夏目漱石の有名な作品の冒頭だけれど、漱石はどんな構想でこの作品を書いたのだろうか。
神経衰弱が昂じて英国留学から帰国、一年余り後の明治37年12月、明治大学の講師も兼務していた38歳の漱石は、神経衰弱が小康状態の折に創作活動に励み、12月に「猫」の第一話を発表。多くの賛辞を得て、翌38年1月に「ホトトギス」にも発表。一気に名声を博す。
「猫」については、漱石自身の戯画化とも文明批評とも、あるいは知識階級の性格とも、さまざまに論議されているけれど、思うに、もっと単純な発想から冒頭の一文が作り出されたのではないだろうか。その発想から次々と文章が生み出され、やがて、とんでもない文学に昇華していったのではないかな。
学校で習う英語の最初は、みのる君の時代は「This is a pen」や「I am a boy」だった(今でも余り変わっていないかと思うけれど)。明治初頭の日本人が初めて英語を習得する際も、最初は「This is a pen」辺りから学んだのだろう(と思う)。漱石先生にしても、英語のとっつきは「I am a boy」辺りに違いない。「私は少年です」と云った英語を学んだ若輩者の漱石先生は、得意がって色々な名詞をくっつけて語感を楽しんだと想像出来る。その中にきっと「cat」もあり、「I am a cat」とやったに違いない。これは面白い。無邪気に英語の響きを喜び、「私は猫です」なんて堂々と云っていたのだろう。これが、やがて、そのまま小説のタイトルとなったと想像出来る。
「私は猫です」では、ひねりがない。色々一人称を思い浮かべた結果、「我輩」が一番しっくりする。これで十分尊大な猫を想像出来る。威張った視点で世の中を茶化してやろう。そんな発想があったのだろう。英語習得の際につむぎ出された発想、単純明快な発想さ。
威張っている割には冷静沈着振りも必要だろう。だから、次の文章は、必然的に「名前はまだ無い」と云う冷静な視点が出てくる。そこら辺の猫とは違うぞ。「名前が無い」と云うのは、人間様には隷属していないぞ、公正な第三者だぞと云う宣言でもある。人間様と一線を画しているぞと云う傲慢な態度でもあり、読み手である人間様はつい笑ってしまう。猫が生意気なことを云っていやがる。
次に、猫は自らの出生の秘密を暴露する。「薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いて居た」と云うのは、自分は捨猫である、天涯孤独の身の上であると云う告白。そして、明治大学等で教鞭を執っていた漱石先生の、学生に対する鬱憤まで持ち出して、学生をコケにしている。そうして、読者は猫の語る「書生」に納得しつつ、次第に猫の語る世界へと誘われていく。
多分、「I am a cat」→「我輩は猫である」→「世間と一線を画した視点」→「人間様の醜態を茶化す」と云う筋書きによって第一話が完成したのだろうと思う。
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