究開発機構」とキーワードを入力すれば、すぐに見付かる。音声無しだから、あからじめ自分の好きな音楽をバックで流しながら、この壮大な動画(Adobeの動画ソフトの環境が必要~無料でダウンロード可能)を見ることをお薦めする。

 みのる君は「月光のソナタ」を流しながら、数分間の旅を味わった。TVでも紹介していたようだけれど、生憎仕事で見られなかった。ハイビジョンではもっと迫力があっただろうね。残念。

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2007年11月25日 (日)

日向ぼっこ

 昨日は穏やかな小春日和だった。忙しいカミサンが珍しく余裕があったとみえて、どう、久し振りに縁側で日向ぼっこしながらお茶でも如何、なんて殊勝なことを云う。ちょっと年寄りくさくないかい。夫婦が縁側でお茶を飲むなんて、まるで型にはまったドラマのワンシーンじゃん。などと悪態を付くも、お付き合いも円満の秘訣、仲良く縁側で一服に及んだ。

 一昨日はカミサン一人で遠方のお茶友達を訪ねている。我が家のお茶会で世話になったから、今度はご招待するわ、などと云うお誘いに軽々と乗って、車で片道一時間半もかかる道のりを一人で出向いていった。出掛ける前に道路マップを入念にチェックしていたけれど、無事にたどり着いたみたい。彼女から頂いた茶菓子なんぞを喰いながら、カミサンの冒険譚に耳を傾ける。帰りは一時間で戻って来られたわ。どう、大したものでしょう。大きな築山もあって、立派な門構えの家だったわ。きっとお金持ちなんだろう。お茶の先生で金が無いのは我が家くらいのモンさ。ウチだって、それなりに立派よ。立派なのは桜の木ばかりさ。桜植える馬鹿って云うし(勿論、桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿のもじり)。その内、カラマツも杉の木も大きく育ってしまって、千年も経つと我が家は深い森になっちまうぜ。近所迷惑も甚だしい。などと、軽口を叩きながら、風もない静かな日和のひとときを縁側で過ごした。

 午後のカミサンは弟子に茶を教えた後、書道教室へ通うために百人一首に出てくる貞信公の歌を一生懸命に筆でなぞって、練習に余念がなかった。貞信公ってどんな人かしら。などと余計な神経を廻らして、みのる君の書斎に飛び込んで来る。字を書く練習の方が大事だろうに。仕方ないから、再びお付き合いさ。書棚から拾遺集やら後撰集やらを引っ張り出して、ほれ、これが貞信公の歌だよ、略歴も巻末に載っている。ふむふむ、なるほど。カミサンは一人納得して部屋に戻って行った。おいおい、夕飯は大丈夫だろうな。

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2007年11月24日 (土)

七重八重ここの家にも…

 岩波書店の日本古典文学体系に「徳和歌後萬載集」と云う狂歌集がある。大田蜀山人の狂歌を披露したついでに、いくつか面白い狂歌をご紹介。一部現代表記に改める。

 青々としげりし中にこの梅の花はくれない藪はくれ竹

 七重八重ここの家にも桜花かしこの山のあまり物かも

 足引の山鳥の尾のながき日に背比べしてたつ雲雀哉

 夜鳴くは珍しからず昼の野へ虫の寝言を聞きにこそゆけ

 諸共にあはれと思へお月さま国のなじみはおまえばかりじや

 あせ水を流して習う剣術の役にもたたぬ御代ぞめでたき

 俳諧の猿の小蓑もこの頃は狂歌衣をほしげなり

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2007年11月23日 (金)

大田蜀山人の狂歌

 大田蜀山人と云う江戸時代の戯作者の狂歌をいくつかご披露しよう。なかなか愉快。出典は岩波書店の日本古典文学大系。

 世の中にたえて女のなかりせばをとこの心のどけからまし
(ご存知在原業平の本歌取り:世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし)

 千早振神も御存知ない道をいつのまにかはよく教え鳥
(教え鳥はセキレイのこと。古事を知らないと意味不明の歌)

 世の中はわれより先に用のある人のあしあと橋の上の霜

 神々の留守をあづかる月なれば馬鹿正直に時雨ふるなり

 富士のねの表はするがうらは甲斐前は北面のちは西行

 すみだ川今は吾妻の都鳥業平などは在五中将

 もう一つ。出典を忘れてしまったが、面白い狂歌をご紹介しよう。蜀山人が婚礼に招かれての一首。花嫁衣裳の一行が歩いていると、たまたま向こうから葬式の列がやって来る。これを見た花嫁団体の一人が蜀山人に歌を所望する。請われて詠んだ狂歌、

 世の中は幸と不幸のゆきわかれあれも死にゆくこれもしにゆく

 一瞬、何の事か分かりにくい。じっくりと考えると笑える狂歌。昔、大笑いして読んだ覚えがあるけれど、すっかり出典を忘れてしまった。歌だけはしっかり記憶に残っている。

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2007年11月22日 (木)

真夜中のカーボーイ

 1969年のアメリカ映画。ジョン・シュレシンジャー監督。ジョン・ヴォイト、ダスティン・ホフマン出演。

 ジョン・バリーの音楽が大ヒットして、よく聴いていた。映画ポスターも良かったけれど、映画は左程ではなかったな。

 この映画のラストシーンだけは印象的だった。フロリダを夢みたダスティン・ホフマンがフロリダを目前にして、長距離バスの中で息を引き取る。途方にくれるジョン・ヴォイト。ガラス窓にフロリダの明るい景色が反射している。わずかのショットだったけれど、記憶に残った。夢破れた無残な人生をさりげなく描いてみせてくれた。

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2007年11月21日 (水)

卒業

 1967年のアメリカ映画。ダスティン・ホフマン、アン・バンクロフト、キャサリン・ロス出演。マイク・ニコルズ監督。

 フランス映画の「個人教授」と似たような設定。若者と人妻。「奇跡の人」から一変したアン・バンクロフトの表情が凄かった。圧巻は、ダスティン・ホフマンが結婚式場へ向かうシーン。望遠レンズで彼の必死の走りを正面から撮り続ける。走っても走っても近付いてこない彼の姿。焦りの心理描写ながら冷徹に、いや、むしろコミカルにカメラが捉えていた。教会で叫ぶシーンはあまりに有名だけれど、ちょっと興ざめだった。

 音楽も大ヒット。「ミセス・ロビンソン」のリズムギターのミュート気味のカッティング。これが気に入って、しばらく真似していたこともある。

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2007年11月20日 (火)

個人教授

 ミシェル・ボワロン監督。ナタリー・ドロン、ルノー・ベルレー出演。1968年のフランス映画。

 これも先日、久し振りにTVで拝見。大した映画ではないけれど、フランシス・レイの音楽が良い。昔、さんざん耳にした主題歌。スキー場の場面でこの曲が流れるが、これを聴けばもう十分。物語の展開はどうでも良くなってしまう。確か、レイモン・ルフェーブル・オーケストラ(?)がドラムを効果的に使ってこの曲を演奏していたように記憶している。迫力のある連譜の刻みが見事だった。

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2007年11月19日 (月)

寒くなってきた

 段々と寒くなって来て、とうとうストーブのお世話になるようになった。去年は11月25日にストーブを使い出したけれど、今年はちょっと早めだ。一昨年は10月31日と早かった。その前の年は11月12日、更にその前年は11月10日、更にもう一年前は11月2日。こうやって見ると、今年は遅い方の部類。去年は随分と我慢していたみたい。これも温暖化の所為か。灯油の値上がりも大きいし、いよいよ厳しい冬の到来だ。

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2007年11月18日 (日)

武士の一分

 先日、TVで「武士の一分」を見た。山田洋次監督、木村拓哉主演。興行的に大ヒットした06年の映画。

 細部にまで気を配った感のある映画。静かな展開だからちょっと眠くなってしまったが、まぁまぁかな。離縁された妻(檀れい)の行き場って何処だろうなんて余計な詮索をしたり、侍屋敷近くで遊ぶ子供等が不自然に見えたり、どうでも良い事が気になってしまったけれど…。そして、木村拓哉が「武士の一分」を口にした時は往年のヤクザ映画の最後に堪忍袋の緒を切る高倉健を思い出してしまった。理不尽な行為も度を過ぎると痛い目にあう。窮鼠却って猫を噛む。映画にとって、これは永遠のテーマかも知れないね。桃井かおりや笹野高史の脇が楽しめた。

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2007年11月17日 (土)

布団の打ち直し

 9月中旬、20年来使用していたせんべい布団をカミサンが打ち直しに出した。骨董市で見付けて来た古い生地も何枚か一緒に布団屋に渡して、この生地をうまくツギハギして布団に仕立て直してほしい、なんてややこしい注文を出した。布団屋も困惑したに違いない。時々、電話を掛けて来てカミサンにツギハギの方法を相談していた。そして2ヶ月。やっと打ち直しが完成した。随分と手間取ったみたい。段々寒くなって来るから掛け布団がないと辛い。そろそろ我慢の限界かなと思っていた矢先の一報。冬に間に合って良かった。出来上がった敷布団と掛け布団2組。打ち直しって大したものだね。見事に綿が蘇っている。フカフカ状態。煎餅から饅頭に格上げだ。古生地の寄せ集めながら、茶色や紺色が大胆な模様を描いている。なかなか粋な布団に変身したね。どう、すてきでしょう。カミサンはご満悦の様子。どうかな。何かモノ凄いって感じだな。一回り小さくなったみたい。煎餅に慣れてしまっていたから、新品同様には違和感があるのだろう。とにかく寒くなる前に出来上がって良かった。おかげで温かく気持ちよく眠れる。そう云えば、みのる君が幼い頃にお袋が綿をほぐして打ち直しに精を出していた姿を覚えているけれど、最近は打ち直しなんて、めったに見なくなくなった。新品を買うよりは安く再生出来るのに、もったいない話だね。

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2007年11月16日 (金)

子供たちの預金通帳

 みのる君に息子や娘が生れると、あちこちからお祝いを頂戴した。子育ての頃は七五三や入園、入学式、誕生日等、事ある毎に祖父母や親戚、友達からいつも頂いていた。その度にお返しは欠かさなかったが、頂いたお祝いは全て子供から取り上げていた。使い道を知らない幼い子供たちに金は無用さ。たびたび過分の小遣いを子供に与える方がいたが、教育上宜しくないので今後は無用に願いたいとはっきりお断り申し上げた事もある。

 公明正大なみのる君は、子供等から取り上げたご祝儀を自分の懐に入れた訳ではない。実は、子供等から没収した金は全て子供名義の預金通帳に預金していた。そして、子供等が小学校を卒業する時、通帳と印鑑を本人に渡した。これからは、全て自己責任で管理せよ。見れば、結構、貯まっている。子供等には多すぎる小遣いになったようだ。

 以後、子供等の通帳は見ていない。解約したのかも知らない。一切関与せず。実にあっさりしたもんさ。

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2007年11月15日 (木)

テレビゲーム

 インベーダーゲームが日本中を席巻した頃、ご多分に漏れずみのる君も大分教育費を払った。単純なコンピュータゲームだけれど、格好の時間潰しだった。大の大人がディスプレイに向かって血相を変える図なんて、あまり感心しないけれど、ゲームと割り切っているから、そんなに熱くなる事もない。

 コンピュータゲームは大人の遊び道具だと思っている。子供に与えるもでのはない。子供は無から有を生み出す想像力に長けている。地面に棒ッ切れで輪を書けば、そこが陣地になる。紐があれば縄跳びが出来る。公園の遊具が本物の自動車に変身する。子供達は何もない所から、工夫を凝らした遊びを発見していく。この創造力の芽を摘んではいけない。現状を受け入れ、自分なりに消化していく能力を育てる為には、あてがい扶持では駄目。だから、みのる君は子供等にTVゲームを買い与えなかった。TVゲームは大人になってからで十分。今を生きよ。

 でも、子供等は友達の家に上がり込んでTVゲームに夢中だったみたい。近所では、ゲームを与えない不届きな親と評判だった由。後で聞いた。心外な。子供等だって友達付き合いがあるから、肩身の狭い思いもあったのだろうな。難しいもんだね。

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2007年11月14日 (水)

一念発起の日本語教師

 70年代後半の頃だったか、アフリカはリベリア共和国で日本語教師を募集する広告が新聞に載った。どこが主催だったか記憶に残っていないが、確か、3月の終わり頃に東京で募集説明会が開かれた。みのる君は一念発起、海外で一旗あげようなんて想を練ってね、さっそうと説明会に参加したものだ。でも一人では心細いし、心許無いから、友人の東海ニ君を強引に誘っての参加だった。

 会場には結構大勢の希望者が集まっていた。こりゃ、狭き門だぞ。海外雄飛を夢見る同類の多さにちょっと驚いてしまった。さて、いよいよ具体的な日本語教師の募集要項等の説明が始まると、会場から矢継早の質問が飛び出した。ここで再び驚いたことに、質問は全て英語だぜ。迂闊にも、みのる君は英語の必要性にまで考えは及ばなかった。日本語を教えるのに英語が必要かいね。徹頭徹尾日本語を押し通せば済むかと思っていたが、浅はかだったね。短慮の極みさ。英語なんてまるで駄目なみのる君。海外飛翔の夢はあっけなく打ち砕かれてしまった。雌伏して時を待つか。

 せっかくの機会だったから、一応名前だけは登録して帰路についた。無理に誘った手前、東海ニ君に夕飯をご馳走して意気消沈の呈だったな。何で英語が必要なんだ。アルコールが入っても愚痴ることしきり。東海ニ君こそいい迷惑だっただろうね。

 その後、主催者から登録済の案内を頂戴したが、それっきりになってしまった。国情に無頓着の無鉄砲、浅薄な計画は頓挫してしまったが、その後、時折政情不安を伝える新聞記事を見ては、無茶しなくて良かったと東海ニ君と話題にしたものだ。

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2007年11月13日 (火)

ご案内

 本日午後8時から明日の午前10時頃まで、メンテナンスの為コメントの投稿が出来なくなる由。管理者のご都合はいつも一方的ですが、利用者は従わざるを得ません。ご承知おき下さい。

 時折、管理者がメンテを実施しますが、効果の程が分からない。改善されているのかしら。色々なパーツが盛り沢山だけれど、ほとんど利用したことがない。デザインも重要だろうけれど、余り凝られては、見ている方の肩が湖ってしまうし…。訴求効果って難しい。

 今回はデータベースの効率改善の由。情報過多なのでしょうかね。

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2007年11月12日 (月)

床屋は苦手

 どうも床屋って苦手でね、きっと近眼の所為だと思う。床屋の椅子に座ってメガネを外すと、途端に世界が曖昧模糊となる。鏡に映る自分もぼんやりとしていて、折角の好男子が様にならない。調髪の希望を質問されても、よく見えないから、ついいい加減になって、適当に短くカットして、なんて応えるしかない。答えも曖昧模糊さ。はっきり見えないと何となく不安で、それに、女性理髪師の顔が間近に迫ってくるから何となく居心地が悪いし、髪をカットしてもらっている間はずっと目を閉じてしまう。そのまま眠ってしまうことも多い。若い時分に一年以上も床屋に行かなかった理由の一つはこの近眼の弊害。何となく不安。これに尽きる。そう云えば、生れてこの方、床屋は三軒しか知らない。新しい店とか安い店を探そうと云う意思は全くない。面倒くさいし、いつかは白くなって禿げてしまうモノなんかに気を取られるのも癪だし、あるがままで十分。などと思っているけれど、これって、もしかしたら、苦手を克服するためのやせ我慢かな。蛇足に、髪を洗うのにシャンプーなんか使ったことがない。石鹸で事足りる。でも、髪は痛んでいないし、ふさふさだし、外見上全く異常は認められんぜ。だから、今もってシャンプーやリンスの効果なんか当てにしていない。もう少し身だしなみに気を配ってはと云うカミサンのご忠告も意に介さず。偏屈かな…。

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2007年11月11日 (日)

秋深き隣は何をする人ぞ

 芭蕉最晩年の作。元禄7年。芭蕉51歳の生涯を閉じる直前。

 秋深き隣は何をする人ぞ

 寂寥感たっぷりの句。死を予感していたのだろうな。自分一人だけがぽつねんと臥していると、隣から賑やかな生活の音や声が聞こえてくる。寂しさが一層募り、いよいよ俺もお仕舞かい…。そんな心境だったかも知れない。諸君、お別れの時が来たぞ。いざ、さらば。そんな思いが凝縮した句。人口に膾炙されたイメージとはニュアンスが違う。

 この次に芭蕉最後の句、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」をモノにして逝った。「秋深き…」を作る一週間程前には、「この道や行く人なしに秋の暮」や「この秋は何で年寄る雲に鳥」を作っている。人生終焉間際に次々と傑作をモノにしている。死出の旅を覚悟していたに違いない秀句。

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2007年11月10日 (土)

素浪人時代

 みのる君は高校卒業後、一年程素浪人生活を余儀なくされたが、思えばこの一年は贅沢な時間だった。

 映画好きだったから、毎週欠かさず映画館に通っていた。硬軟取り混ぜて、何でも来いと云う感じだね。平日の場末の映画館の臭いをたっぷりと味わっていた。

 読書にも励んだ。漱石の小説は全て読破した他、川端文学やら谷崎、永井荷風、井伏に志賀直哉、三島由紀夫に江戸川乱歩、松本清張に田山花袋、有島武郎、倉田百三、芥川に阿部公房等々。次々と読み飛ばしていったお陰で、残念なことにほとんど記憶に残っていない。多分、栄養にはなったと思うけれど…。カタカナの混じる翻訳物(世界文学)は面倒くさくてほとんど読まず、嗜好は大いに偏っていた。

 同様に素浪人生活を楽しんでいた友人の東海ニ君を誘っては、あちこちの美術館や展示会巡りをやって、目を肥やしていた。いっぱしの絵画論を認めてお袋に売り付けたこともあるし、芭蕉論も冊子にまとめ、お袋に買い取らせたこともある。小遣い銭稼ぎだ。学生集会にも顔を出して、後ろの方でやんやの喝采を浴びせてもいた。七五調が面白くて、テレビで原作片手に歌舞伎を観ていた。運動不足解消に毎日の筋トレも欠かさなかったし、ドラムの練習も続けていた。胃袋もさんざん鍛えた。いくらでも喰えた時期だった。

 毎日予備校へ通っていたけれど、こちらは同類相憐れむの環境だから、面白くもなかったが、受験に関係のない数学や地学の授業は真面目に聴講していた(身には付かなかったことが悔しい)。男子高校で身についたバンカラ気質が災いして女性とお近付になる機会がなかった。痛恨の極みだね。

 学生でも社会人でもない中途半端な状態が意外に心地良くて一年中ふらふらしていたけれど、一応、毎晩の勉強も熱心だった。卒業した高校の模擬試験に参加したら、現役生のトップテン以内の成績を上げ、こりゃ東大合格間違いない、なんて図に乗っていた。現役時代は後ろから数えた方が早い程の成績だったから、一年間で身に付けた広範な知識欲と行動力がプラスに転じたのだろうか、一気にトップテン入りした時は驚いたものだ。大器晩成かな。この素浪人生活で体になじんだ自由精神が、後年の借金生活の元凶に変貌するとは思ってもみなかった。

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2007年11月 9日 (金)

転校生(1982年版)

 大林宣彦監督の尾道を舞台にした1982年版の「転校生」にワンショットの迫力あるシーンがある。

 小林聡美が「男」になり切って自転車のペダルをこぎながら商店街を突っ切り、その後に跨線橋を越える場面がそれ。遠くから必死にペダルをこぎながらやって来て、急勾配の跨線橋を一気に上り、下るカットなしの疾走シーン。観ている方が息切れしそうな場面だった。体力がないと務まらない。これを見て小林聡美のファンになってしまった。彼女が男の視点で自分の胸に手を当てて驚き、あるべき「男」の証拠を確認する場面のおかしさも良かった。

 「第三の男」のラストシーンで見せた女性の無表情、「カサブランカ」のラストシーンの憮然たる男の顔、いずれも個性的ながら典型的とも云える男女の心理。こうした世間一般が納得してしまう固定観念をうまく料理したのが「転校生」だったのかも知れない。既成事実には縛られてはいけない。もっと本質を見よ。そんなメッセージ。小林聡美の男っぷりがそう語っているようでもある。尾美としのりの女々しさも仮面を剥いだ男の本質だったとも云える。崇高なる伝統の終焉かね。

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2007年11月 8日 (木)

カサブランカ

 云わずと知れた1942年のアメリカ映画。ハンフリー・ボガート、イングリット・バーグマン主演。「君の瞳に乾杯」なんて台詞を堂々と口にするようなメロドラマだけれど、世界中に愛されている。国威発揚と云う背景があった由。

 この映画は過去を引き摺った男の純情物語に過ぎないけれど、男の頑なな意思が良いね。「第三の男」の対極かも知れない。気障な台詞も生きているし、男はかくあるべきと云うメッセージが溢れている。ラストシーンの警察署長との会話も純情な男同士と云う図式。男はかくあるべき。しかし、映画が範を示すようでは、世の中おしまいだねと云う見方もある。

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2007年11月 7日 (水)

第三の男

 キャロル・リード監督。1949年のイギリス映画。

 この映画はラストが強烈だった。かの名曲がバックに流れる中、男を一顧だにせず歩き去る女性の姿を見て、女って怖い存在だなと思ったものだ。やっぱり、男って純情なんだね。

 この最後のシーンがなかったら、大ヒットしなかったに違いない。世の男性諸君は、一筋縄ではいかない女性の強さを改めて感じ入ったに違いない。だから、不承不承でも賛辞を呈さざるを得なかったと思う。だから名作になったとも云えるね。

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2007年11月 6日 (火)

図書11月号の巻頭文

 岩波書店発行の「図書」11月号の巻頭に、フランス文学者の鹿島茂氏が面白い一文を寄せている。

 昔は書物を読むことから始まって、作者に同化し、やがて自他を比較し自我の独立性を発見するに至った過程があり、その上で「書く」行為となっていたが、最近は初めからユニークな自己ありきを前提として、読む必要はない、書くだけと云う天上天下唯我独尊タイプが増え、「書く人」ばかりの「カラオケ社会」となってしまったと断じている。実に明快。「カラオケ社会」とはよくぞ云ってくれた。拍手。まさに、その通りだろう。

 かく云うカラオケの嫌いなみのる君なんぞも、最近はすっかり本を読まなくなってしまい、耳が痛いが、多少は意欲が残っている(つもり)から、拍手を送る気にもなる。同化に同感。自他の確認作業には、人様の影響を受けることが必要だろうね。

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2007年11月 5日 (月)

再び覚満淵を訪ねる

 カミサンの茶会が終わった翌日、彼女の労をねぎらって赤城山へ行って来た。何処かへ行こうかと誘った所、赤城山の覚満淵へ行って見たいとのこと。

 すっかり紅葉は終わっていたが、結構、観光客も多かった。時期によって客足が伸びる場所だね。前回は青々としていた湿原は色を落として冬の装いだった。

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 沼を一周して、入口付近にある「風の庵」と云う食堂で新そばを食した。もうストーブを使っていた。店の主人は焼物をやっている由。陶器材料と書かれたダンボール箱が隅っこに置かれてあったが、松江市青葉台とかの住所。えらく遠くから材料を仕入れているもんだ。昨年、松江を訪問したこともあって、つい、目がいってしまった。

 例のごとく、みのる君は生ビールを飲みながら十割そばを堪能。帰路はカミサンの運転。紅葉にちなんだ唱歌を口ずさみながらの運転ながら、カーブも無難にこなして無事に帰宅。どう、私の運転も満更ではないでしょう。カミサンは得意がっていた。

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2007年11月 4日 (日)

無事、茶会が終了

 昨日は天候にも恵まれ、カミサン主催の茶会が無事に終わった。みのる君は下働きに徹して、庭掃除の後は打ち水、庭先で野点の準備。お弟子さんやらお手伝いが来る頃には、自室に引き下がっておとなしくしていた。途中、遠くからの客を駅まで送ってほしいなんてカミサンの要請にも快く引き受けたり。

 すっかり暗くなった頃、スタッフ全員の記念撮影も請け負って、全てが終了。長い一日だった。

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2007年11月 3日 (土)

名月や池をめぐりて

 貞享3年、芭蕉43歳の作。

 名月や池をめぐりて夜もすがら

 芭蕉庵に其角らが集まって月見の会を催した折の作。一晩中、名月を眺めて池の周囲を歩き回るなんて、ちょっと大袈裟だね。句作りに悩んでいたのかな。蛙が飛び込んだ池を使って今度は名月をひねり出す。伝統と拮抗すると云う見方も出来る。

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2007年11月 2日 (金)

丸の内勤務時代

 東京丸の内のオフィス街に勤務していた頃、住まいは環七と早稲田通りが交差する大和陸橋のすぐ脇にあった。金がないから安アパートで我慢の日々を送っていた。天下の環七の横だから、車の騒音やら排気ガスがひどいだろうなと思っていたけれど、案外、気にもならず、呑気に生活していた。もっとも、ほとんどアパートには寝に帰るだけだったから、意に介さなかったのかも知れない。西日の当たる部屋で、夏場は窓を開け放して寝ていたけれど、網戸がなくても、虫の闖入はなかった。虫も住めない排気ガス充満の地だったのだろう。早稲田通りから車一台も通れない狭い路地を入った奥にアパートがあって、引越し荷物を運び込むのに往生したものだ。ここから丸の内まで毎朝通っていたけれど、丸の内で不便なことと云えば、人口の割りに食堂が少ないことだった。勿論、大抵のビルの中にはいくつも食堂があったけれど、昼時はいつも超満員。何が嫌いだと云って、食堂の順番待ち程嫌いなものはない。順番を待つ列が出来る程の人気の店なんて、行きたいとは思わない。まるでお預けを喰らっているようなものだから、つい、やせ我慢をしてしまう。しかし、丸の内では他の店も同様に混雑しているから、諦めざるを得ない。毎回、しぶしぶ列に並んだものだった。あれから大分経つ。東京駅に「駅ナカ」が誕生した由。食堂事情は改善されたのだろうか。相変わらず、長蛇の列を競っているのかね。都会人は逞しいなと思う。

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2007年11月 1日 (木)

井の頭公園の思い出

 学生時分のある日、不美さんやカズさんや啓さんと云った仲間と西荻窪に住んでいた薫君を訪ね、みんなでにぎやかに呑んだ。すっかり酔っ払った頃、ふらふらと揃って井の頭公園まで酔い覚ましの散歩と洒落こんでね。真夜中の公園と云っても、都会だから明るい。ところが、呑んだ勢いもあったのだろうね、誰かが突然、泳ごうなんて云い出してね、図に乗るのが不美さんの欠点、早速裸になって、池に飛び込みやがった。続いて啓さんも薫君も二番手、三番手。止める間もないし、酔っているから、椿事は些事。ごく短い時間の出来事だったけれど、不美さんは素潜りまでしたから、頭に藻がべったりとくっ付いていた。酔っ払いは何をするか分からない。幸い、深夜で通行人もいなかった(と思う)。見付かれば大騒ぎになっていただろうね。悪いことをしたもんだ。後年、井の頭公園近くに住まいしたけれど、時々、珍事を思い出しては苦笑していた。馬鹿な連中さ。みのる君は冷静沈着冷淡薄情だから、そんな愚はやらなかった。

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