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2007年10月の31件の記事

2007年10月31日 (水)

祝500回

 とうとう500回目の記事となりました。一人ご満悦です。飽きもせず、よくぞ続けられたものです。根性の賜物です。内容はともかく、続けることに意義があります(異議もあるかも知れませんね)。継続は力なりです。連載を抱える新聞のコラム担当者の悩みを理解出来ますね。毎日書くと云うことは大変なことです。力仕事、体力勝負なのです。連続記録もそろそろ限界かも知れません(途切れたらゴメンナサイ)。アクセスカウンターを見ると、13635。実に大勢の方々にご来場頂いていることが分かります。有難いことです。これからもご贔屓の程を。善意のコメントを頂けると、もっと有難いことです。

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2007年10月30日 (火)

帝国ホテルでパーティ

 数年以上も前になるけれど、東京の帝国ホテルで開いたパーティの裏方を引き受けた事がある。各界のお歴々も招待して300人も集まった盛大なパーティだった。

 案内状の作成、発送、出欠の集計に始まり、式次第の準備、挨拶文の原稿作りから、料理の手配、当日のスタッフの配置、受付手順、席順、名札の用意等々、大半をみのる君が準備。当日はスタッフにあれこれ指示し、受付の後ろで気配りさ。スタッフとは云え、その道では名だたる有名人ばかり。指示と云うかお願いだね、一つ宜しく頼みますと低姿勢での指示。関東近郊や関西方面からも大勢に客が集まり、にぎやかな催しは成功裡に終わった。

 が、実は帝国ホテルの料理なんて、滅多に味わえない。結婚した年のカミサンの誕生日に一度だけ泊まった事がある程度。その時は仕事を終えてから、急いでホテルに向かったものだから、慌しくてゆっくり食事を楽しめなかった。今回のパーティでは、是非、帝国ホテルの上品な味を楽しもう。なんてひそかに期待していたが、当ては外れるものだ。

 受付スタッフの一人が集めた会費を集計していたけれど、金額が合わないと云って、一生懸命数え直している。総監督としては、放ってはおけない。一緒になって勘定をやり直す羽目となった。役割の終わったスタッフ達はすでに会場に入ってパーティを楽しんでいる。時々、こちらを窺っては、料理を小皿に盛って気を遣ってくれたけれど、普段は手にしない桁の金額を勘定するのが一苦労で、折角のスタッフのご厚意を味わう間がない。一、二杯ビールを口にした程度。やっと勘定があった頃は、すでに締めの挨拶が始まっている。そろそろお開きだぜ。お客にはお土産を渡さなければならない。会場にいたスタッフも戻ってきて、土産の準備を始める始末。料理どころではなかった。見知った顔が何人も帰りがけにみのる君の労をねぎらってくれた。有難いね。

 後片付けをして、帰宅したのは深夜。疲れた一日だった。結局、帝国ホテルの料理は味わえず。帰りがけにホテルのコーヒーを一杯飲んだだけ。ちょっと悔しいパーティだった。

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2007年10月29日 (月)

せっかくの休日が…

 せっかくの休みだと云うのに、カミサンの茶会の準備に駆り出されて、みのる君もお手伝いだ。玄関を開けると、正面に坪庭を配した我が家だが、この庭に面したガラス戸の掃除。年末の大掃除以来だから、大分汚れていた。カミサンはお弟子さんと最後の稽古に余念がない。茶会前日は仕事を休んで、準備に勤しむ由。以前は、わざわざ奈良から菓子を取り寄せたりしていたけれど、最近は手近で済ませている。その手配やらもあって、一人で慌てている。毎回、案内状は京都唐長から紙を取り寄せ、みのる君に後を任せたとばかり、案内状のレイアウトから印刷まで押し付けやがる。みのる君の友人等にも声を掛けてご出席を賜っているが、今年は葉書じゃないね、なんて準備不足を指摘されてしまった。当日は晴れを祈るのみだね。

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2007年10月28日 (日)

貴重なお菓子

 畏れ多くも秋の園遊会に招かれた方から菊の紋章入りのお菓子をお土産に頂戴した。どら焼きかな。カミサンと茶を喫しながら頂こうなんて計画。滅多に菊の御紋入りなんて拝めないから、しみじみ味わおう。

 煙草も一本貰ったけれど、こちらはさっさと煙になってしまった。みのる君の周辺に園遊会に招待される程の人物は見当たらない。土産をくれた方が呼ばれると云うのも驚天動地。きっと功績多大なんだろうな。広大な御苑で総理大臣と並んだ写真も見せて貰ったが、総理は国会で難題に苦渋している風ではない。園遊会と云う席でもあるだろうけれど、にこやかな顔付き。大臣が総理になる少し前、たまたま写真を撮らせて頂く機会があって、ついでに名刺も頂戴したが、TVでは窺えない気さくさだったな。お近付きになると、どうも贔屓目になってしまうが、やむを得ないのだろうね。NHKの家族に乾杯なんか見ていると、いかにTVの印象と生身のそれが違うかが良く分かる。直に人柄に触れるって、大切なんだね。

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2007年10月27日 (土)

人工衛星の軌道要素

 一時、人工衛星の軌道計算に夢中になっていた頃がある。天体間の位置計算に関する書物を買って来て、悪戦苦闘しながら、サイン、コサイン、タンジェントを勉強したものだ。生憎文系頭脳なので、なかなか身に付かなかった。とうとう諦めてしまったが、しばらくして、パソコンが世に出始め、一時は放り出していた軌道計算熱が甦ってきた。プログラムを作ってしまえば面倒な計算なんかいらない、どうせ根拠や証明とか理屈なんか分かりっこないのだから、理論抜きでいこうと云う乱暴な発想。これがパソコン購入の動機となった。

 やがて、文献を見ながら、ああでもない、こうでもないと試行錯誤を繰り返して、PCのディスプレイに世界地図を手作りで描き、その上に人工衛星の軌跡を表示出来るようになった。独学でBASICを習得。画面上にサインカーブを描く軌跡を見ては悦に入っていた。星好きになった頃は、エコー1号とか2号とか、明るい人工衛星が夜空を横切るのをカメラに収めて楽しんでいたけれど、いつかは自分でも人工衛星が飛んで来る時間を予測したかったと云うのが軌道計算に関心を示すきっかけだった。

 で、結局、全てを忘れてしまった。モノにならなかった。BASICも忘却の彼方に行ってしまうし、軌道計算熱も冷め切ってしまった。慌しい日常が主因だろうな。かろうじて覚えているのは、離心率と軌道傾斜角と高度。

 新聞紙上に時折、世間を賑わす人工衛星の軌道要素が載る場合がある。軌道傾斜角と云うのは、大雑把で乱暴に云えば、地球上の経度みたいなものだ。自分の住む土地の経度が、例えば北緯39度であれば、軌道傾斜角が39度以下の人工衛星は見られない。離心率は、ゼロが円。1になると放物線となって地球から離れてしまう。ゼロと1の間は楕円軌道で、数値がゼロに近い程円軌道に近く、1に近い程長大な楕円軌道となる。人工衛星の高度が36千㌔近いと静止衛星だろうな。大抵赤道周辺近くが静止衛星の軌道なので、軌道傾斜角はゼロに近い。普通の人工衛星は高度が350~400㌔程度かな。90分程度で地球を一周する。この3つの要素を見るだけで、何となく人工衛星の動きを想像出来る(みのる君の思い込みかも知れないが)。

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2007年10月26日 (金)

洗濯機購入

 今にも壊れそうだった洗濯機を新しいのに替えた。量販店仕様ではない。

 みのる君は、耐久消費財の家電製品は量販店を利用しないことにしている。メンテナンスを考えると、なじみの電器屋が一番。多少高くても、後が楽でね。壊れた時は、こっちの都合に合わせて修理に来てくれるし、少々の無理難題も引き受けてくれる。それに、量販店仕様の製造ラインで作られるモノより、きっと良い部品を使っているだろうと云う勝手な思い込みもある。大量注文を保証するから安価になる面もあるだろうけれど、それだけではないだろう。安く作る為に標準タイプと違った部品を使ったり、量販店向に機能面を変更したり、何かしら手を加えているだろうな等と勘ぐってしまう。そうでもしなければ、量販店がメリットを出せやしない。

 意外に疑り深い面があって、安価は俄かに信じない。前にも書いたことがあるけれど、儲かる話は、持ち込んだ方が儲かると云う真実と同じで、話を持ち込まれた方は損をするに決まっている。偽ブランドの横行も似たようなものだ。安物買いの銭失いと云う言葉もあるしね。安けりゃ良いってものではない。逆に、高けりゃ間違いないってことにもならない。高くてもまずい料理はいくらでもあるよ。要は、買物も信念が必要だってことか。

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2007年10月25日 (木)

醒睡笑から逸話を一つ

 醒睡笑(角川書店版)に載っているご存知の逸話をご紹介。

 小僧あり。小夜ふけて長棹(ながざお)をもち、庭をあなたこなたと振りまはる。坊主これを見附け、「それは何事をするぞ」と問ふ。「空の星がほしさに、うち落とさんとすれども落ちぬ」と。「さてさて鈍なるやつや。それほど作がなうてなる物か。そこからは棹がとどくまい。屋根にあがれ」といはれた。お弟子はとも候へ(弟子はともかくと云う意)、師匠の指南ありがたし。
 星一つ見つけたる夜のうれしさは月にもまさる五月雨の空

 最後に添えられた歌がいいね。うっとしい梅雨時の晴れ間だろうな、宵の明星でも輝いていたのだろう、久し振りに晴れた晩だから星一つでも見られて嬉しい。こう云う時は足元を照らしてくれる月よりも喜びは大きい。それだけの歌だけれど、電気のない時代だから大目に見てやらないとね。

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2007年10月24日 (水)

障子張り

 この前の日曜日、カミサンの剣幕に圧倒された面もあって、しぶしぶと久し振りに我が家の障子張りに精を出した。と云っても最も痛んでいた二階の障子6張だけ。破けた箇所がいくつもあって、どうみてもみっともない。まるで映画に出てくる貧乏長屋の風情だった。茶会にお客をお招きするには、いささか情けない風情と云うのが今回の障子張りの動機。

 我が家の障子を数えたら、大小取り混ぜて44張もあった。ちょっと多すぎるぞ。子供等が幼い頃はよく障子張を手伝わせていたけれど、子供等が成長するに従って張替え間隔が伸びてしまい、とうとう業者任せになってしまった。面倒臭いのが理由。だから、今回は久方ぶりの奮起。みのる君は小さい頃からやってきたから、心得ている。手際は良いぜ。

 まず、みのる君が古くなった紙を破り、桟を拭いて汚れやへばり付いた紙を落とす。最初から濡れた雑巾で障子を剥がすのがコツだけれど、どうしても紙が残ってしまうね。その後、カミサンがコツコツと糊を塗る。障子を張る時は共同作業。こう云う時のカミサンは嬉々としている。困ったもんだ。慎重に、慎重に張っていくけれど、ずぼらな二人の性格が隅々に出ている。糊が足りなかったり、斜めに張られたり。最後に霧を吹きかけて仕上がり。ちょっと、糊が足らなかったわ。乾けばくっつくだろう。そうなって欲しいわ。二階まで客は来ないから大丈夫。障子に穴が明いていなければ良しとしよう。すっかり暗くなるまで、数時間に及ぶ作業だった。

 翌朝、乾いた障子戸を見る。新しい障子は気持ちが良いね。ちょっと糊の効いていない所もあるけれど、目をつぶろう。カミサンの意見に賛成。彼女の都合に合わせたけれど、日曜日の午後の障子張りはきつかった。何の為の休日だい。英気を養うどころか、すっかり奪われてしまったい。

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2007年10月23日 (火)

芭蕉は「ばなな」

 文芸評論家の高橋英夫が表記の題名で文章を書いている(新日本古典文学大系月報14:岩波書店)。吉本ばななを引き合いに出して、曰く、「芭蕉」そのものの名を称したのは、芭蕉の大胆さ、奇抜さに他ならなかった。曰く、異国趣味、気分高揚、遊び心、自己演技といったものの混合であり、敢て言うならばそれこそ「ばなな」的なのである等々。

 俳号を宗房、桃青、芭蕉と改めていく過程で、さまざまな先駆的(実験的)俳諧に挑んできた芭蕉の気迫を端的に論じている。氏が指摘する「気分高揚」、「遊び心」が、同時に多くの真偽不明の句や誤伝を生み出した背景にもなったのだろうと思う。あの人ならやりかねないねと云った、誤解を招いても不思議ではない奇抜さ、大胆さをもウリにしてきた芭蕉の冗談精神が俳諧文化に綿々と語り継がれたのだろう。それにしても、今日程には出版やマスコミ環境が整備されていない時代にあって、多くの誤伝、流布が生れる風土にも感心させられる。

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2007年10月22日 (月)

茶会の準備が始動

 カミサンは2年に一度、文化の日に我が家で茶会を催している。今年が9回目になるので、かれこれ18年も続けている行事だが、時期が近付くにつれ、カリカリしてくる。子供等が育ってしまって人足不足なので、しわ寄せだね、折角の休日なのに、みのる君を巻き込んで掃除を手伝わせようとする。人を頼ってはいかん。常日頃、カミサンに自己責任を説いているが、聞く耳を持っていない彼女だから、あれをやって、これもやってと迷惑千万さ。手伝わないとは云ってない。こっちにもスケジュールがある。それを尊重して貰わねば困る。どんなスケジュールよ。どんなって、休日は休息日。平日の過酷な労働で疲れた体を休ませなければ仕事に差し障る。何よ、ただゴロゴロしているだけじゃない。カミサンはみのる君の高邁な精神を理解しない。ゴロゴロと休息は違うぞ。ゴロゴロは怠惰なだけ。休息は英気を養うこと。見た目は同じでも、みのる君は明日の為に心身を準備しているんだ。何さ、惰眠を貪っているだけじゃないの。茶会の準備の合間にお弟子さんに稽古を付けるものだから、余計にイライラが募っている様子。暫時騒々しい日が続きそうだ。

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2007年10月21日 (日)

渋柿や一口はくふ猿の面

 芭蕉が作ったかどうか怪しいと、存疑に分類されている句、

 渋柿や一口はくふ猿の面

 小林一茶が亡くなった文政10年(1827年)、何丸(なにまる)と云う俳諧宗匠が「芭蕉翁句解参考」を刊行しているが、その中に収められている句。同集にはいずれも芭蕉の作として、「とめる気と見えて秋から炬燵哉」とか、「一夜ねて寒さくらべむ草の庵」とか、「旅じゃ喰へ都は目だつ柏もち」とか、芭蕉の若い時分を彷彿とさせる句が並んでいる。真偽は不明だが、渋柿を食った猿の顔なんて、いかにもと云う感じがしないでもないね。

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2007年10月20日 (土)

玄関の鍵が壊れてしまった…

 過日、夜遅く帰宅して玄関を開けようとすると、鍵が掛かっている。カミサンが鍵を掛けてしまったみたい。仕方なく鍵を取り出して、いつものように回してみると手応えがない。あれっ、掛かっていないのかな。不審に思ってもう一度戸を明けようとしたけれど、びくとも動かない。おかしいぞ。繰り返し鍵を差し込んで回してみる。やはり無反応。ありゃ、これはイカレタかな。中から開けて貰おうとチャイムを鳴らしてみたけれど、返事がない。風呂にでも入っている様子。仕事帰りで疲れているのに締め出しを食らった感じだね。裏に回って、勝手口からご帰還だよ。みのる君が突然勝手口から顔を出したものだから、湯上がりのカミサンがびっくりしている。どうしたの。玄関が開かないじゃないか、壊しただろう。玄関に回って鍵を確認すると、やはり壊れている。鍵を回しても空回りするばかり。これは修理が必要だね。素人が直せるかな。直らなかったら明日が大変よ。どこへも行けなくなってしまうし。それはそうだ。とうとう、みのる君は鍵を分解する羽目になった。ドライバーでネジを外し、鍵の本体を取り出してみる。本体自体はブラックボックスみたいになっていて、構造は分からないけれど、25㍉程の円柱の下半分の外周にネジが切ってあって、ピンで固定するようにキー溝も切ってある。このキー溝にピンが届いていない。回転止めのキー溝が役に立っていないじゃないか。この前、シロアリにやられた玄関の柱を修理した際、建具屋さんがピンをきっちり差し込んでいなかったみたい。毎日の開け閉めでキー溝からピンが外れてしまったらしい。ピンを奥まで押し込んで、元通りに玄関に取り付けたところ、ちゃんと鍵が掛かるようになった。やったね。大したものだ。ホッとしたものの、勝手口があって助かったと云う所だ。アパートみたいに入口が一つの家だったら大騒ぎになっていただろうな。すっかり遅くなった晩飯を喰いながら、勝手口があって良かったね、とカミサンと安堵した。

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2007年10月19日 (金)

身にしみて大根からし秋の風

 芭蕉が「更級紀行」での句。奥の細道へ旅立つ前年の句。

 身にしみて大根からし秋の風

 痩せた辛い大根と秋風が身にしみるわが身。更科の旅が身にしみたのだろう。卑近な題材を使って、秋の風情を醸し出している。なかなか面白い。

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2007年10月18日 (木)

再びほととぎす

 昨年もご紹介した我が家のほととぎす。今度は少々アップで捉えた。

Photo_2

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2007年10月17日 (水)

初しぐれ猿も小蓑をほしげ也

 元禄2年9月下旬、伊勢から帰郷の際に、山中で猿に出会った折の句。芭蕉46歳。「猿蓑」冒頭の句。

 初しぐれ猿も小蓑をほしげ也

 初時雨にあい、寒い、寒いと云って、慌てて蓑(みの)を取り出す。その時、猿を見付けて、おや、お前も寒いかい、小蓑でも欲しいかい。

 しかし、この句は可哀相だと云う内容ではない。猿に同情している訳ではない。自分もあの猿と同じだ。侘しいもんだと云った自省が働いている。野ざらし紀行の頃、「猿を聞く人捨子に秋の風いかに」と芸術にうつつを抜かす輩を批判し現実を直視して苦しんでいたが、年を経ると、自らを猿になぞらえる視点も出てくる。年の功か。

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2007年10月16日 (火)

サクラタデ

 未だつぼみのサクラタデ(桜蓼)。我が庭の隅っこに咲いていた。

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2007年10月15日 (月)

ビリヤード

 一時ビリヤードに凝ったことがある。今時のポケットに球を入れるゲームでなく、四つ球と云われる基本的なゲームに夢中だった。市内の数少ないゲーム場の一軒に入り浸って、毎晩遅くまで楽しんでいた。深夜0時を回った頃、となりのスナックで軽い食事を済ませて帰宅する日々も多かった。店の壁に実力のある常連客の名札が実力順に掲示してあって、みのる君の名前も、いつの間にか中程に連ねるようになっていた。

 白い球二つと赤い球二つを使って遊ぶ単純なゲームで、手球の白い球を突いて、他の二つの球、三つの球にぶつけて得点を競う。簡単なルールながら、案外に奥が深い。球の突く位置によって、クッションに当たった後の球の向きが変わるのが面白い。いくつかの技も覚えて、結構のめり込んでいた。

 東京は下高井戸で友達を誘っては、昼日中からビリヤードに興じていたし、北海道を旅行した時は、わざわざ稚内まで出掛けて行って、ビリヤード場を探し歩いて、楽しんでいた。当時から関西地方はポケットが主流で、四つ球の台が珍しかったが、京都出町柳近辺でも友人の東海ニ君と遊んでいた思い出がある。

 息子が、何処で覚えて来たのだろう、高校生時分にビリヤードにハマッていた時期があり、一度お手合わせに及んだ事があった。この頃はすでに四つ球はすっかり廃れており、「ハスラー2」の影響を受けて、専らナインボールが主流になっていたが、昔取った杵柄を披露して、何とか父親の面目を保った。どうだ、参ったか。年季が違うぜ。

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2007年10月14日 (日)

茶の花

 庭の隅っこに茶の花が咲いていた。どう、茶の花よ。みのる君を庭へ呼び出してカミサンが誇らしそうに云う。茶も花が咲くのかい。知らなかった。Photo

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2007年10月13日 (土)

腕時計

 四半世紀以上もの長い間、みのる君は腕時計をしていない。持っていない。無くても不自由していないし、でも、時間には几帳面でね、約束時間を違えたことはない。

 最近は携帯電話を持ち歩くから、それで時間は分かる。車に乗れば、室内時計で用は足りる。職場だって時計はあるし、パソコンでも時間が分かる。街を歩けば、店々を覗けば時計が見える。よほど困った時は近くの人に尋ねれば済む。

 時間なんかに縛られたくない。それが、第一の持たない理由。みのる君にとって腕時計には何の価値も見出さない。無用の長物とすら思っている。腕時計を持っているのに、平気で約束の時間に遅れて来る輩がいる。時計は飾り物かい。などと嫌味を云いたくなる。

 いちいち腕に回すのが面倒くさい。これが第二の理由。そして、若干皮膚が金属に弱いと云う言い訳みたいな第三の理由。一時慢性湿疹を患ったことがあって、かぶれやすい。

 普段、時間に追われる生活を送っているから、余計、時間に縛られたくないのだろうね。などと云いつつ、家には柱時計や電子時計、複数の目覚まし時計にTVに電話と、あちこちに時を知らせる道具がころがっている。腕時計だけが見当たらない。

 そう云えば、カミサンも腕時計をしていない。何故かな。時間にルーズな一面があるから、持っていても意味ないじゃん、と云う開き直った信条かな。二人で行動していても、時間が分からないと云った不便さを感じたことはない。カミサンは現在の時刻にあまり関心を示さない。今何時だいと尋ねると、何時かしらで終わってしまう。

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2007年10月12日 (金)

田子倉湖経由で帰宅

 会津若松からの帰路は新潟方面へ抜けた。9年前、みのる君が家族で、仙台、蔵王、米沢旅行の帰りに会津坂下から新潟の小出に抜ける山道を走ったが、今回もほぼ同様のコースを選んだ。道路は空いていたし、田子倉湖の景色も良かった記憶もあり、元来た道を戻るのも芸がない、東北道から会津経由で関越道に抜けるぐるり一周のドライブの方が面白いと云う理由。会津若松市内で給油後は、田子倉湖めがけてまっしぐらに走った。案の定、道路はガラガラ。関東地方とは大違いの快適さ。夕暮に映えるススキの群生なんかを横目で見ながら、気持ち良く走る。やがて、陽が山にすっかり沈んだ頃、田子倉湖の駐車場へ到着。辺りは薄暗い。人気もない。景色を楽しむ時間じゃない。早々に退散。

 田子倉湖から一気に山を下って、小出に到着。コンビニで飲み物を買って、後は関越道で南下。ぐるり意一周東北の旅は一日で終わった。走行600㌔弱。みのる君一人の運転だから、少々疲れた。

 翌朝、念のために9年前のドライブ記録を調べて見ると、会津坂下で給油した時間と、今回会津若松で給油した時間、選んだ国道が違うにもかかわらず田子倉湖に到着した時間、更に小出に着いた時間、更に更に帰宅時間が今回とほとんど同じだった。9年前とほぼ同時刻に同じ場所にいたと云うことだ。9年前は真夏だったので、田子倉湖は未だ明るかった。しかし、偶然とは云え、同時刻に同じ場所を通過していたなんてね、不思議と云えば不思議。道路事情が変わっていないと云うべきか、みのる君の運転技術が確かなものだと自慢すべきか。妙な気分だった。カミサンは、あら、まぁ面白い。と云う感想。

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2007年10月11日 (木)

鶴ヶ城

 カミサンの茶会が終わった後、茶室「麟閣」を見学。中では茶席を催しており、あら、こっちに顔を出せば良かったわ、なんてカミサンが二杯目も飲みたそうな口ぶり。好奇心の強いカミサンだ。

 それから、二人して鶴ヶ城の天守閣に上った。各階にいろいろな展示物があって、城の歴史が分かるように工夫されているけれど、とにかく人が多い。落ち着いて見る間がない。押されるようにてっぺんまで上ってしまう。会津若松市街や周辺の山々がよく見える。絶景かな。

Imga0270  復元された城なので、感動は薄かった。

 そう云えば、我々は結構お城を訪ねているね。何気なくカミサンに話しかけたら、私の故郷のお城には行っていないじゃない。どうして、故郷のお城に行ってくれないの。と、いきなりふくれた顔になる。あれ、お城があったっけ。フン。カミサンはそっぽを向いてしまった。

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2007年10月10日 (水)

第18回麟閣移築記念茶会

 せっかく大内宿まで来たから、ついでに会津若松へ回って鶴ヶ城も見よう。ついで、ついでなんて云ってるとキリがない。さっさと帰ろう、道中は長い。みのる君は無計画が嫌いな性分だから、その場の思い付きで行動したくないが、今回だって、多分、きっと、恐らくカミサンは会津へ行きたがるだろうと予想していた。だから、ひそかに会津若松も計画に盛り込んでいた。改めて足を運ぶのも面倒だしね。だから一度はカミサンの提案を拒否したものの、相変わらずのカミサンの無計画的計画を容認、会津若松へと向かうことにした。

 大内宿から小一時間程度で会津若松へ到着。鶴ヶ城の駐車場に車を預けて城に向かう。本丸跡に着くと、何と大茶会(第18回麟閣移築記念茶会)の最中。カミサンの目の色が変わって、せっかくの機会だからお茶を呑みましょうと云い出して、得意の無計画が飛び出す。勿論、みのる君は遠慮する。一人でどうぞ。それじゃあ、お城と茶室「麟閣」の入場券を買っておいてね。カミサンはそう云ってさっさと自分が所属する裏千家のお茶席に入ってしまった。暫時、みのる君は手持ち無沙汰のまま待機さ。テント張りの茶席の裏方を見れば、着物姿の女性達が忙しそうに動き回っている。となりの麟閣でも茶席があって、数人のバイク族の革ジャン姿の男女が出て来て、参った、参ったを連発。よっぽど堅苦しかったらしい。興味本位でお茶なんか呑まん方が宜しい。みのる君を見習え。格式って息が詰まるぜ。始めから無理しない方が良い。

 下は天守閣から眺めた茶会の風景。記念に一枚撮って頂戴と云うカミサンの要望。右上のテントが裏千家。剛毅なもんだね。Imga0300

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2007年10月 9日 (火)

大内宿を散策

 連休の一日、カミサンと福島県南会津にある宿場町で、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている「大内宿」を訪ねた。この村を紹介したTV番組を見て、思い立った次第。相当ミーハーだね。

 朝早くに自宅を出発、東北自動車道を北上して、矢吹ICから一般道路へ。車 の少ない道路を快適に走って下郷町へ到着するはずだったけれど、うっかりナビを過信したのがいけなかった。途中からとんでもない山道に入り込んでしまう。車一台がやっと通れる程度の曲がりくねった県道58号線。羽鳥湖と云う湖の脇に出るようになっているので近道と思っていたけれど、地図と現実は大違い。後で地図を見たら、×印が付いていやがった…。片側は深い谷となっており、これで対向車に出喰わしたらエライことだね。相当バックしないと車寄せの場所もない。幸い、広い道に出るまでの小半時一台の車にも出会わなかった。

 やっとの思いで大内宿に到着すると、すでに駐車場は満杯。大型観光バスが何台も止まっているし、駐車待ちの車が道路に溢れている。結構ミーハーが多いね。少し離れた所の道端に若干のスペースがあったので、ここへ強引に車を止めてしまう。山の中で駐車禁止区域ではないし、近くの駐車場の係も大目にみているようだから、まず、安心だろう。勝手に思い込むことにして、早速、村内へ向かう。

Imga0239  まぁ、にぎやかなこと。みのる君夫婦と同じ物見遊山が一杯だよ。人ごみが苦手のみのる君はすでにウンザリ顔。カミサンは元気一杯。まずは、コーヒーでも飲もう。村の入口付近の店に入って、おいしいコーヒーを頼む。女性店員の応対がさわやかで、みのる君は途端に元気を取り戻す。なかなか良い所だね。感想も変わってしまう。しばし、コーヒーを味わってから、頂いた村内地図を片手にあちこちを見て回る。と云っても、土産物店ばかり。カミサンはいちいち店を覗いては財布と相談している。

 高台に上れば村内を一望出来る。

Imga0257  老若男女がウロウロしている大内宿。晴天に恵まれて幸いだった。

 昼は「石原屋」でそば食す。レジの若い女性に会津若松への道のりを訪ねた際、羽鳥湖の脇を走って来たと話すと、よくあんな所を通って来られましたね、地元の私なんかでも怖くて走れない所ですよ、なんて呆れられてしまった。この先は安心して走れますと太鼓判を押してくれたので、ホッとする。地図は当てにならんからね。

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2007年10月 8日 (月)

直線壁

 月面に「直線壁」と名付けられた場所がある。月面中央の少し下辺りにある。双眼鏡程度では見付けられないけれど、月面の写真集には大抵載っているから、紐解いてみるのも良い。地球からは引っかき傷のように見えるけれど、全長が約110㌔程度もあって高さが400㍍位。実際はなだらかな坂になっているらしいけれど、見応えがあって、見飽きることはない。月面にはいくつも名所があるけれど、このストレートの壁が一番だね。日本が打ち上げた月探査機「かぐや」がこの壁の映像を送ってくれるのを、実はひそかに期待している。

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2007年10月 7日 (日)

十五夜の写真

 今年の十五夜の晩、試しにバルブ機能もないデジカメで月を撮っていみたけれど、やっぱり駄目だね、絵にもならない。手前は我が家の桜の葉っぱ。

P1

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2007年10月 6日 (土)

靖國神社の茶会

 靖國神社で茶会があると云うので、カミサンは仕事を休んで出掛けていった。茶となると無茶が利くようで、普段とは違って元気が宜しい。茶事のたびに仕事を休んでいると、職場で嫌われるぜ。有休があるから大丈夫よ。それはそうだろうけれど、あまり権利を主張するのもいかがなものかな。ちゃんと義務は果たしているだろうね。近頃は義務には知らん振りで云いたい放題の輩が多いし、限られた人数の職場では周囲に負担が掛かって迷惑だろうに。しかし、カミサンは意に介せずの呈。靖國神社の大茶会なんて、田舎者にはなかなか縁もないし、後学の為になるの。名前は知らないけれど、テレビで見覚えのある人も来ていたわよ。そうかい、そうかい。少しはみのる君のやりくりに気を配ってもバチは当たらんぜ。と云っても、一向に平気のご様子。本日は茶仲間と骨董市へ出掛ける。全く軒昂そのものだ。

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2007年10月 5日 (金)

今年も健康診断は問題なし

 今年の健康診断も概ね問題なしと云う結論が出た。やっぱり血液が薄いと云う指摘事項だが、驚くことはない。内科の先生から、当分大丈夫でしょう、十分働けますなんて余計な励ましを貰ってしまった。職場の健診だけではちょっと不安もあるけれど、おかしな自覚症状は一切ないからね。まだまだ慢心していようかと思う。同年輩は相変わらずあちこちの機能不備を指摘されたみたい。日頃の行いが大事だぜ。煙草は吸うし、酒も呑む、運動しないでよく食べるみのる君だけれど、万事プラス思考が体に良いのだろう、いたって丈夫さ。滅多に間食しない事も体には良いのだろうね。

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2007年10月 4日 (木)

バックで車庫入れ

 子供等が幼い頃、みのる君の一家は道路から奥まった所の借家に住んでいた。道路に面して南へ3軒の借家が南北に並んであって、その脇の車一台が通れる程度の狭い路地を入って、3軒目の借家の前を西に折れた奥の4軒目に住んでいた。道路から自宅まで、距離にして50㍍程かな。車の場合、途中に車をUターンさせる空き地がないものだから、入る時か出る時のいずれかはバックで進むしかない。借りる際に、これは面倒だなと思ったけれど、カミサンが気に入っていた(新築間もない借家だった)ので、まぁ何とかなるだろうと安易に借りてしまった。

 しかし、やっぱり毎日の車の出し入れには苦労した。朝の出勤時は慌しいから、悠長にバックで出て行く余裕はない。毎晩帰宅の際に、道路から50㍍をバックしながら、しかも途中を90度に折れて戻ると云う面倒な作業を繰り返す。手前の借家には車も駐車していれば、近所の子供の三輪車なんかも放り出されていたりして、余計に狭くなっている道路。いつも慎重さを要求されていた。ここで、およそ四年間、毎日毎日、50㍍のバック前進を強いられたおかげで、運転技術は随分と上達したと思う(腕には自信があったから借りたのかも知れないけれど)。

 家を新築の際、土地購入は「車の出し入れが楽な土地」と云う条件を最優先させ、おかげで今は車庫入れに何の苦労もなくなった。

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2007年10月 3日 (水)

吾輩は猫である

 夏目漱石の有名な作品の冒頭だけれど、漱石はどんな構想でこの作品を書いたのだろうか。

 神経衰弱が昂じて英国留学から帰国、一年余り後の明治37年12月、明治大学の講師も兼務していた38歳の漱石は、神経衰弱が小康状態の折に創作活動に励み、12月に「猫」の第一話を発表。多くの賛辞を得て、翌38年1月に「ホトトギス」にも発表。一気に名声を博す。

 「猫」については、漱石自身の戯画化とも文明批評とも、あるいは知識階級の性格とも、さまざまに論議されているけれど、思うに、もっと単純な発想から冒頭の一文が作り出されたのではないだろうか。その発想から次々と文章が生み出され、やがて、とんでもない文学に昇華していったのではないかな。

 学校で習う英語の最初は、みのる君の時代は「This is a pen」や「I am a boy」だった(今でも余り変わっていないかと思うけれど)。明治初頭の日本人が初めて英語を習得する際も、最初は「This is a pen」辺りから学んだのだろう(と思う)。漱石先生にしても、英語のとっつきは「I am a boy」辺りに違いない。「私は少年です」と云った英語を学んだ若輩者の漱石先生は、得意がって色々な名詞をくっつけて語感を楽しんだと想像出来る。その中にきっと「cat」もあり、「I am a cat」とやったに違いない。これは面白い。無邪気に英語の響きを喜び、「私は猫です」なんて堂々と云っていたのだろう。これが、やがて、そのまま小説のタイトルとなったと想像出来る。

  「私は猫です」では、ひねりがない。色々一人称を思い浮かべた結果、「我輩」が一番しっくりする。これで十分尊大な猫を想像出来る。威張った視点で世の中を茶化してやろう。そんな発想があったのだろう。英語習得の際につむぎ出された発想、単純明快な発想さ。

 威張っている割には冷静沈着振りも必要だろう。だから、次の文章は、必然的に「名前はまだ無い」と云う冷静な視点が出てくる。そこら辺の猫とは違うぞ。「名前が無い」と云うのは、人間様には隷属していないぞ、公正な第三者だぞと云う宣言でもある。人間様と一線を画しているぞと云う傲慢な態度でもあり、読み手である人間様はつい笑ってしまう。猫が生意気なことを云っていやがる。

 次に、猫は自らの出生の秘密を暴露する。「薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いて居た」と云うのは、自分は捨猫である、天涯孤独の身の上であると云う告白。そして、明治大学等で教鞭を執っていた漱石先生の、学生に対する鬱憤まで持ち出して、学生をコケにしている。そうして、読者は猫の語る「書生」に納得しつつ、次第に猫の語る世界へと誘われていく。

 多分、「I am a cat」→「我輩は猫である」→「世間と一線を画した視点」→「人間様の醜態を茶化す」と云う筋書きによって第一話が完成したのだろうと思う。

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2007年10月 2日 (火)

続エアコン騒動

 雨の休日、玄関の柱交換や茶室の竹格子の細工で建具屋さんに来て貰ったが、その際にみのる君宅の建築を請け負った工務店の主人と電気屋さんにも足を運んで貰って、我が家にエアコン設置が可能か、再度全員で検討会を開催した。その結果、埋め込み方式のエアコンは諸般の事情で無理(200Vだし費用が高過ぎる)と判明、普通のエアコンであれば何とか壁にも穴が開けられるし、設置可能(だろう)と云う結論を得た。電気の容量を上げる必要はあるけれど、専用回路も必要になってくるけれど、天井裏に配線するけれど、まぁ何とかなるだろう。みんなが憶測結論で若干不安。その前にしっかり見積もって貰わねばならない。あまり高ければ全てご破算にするぜ。施主としては、まず費用が優先だ。これが一番気がかりさ。それにしても、エアコンって電気を食うね。

 その後、夕方まで雨の中を建具屋さんには茶室の格子を付け替えて貰った。今度は取り外しも可能なような細工にして貰った。一部をシロアリに食い荒らされた柱も新品に交換して貰ったが、さすがに手際が良い。きれいに後始末をすると、さっさと雨の中を帰って行った。

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2007年10月 1日 (月)

見れば須磨の秋

 芭蕉36歳の作、

 見渡せば詠むれば見れば須磨の秋

 談林時代の駄作。見渡しても、詠めても(ながめても)、見ても須磨の秋はあわれだと云う内容。源氏物語に出てくる「須磨の秋」のイメージにすがっただけの句。源氏物語が人口に膾炙されていた当時の文化事情は窺えるけれど、まだまだイメージに頼っていた時代の芭蕉の凡作。表現としては、全体から一部分へと視点の移動を工夫しているね。

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