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2007年8月の31件の記事

2007年8月31日 (金)

ハムパン

 みのる君が東京井の頭に住んでいた頃の話。行きつけの銭湯の前にパン屋があって、湯上がりにここで牛乳を一本買って、一気に飲み干すのが日課だった。この店のショーケースには美味しそうな惣菜パンが並んでおり、時々、夕食替わりに好みのパンを2つ、3つ買っていた。

 ある晩、いつものように牛乳を飲み干してから、何気なくケースの中を覗き込んだらね、みのる君の大好物のハムパンが、その日に限って殊更美味しそうにみえてね、ついつい陳列してあったハムパン全部買ってしまってね、10個位あったかな、これを部屋に戻って一気に平らげてしまった。さすがに腹一杯になったけれど、今にして思えば、当時は侘しい生活を送っていたもんだ。

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2007年8月30日 (木)

塩にしてもいざことづてん

 芭蕉が36歳の句。

 塩にしてもいざことづてん都鳥

 かの「伊勢物語」の隅田川のエピソード、「名にしおはばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」のパロディ。江戸に滞在していた青木春澄が京へ帰る際の送別句。都鳥を塩漬けにして土産に持たせてやりたい、と云った意味。談林俳諧。パロディに励んでいた時期。侘び・さびとは無縁の境地。

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2007年8月29日 (水)

香港の思い出

 三十年も前、佐門さんと香港へ旅行した。佐門さんは仕事の関係で香港には詳しかった。海外なんて初めてのみのる君は、佐門にくっついていくのが精一杯だったが、見聞を広めることは出来た(記憶はすっかり薄れてしまったが)。まず、食べ物は全て美味かった。次から次に出てくる料理を残らず平らげていた。有料トイレに慌ててしまった記憶がある。チップの習慣にも戸惑った。ゴミゴミした街並、喧騒、言葉が分からない、高層ビル群、水上レストラン、慕情の舞台等々、見聞を広めた慌しい数日間だったが、一番驚いたのは、買物の際。香港は時間に几帳面だぞと教えてくれた佐門さんと夕暮のデパートに寄った時。いろいろ土産物を物色、気に入ったモノを手に持ってレジに並んだが、長蛇の列。順番をじっと待っていたが、あれは閉店時間だったのかな、間もなくみのる君の番と云う所で、突然レジがお仕舞いになってしまった。客が並んでいるにも関わらず、ハイ、オシマイと云わんばかり。レジの女性はさっさと帰り支度を始めてしまう。客も文句は云わない。何だ、これは。佐門さんが教えた時間に几帳面と云う意味、社会体制の違いを身をもって体験した。軽いカルチャーショックだったね。結局、買物は出来ず。観光客相手の店ではなかったため、余計、時間には厳格だったかも知れない。

 その後、もう一度香港へ行く機会があったけれど、こっちは単なるツアーだったから、佐門さんと歩いたようなコースは味わえなかった。

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2007年8月28日 (火)

オランダも花に来にけり

 芭蕉が延宝時代の句に、外国人を詠み込んだ句がある。

 阿蘭陀(オランダ)も花に来にけり馬に鞍

 能の「鞍馬天狗」にある「花咲かば。告げんといひし山里の。告げんといひし山里の。使いは来たり馬に鞍」(ないし源頼政の元歌)を引用している。オランダ人がやって来た。花見の季節もやって来た。よっしゃ、我等も花見に行こうぜ、馬に鞍を置け(馬に鞍を置くと云うのは出掛けるぞの意)と云った意味。長崎からはるばる将軍謁見のためにオランダ人がやって来るが、毎年、花見の頃だったと云う。芭蕉も外国人を間近に見たのだろうか。芭蕉と異国人の取り合わせが妙だね。

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2007年8月27日 (月)

TVで若大将シリーズ拝見

 先週はNHKBSで加山雄三の「若大将」シリーズを放映していた。平日だから落ち着いて見られなかったけれど、「アルプスの若大将」と「レッツゴー!若大将」を何とか拝見出来た。懐かしの音楽を堪能。内容は無茶苦茶だけれど、議論無用、ご意見無用だろうな。素直に呆れていれば良い。昭和40年代前半の東京の風景が十分楽しめる。これだけで十分。穏やかな東京だった。

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2007年8月26日 (日)

猫の妻へっつひの崩れより

 延宝5年、芭蕉が34歳の句(桃青時代)、

 猫の妻竃(へっつひ)の崩れより通いけり

 伊勢物語に在原業平が築地の崩れから二条の后のもとに通ったと云う話があり、それを猫と竃(へっつい:かまどのこと)に置き換えて、伊勢物語を下世話な世界に引き下ろしている。王朝文学を卑俗化した所に談林俳諧らしさが出ている。お遊びに過ぎない。

 この頃、芭蕉は貞門俳諧から西山宗因一派の談林俳諧に関心を向けていく。俳諧は「夢幻の戯言」と云って滑稽諧謔を標榜する宗因一派の活動は、形骸化した貞門俳諧に興味を失いつつあった芭蕉の心を揺り動かしたのだろう。延宝年間は漢詩調の句を作ったり、「於春々大哉」と云った大胆な表現を模索したり、蕉風確立前の作風の変遷が窺える。

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2007年8月25日 (土)

出会いと再会と借金人生

 みのる君が東京に住んでいた頃、1ヶ月に給料の3倍も呑んでいた時期があった。荒んでいた訳ではないが、毎晩のように友達を誘っては何軒もの店をはしごしていた。

 そんな或る日、たまたまその日は同郷のリョウさんと新宿で呑んでいた。もう一軒、もう一軒と機嫌よく呑み、談じ、コマ劇場の前を歩いていると、向こうから二人連れの若い女性がやってくる。大勢の通行人で賑わう新宿の街だけれど、たまたまこの二人連れが目に入ったのだろう。女性と呑むのも良いね。リョウさんとみのる君は彼女等を誘って喫茶店に入った。それから2,3軒はしごして呑んだかな、結構、4人は意気投合したね。楽しく呑んで、そして、あっさりと別れた。別れ際に一応お互いの連絡先を交換しておいた。又機会があったら呑もうね。

 みのる君の派手な浪費が過ぎて、とうとう都落ちとなってしまった。あちこちの友人に借金を残して東京を離れる仕儀となった次第。京都から帰省途中の東海ニ君がみのる君を励ましに井の頭に住むみのる君を訪ねた晩、リョウさんも誘って新宿で呑んだ。せっかくだから、以前知り合った彼女等も呼んでお別れパーティでもしよう。なんてことになってね。連絡すると、二人連れの一人は仕事の都合で来られないって云うじゃん。実は来られない子の方をリョウさんもみのる君も気に入っていたけれど、今更誘っておいて止めるのも失礼だし、予定通り新宿で落ち合うことになった。

 当時みのる君は八代って飲み屋の女性に入れあげていてね(借金の膨らんだ要因でもあるけれど)、パーティの前にちょっと顔を出して来るなんて云って、リョウさんと海ニ君を残して飲み屋へ行ってしまう始末。八代にさよならして戻って来ると、呼び出した相方の彼女も来ていて、男三人、女一人でささやかなお別れパーティとなった。

 やがて都落ちしたみのる君が、翌年、さよならパーティに来てくれた彼女に年賀状を出している。

 龍が天に昇って凧となる
 糸が切れたら気儘ながらも
 切れぬ浮世の未練凧
 今年もふわりと奴凧
 風に任せて何処へ飛ぶ

 以後、借金返済の苦闘の生活を余儀なくされたみのる君は、めったに上京することもなく、長い月日を無為の内に過ごしていった。

 9年後の或る日、途切れていた物語が突然に再開。みのる君とさよならパーティした彼女が再会。みのる君の気宇壮大、意味不明瞭の年賀状が彼女の心の片隅に留まっていたみたい。一本の電話から物語が急展開して3ヶ月後には結婚式さ。披露宴の司会進行はリョウさんが受け持ってくれた。それからは、夫唱婦随(むしろ婦唱夫随)の人生を送っている。

 以上がみのる君とカミサンの出会い。これも人生さね。こんな出会いと再会って、あまり聞かないと思う。たった一枚の年賀状もおろそかには出来ない(ナンパも怖い)と云う教訓めいたお話でもある。

 職場や学校等、手近な所で伴侶を見付ける場合も結構多い中、まるで接点のない関東出身のみのる君と甲斐出身のカミサンの例は異色かも知れない。

 ちなみに、結婚後、みのる君は呑みに出ることは(お付き合い以外)ほとんど無くなってしまった。つまり、すっかり平穏の家庭に馴染んでしまった(カミサンに取り込まれてしまった)訳さ。

 蛇足ながら、東京時代の借金は結婚前に完済していたが、結婚資金は二人とも全額借金(両家の親の支援はなし)。稼ぎの良かったカミサンは早々に返済が終わったが、みのる君はしばらく後まで返済に追われていた。

 ようやく借金が終わった頃に、今度は家を建てようと云う騒ぎが持ち上がって、再び莫大な借金を背負い込む羽目に陥ってしまった。しかも土地購入代金と建設資金全額借金と云う大胆さ(預金が全くゼロでも茶室付きの建坪40坪超の家が建つと云う事例だぜ)。

 未だに返済が続いており(ようやく先が見えてきたけれど)、みのる君はこのまま借金人生で終わりそうだ(本人はその生き方自体が「文学的」だと称している)。一応、入金の当てはあるけれど、なかなか思うようには入ってこないのが現状。もっとも、入金の当てが宝くじだけに当てにはならないけれど…。

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2007年8月24日 (金)

栄養失調

 東京で一人暮らしを満喫していたみのる君が金欠病の甚だしい頃、一ヶ月間程、駅の立ち食い蕎麦だけで過ごした事がある。元来蕎麦好きだから、栄養のことなんか気にもせず、手っ取り早くて便利とばかりに、毎日ひたすら天ぷら蕎麦ばかり喰っていた。ところが、一ヶ月程続けたある日、突然動くのが大儀になってしまった。力が入らない。しかもふらふらする。やっとの思いで実家へ戻った所、母親にお前は馬鹿かと云われてしまった。完璧な栄養失調だったみたい。

 以来、駅の立ち食い蕎麦屋の臭いが嫌いになってしまい、元の蕎麦好きに戻るまで長い歳月を費やしてしまった。若い時は平気で無茶をするものだね。

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2007年8月23日 (木)

仙人草

 カミサンが散歩の道すがらに採ってきた仙人草。玄関先や茶室、仏壇からトイレにまで活けて楽しんでいる。花びらが散って後始末が大変だろうなと思うが、気にしていない様子。右下にわずかに見える麦わら帽子はカミサン愛用の帽子。風林火山の旅に持参したモノ。

Photo

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2007年8月22日 (水)

ゲタを鳴らして…

 みのる君が通った高校は県下一の進学校だった。高校合格を中学担任の所へ報告に行った所、お前が受かる程なら、他の連中は全員合格だろうと云われてしまった。確かに、一緒に受けた連中は皆合格していた。

 その高校は男子校で蛮カラ気風を堅持していた。みのる君はこの気風を甘受して、3年間ゲタで通学した。吉田拓郎の歌の世界そのままだった(女郎屋通いは当然無縁だったけれど)。腰に手拭をぶら下げて、ゲタを鳴らして闊歩していた。

 校風って一種のステイタスでね、非常に分かりやすい。ゲタ履きの学生服姿だけで、周囲は何者かを理解してくれる。分かりやすいから悪いことは出来ない。自ずと自浄作用が働く。最近はこうしたステイタスが無くなったような気がする。個人情報が都合よく保護される匿名社会も一因だろうな。バレなければ何してもいいと云った風潮やゴネ得の横行、恫喝で利益を得るような行為も目立つ。学校の給食代を払わない親や、難癖付けて病院の治療費を踏み倒す輩等々品格もなければ道徳心もない連中が実に多い。ステイタスの喪失によって魑魅魍魎が跋扈する社会を作り出してしまったのかも知れない。

 男子校で蛮カラとくれば、まず、女性には縁がなかった。勿論、盛んな連中も多かったが、みのる君は几帳面にも質実剛健を旨としていたから最後まで蛮カラで通した。ただ、映画好きの軟弱さは兼ね備えていたけれどね。今でも、女性が苦手なのはこの時代の名残だろうな…。

 みのる君は、大学生も学生服が本分と思い込んでいた。入学式に学生服で出席したら、大半が私服なのに驚いた。かえって学生服が目立ってしまって、体育会系の勧誘攻めにあって往生した覚えがある。純粋無知だったのだろうね。しばらく学生服で大学に通ったけれど、その内軟派に転じてしまった。そして、酒もタバコも軟派に堕してから身に付けた。もっとも、奈良漬で酔っ払う親父に似て酒は相変わらず今でも弱い。

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2007年8月21日 (火)

NHKの永遠の若大将拝見

 日曜日夜、NHKBSの加山雄三特集番組を拝見。久し振りに「ブラック・サンド・ビーチ」を拝聴。嬉しかったね。実に懐かしかったし、感動的だった。特に、高見沢俊彦と加山雄三のアコースティック演奏にはビックリ。成程。こんな演奏もあったのね。新鮮な驚き。みのる君もやってみようかしら。などと思ってしまった。

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2007年8月20日 (月)

倅を送る

 昨日は、カミサンと帰省していた倅をアパートまで送って来た。久し振りに帰省した倅だが、一日だけ一緒にドライブしたものの、ほとんど毎日朝帰り状態。昨日も前日の同窓会で呑みすぎて帰って来られず、朝方駅まで迎えに行く始末。そのままアパートまで送ったが、二日酔いがひどくて、車の中ではずっと寝ていやがる。呑気さ。アパートにも着いても目覚めていない。早々に引き上げて来たが、往復5百㌔超を半日で移動。やっぱり親馬鹿なのだろうね。

 高速道路は空いていた。天気も好く、佐渡がよく見えた。絶好のドライブ日和だったな。帰路に寄ったパーキングで、カミサンは谷川岳の湧き水をポットに一杯にする。持って帰って、お茶に使うの。みのる君の労をねぎらうつもりではなかった。

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2007年8月19日 (日)

セミの鳴き声がにぎやか

 低く雲が垂れ込めていた所為もあってか、昨日までの暑さが嘘のようにさわやかな昨夕、庭の立派に育ちすぎた桜の枝に何匹かのセミがにぎやかな鳴き声を響かせていた。広縁でカミサンは読書、みのる君はコーヒーを飲んでいたが、セミの鳴き声にはいささか辟易したな。しみじみ聞くと案外うるさいものだ。厚い雲が空一面を蔽っているから、薄暗い。もう夜も近いぜ。それなのに、セミ共め、鳴くのを止めようとしない。日没を承知して鳴いているのだろうな。このまま夜まで鳴かれては近所迷惑も甚だしい。とても芭蕉の心境にはなれない。アブラゼミやらニイニイゼミやらツクツクボウシやら鳴き方の違うセミ共が交互にあるいは一斉に声を競い合っていやがる。優雅と云えば聞こえが好いけれど、こうもにぎやかだと興醒めだな。湯上がりに広縁に行くと、すっかり静まり返っていた。セミの殊勝な心掛けに感心。

 毎年のように庭で空蝉を見付けるが、我が家は昆虫類には住み良い場所かも知れない。数日前、クロアゲハ(多分)が庭の片隅でじっとしていたけれど、過日玄関先を徘徊していた黒い毛虫の相棒だったかな。あまり歓迎したくないね。蜂の巣も撤去したけれど、毎年同じ場所に巣を作る。今回は巣のあった所に蜂退治用の殺虫剤をたっぷり噴霧しておいた。これで巣作りを諦めてくれれば幸いさ。でも、いつ復讐されるか分からないから、おちおち庭にも出られないぜ。

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2007年8月18日 (土)

原状回復

 2月から左足拇指に絆創膏を貼って爪を保護していたけれど、ようやく新しい爪も成長して、元通りに戻った。今にも剥がれそうだった古い爪も役目を終えたので切ってしまった。たっぷり半年間の絆創膏生活だった。

 みのる君は仕事以外では靴を履かない。夏も真冬も素足で生活している。あっちこっち旅行するけれど、長時間歩くような山登り(ハイキング)を計画している時は、さすがに靴にするけれど、例えば盆休みの風林火山の旅なんかだって、ずっとサンダルで通していた。汚れた絆創膏が目立ってしまうけれど、気にもせず。以前は足の絆創膏に気付いて、どうしたの、と云った質問もあったけれど、二年も続けて絆創膏生活だったから、誰も気に留めなくなったみたい。質問を受けることはなかった。

 やっと拇指も現状回復。爪の水虫かも知れないね。家族は心配するけれど、他の指が何ともないから、きっと違うと思う。などと云っていたが、今回、改めてしみじみと眺めてみれば、人差指も中程に筋が入っている。もしかしたら、割れてしまうかも知れない。ちょっと不安。が、別段生活に支障がなければ放っておこう。

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2007年8月17日 (金)

暑い日が続く

 8月に入って、連日30度以上の暑い日が続いている。エアコンのないみのる君の家は強烈に暑い。こんな時の来客は大変。扇風機一つの涼では限度がある。お客は早々に退散してしまう。申し訳ないね。庭に水を撒いても、草木が喜ぶだけ。撒いている本人は汗びっしょり。何匹ものミミズが干からびていた。

 そろそろエアコンを買わねばと思って各社のカタログを見るが、近頃はオープン価格を謳い文句にしているから値段表示がない。これでは予算が組めないぜ。年々暑さがこたえるようになったが、年の所為ばかりではない。きっと温暖化が加速しているのだろうね。

 毎日うんざりしていたけれど、ようやく仕事が始まって、ホッとする。とにかく職場にはエアコンがあるから、仕事中は暑さを忘れられる。

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2007年8月16日 (木)

息子とドライブ

 久々に帰省した息子と二人でドライブを楽しんだ。エアコンのない我が家は暑すぎるから、涼みがてらにドライブを楽しもう。カミサンが仕事だったため、みのる君とその倅と云うコンビで暑い昼時、数時間を倅の運転でドライブに興じた。倅に運転を任せて、みのる君は昼間から生ビールを呑む。家に戻れば猛烈な暑さが待っていたが、こんな時間もたまには良いかもね。

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2007年8月15日 (水)

風林火山の旅3

 信玄の軍師、NHKの「風林火山」の主人公、山本勘助が墓も見に行こう。強引なカミサンの意見を承諾。しぶしぶ甲府を離れ、北杜市高根町へ向かう。途中は国道をほとんど利用せず、県道を走ったおかげで渋滞なし。

 NHKの大河ドラマの主人公の墓だから、きっと観光客も多いだろうなと思っていたけれど、ここも誰もいないし、第一、墓も見られなかった。山本勘助の子孫の山本家の屋敷墓の由。本日は当家の都合で見せられませんとの貼り紙のみ。折角訪ねたのに残念である。物見遊山が増えてしまって、山本家では迷惑しているのかな。

 見られなければ仕方ない。さっさと諦めて、次は「三分一湧水」を見に行く。ここは大変な賑わいだった。何とか駐車出来たけれど、ひっきりなしに車が入ってくる。家族連れで賑やか。山勘の墓とは大違いだ。やっぱり、客は行楽地に集まるのね。

 三分一湧水は八ヶ岳の湧き水を三つの村に均等に分配する為に築いたと云われている。湧き水を一口飲む。冷たくて美味しい。湧水を使った蕎麦もあったが、食せず。日も西に傾いてきたので、あまりのんびりしていられない。

 それから最後の目的地、風林火山館へ向かう。

P070811co  ここは「風林火山」のオープンセット。入場料300円。大勢の観光客が訪れている。駐車場係が次々とやって来る客を手際よくさばいている。

 京都太秦や松竹大船の撮影所を見学したことがあるけれど、撮影所の手抜きセットに比べれば、ここは立派。手抜きは目立たない。よく出来ている。漆喰の壁や門扉の重厚な鉄製の飾りがベニヤ板だったけれど、見た目には本物そっくり。映像技術の妙だね。

 しばらく館内を散策。カミサンの念願も叶ったので、そろそろ引き上げよう。

 小淵沢へ戻る途中、「信玄棒道(ぼうみち)」を訪ねる。場所が分からないので、給油で立ち寄ったガソリンスタンドで丁寧に教えて貰った。武田軍が信濃攻略のために八ヶ岳の麓をまっすぐ棒のような道を作った由。今はその面影はほとんどない由。教わった地点で、カミサンと記念撮影。やはり、観光客はいなかった。大きなリュックを背負った登山姿の男性二人が案内板の脇で休憩していただけ。

 これで今回の風林火山巡りは終了。丸一日、よく動き回った。すでに36時間も起きている状態だぜ…。

 小淵沢の道の駅で小休止後、カミサンの実家へと向かう。実は、みのる君のカミサンは甲斐の出だ。二人の衝撃の出会いは別の機会に譲るが、地元を離れて久しいカミサンだから、全く地理不案内、歴史無頓着。今回の旅はいい勉強になったみたい。ただ、毎回、実家に帰る際にあちこち引き回されたらかなわんぜ。

 翌日、墓参後に雁坂トンネルを経由して帰宅。高速道路は帰省ラッシュで大混雑だったが、一般の幹線道路を極力避けて、地元民しか利用しないような生活道路をつなぎ合わせて、しかも最短のコースを選んだお陰で、全く渋滞知らず。所要時間も渋滞なしの高速道路利用と同じだった。つまり、今まで高速料金を払ってわざわざ遠回りしていたことになる。この小さな発見も収穫だった…。

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2007年8月14日 (火)

風林火山の旅2

 昇仙峡から積翠寺方面に向かう途中、千代田湖と云う小さなため池がある。ここで朝食。木陰に車を停めて、前の晩に準備しておいた弁当を二人で平らげる。小市民的風景さ。安上がりの食事。胃袋が落ち着いた所で、さあ出発。積翠寺に向かった。

 積翠寺は武田信玄誕生の寺。夢窓国師の弟子竺峯和尚開山の由。信玄公産湯の井戸が寺の裏になる。その横の庭園は夢窓国師築庭の伝。東に要害山が控えている。

 積翠寺は鄙びた場所にある。最初は見過ごしてしまって、どんどん山の方へ向かってしまった。道は隘路になる。こんな所に寺なんかないだろう。カミサンはもっと行けと云わんばかりだったが、車一台がやっと通れるようなきつい上り道だぜ。諦めよう。やっとの思いで車をUターンさせて、元来た道を戻りつつ、改めて寺を探していると、大きな看板が見付かった。カーブの頂点の頭上にあって、見逃しやすい看板。道端に車を停めて、寺に入る。風林火山ブームで大勢のお客で賑わっているかと想像していたけれど、観光客なんていない。静まり返った寺。住職とおぼしき人が奥で庭仕事をしていた。挨拶して寺を見せて貰ったが、案内する訳でもなく、仕事に余念がないみたい。カミサンは拍子抜けだ。武田信玄が生誕の地よ。もう少し大事に扱ってもいいんじゃないの。こんな辺鄙な所までは手が回らないのだろう。観光バスを乗り付けて来るような目玉もないし、道だって狭い。何も面白味もない。

 生れた場所を尋ねたのだから、今度は信玄の墓を見に行こう。

P070811be  甲府駅北の武田神社の脇に昭和時代の遺物みたいな喫茶店があった。コーヒーを飲もう。昨晩は一睡もせず、夜明け前からずっと車の運転だから小休止も必要だぜ。中に入って熱いコーヒーを注文。やっと人心地が付く。窓から見える武田神社の駐車場には車がごった返しているのに、この店には他に客がいない。昭和の遺物より戦国武将の方が来た甲斐があるってものだろうな。暑い最中をご苦労さんだ。

 コーヒーを味わってから、信玄の墓所を訪ねる。武田神社は何度も訪ねているので、今回はパス。

 神社から南東方向に信玄公の墓があった。ここも観光客はいない。武田神社の賑わいとはまるで違う。静謐。夏の日差しが強烈。麦藁帽子をかぶったカミサンはじっくりと墓を見られる。みのる君は帽子がないから、汗びっしょりさ。

 信玄が人生のスタート地点の積翠寺と墓までの距離はわずか5㎞程度。意外に近い。生れた場所近くに墓があると云うのは幸せ者かも知れないね。

P070811bv

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2007年8月13日 (月)

風林火山の旅1

 カミサンはNHKの大河ドラマ「風林火山」を毎週観ている。一度位は風林火山巡りの旅行をしてみたいと云うのがカミサンの願いだったが、ついにこの盆休み、二人で駆け足のドライブを敢行した。勿論ごく一部の史跡巡りと云うつまみ食いの観光。こうした大雑把な旅行はみのる君夫妻の慣行でもある。

 盆休みと云う道路事情最悪の時期だから、多少の無茶を覚悟して午前3時半の出発。お陰で大渋滞にも巻き込まれず、甲斐の国に到着。まもなく甲斐の国と云う地点で事故渋滞に遭ったが、10分程度の停滞で済んだ。

 最初に信玄堤を訪ねた。御勅使川と釜無川の合流地点はたびたび大洪水に見舞われていたが、武田信玄によって川の流れを変える治水事業が完成。洪水を克服した由。まず昇仙峡を訪ねるつもりだったけれど、韮崎インターチェンジの近くにあって、助手席で地図を広げていたカミサンが、あら、信玄堤が近くにあるわ、ここへ行ってみたいなどと突然駄々をこねたものだから、急遽のコース変更となった次第。訪ねてみれば、案内板が一つあるだけ。周囲は夜明け方の長閑な田園風景のみ。散歩を楽しむ人たちがチラチラ見える程度。信玄の名が付けば観光地ってもんじゃない。

 気を取り直して出発。韮崎から金桜神社経由で昇仙峡へ向かう。金桜神社でトイレタイムと思っていたが、心無い人がトイレを壊したたため当分間トイレを閉鎖しますと云う看板。ひどい観光客もいるもんだ。心ある人の身の処し方がないぜ。

 昇仙峡に到着後、最初にトイレを借りる。それから、カミサンと二人でゆっくりと散策さ。仙娥滝は百名滝の一つの由。心地良い冷風。

P070811an 観光写真でおなじみの覚円峰を間近に見る。なかなか迫力があるじゃん。でも、渓流沿いを歩くのは難儀。しばらくすると草臥れてしまった。そろそろ、次の目的へ行こう。いよいよ風林火山巡りよ。

 帰る間際、カミサンが渓谷に咲いた山百合を見付ける。相変わらず目敏いね。

P070811ax

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2007年8月12日 (日)

ランボー

 TVで「ランボー」拝見。1982年のアメリカ映画。テッド・コッチェフ監督。ご存知シルヴェスタ・スタローン主演。

 ランボーは3作とも観ているが、やはり、面白いのはこの第1作かな。事件の背景はベトナ戦争と保守的アメリカの典型的市民。双方の対立が軸となっているけれど、類型的。でも、深く考えてはいけない。映画は楽しめれば良いと云う視点で観ればまぁまぁの出来ばえ。この頃からヒーローは無茶苦茶強くなったような気がする。

 スタローンはいつも格好付け過ぎだね。ロッキーでは片手で腕立て伏せをやっていて、これは面白いと云うので、しばらく真似してみたけれど、長続きはしなかった。片手ではやっぱりキツかった。

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2007年8月11日 (土)

比重はビックリ係数

 学校時代に習った「比重」なんて日常生活には無縁かと思っていた。

 体積に比重を乗じれば重さになる。一辺が10㎝の立方体では、水の場合は1㎏の重さ。同じサイズでもこれが比重7.87の鉄の場合は、重さは約7.87㎏≒8㎏となる。案外重い。理屈では分かっていたけれど、実際に鉄を持った時、初めて比重を実感出来た。何しろ重たい。見た目とはまるで違う。何だ、この重さは。重たい鉄を持ち慣れると、比重が2.7のアルミなんて、軽い、軽い。

 手に持って初めて実感出来る「比重」は、見た目の予想を裏切る驚きの度合いみたいなもんだ。比重なんて云わないで、ビックリ係数と云った方が余程分かりやすい。

 水の入った18㍑(18㎏)のポリ容器に鉄が詰まっていたら、約142㎏にもなる。とっても持てやしない。金の比重は19.32。鉄の2.45倍。ポリ容器では約348㎏にもなる。物凄い重さだ。わずか10cmの立方体でも金は19.32㎏≒20㎏。 タングステンも19.3でほとんど金と同じ。以前、タングステンの塊を持ったことがあるけれど、その重量感に驚かされた。重たいと云われる鉛の比重が11.36。タングステンに比べれば軽いものだ。銅は8.96。鉄より重いけれど、やはりタングステンの比ではない。

 ちなみに、タングステンは希少金属(レアメタル)ながら軍事面や産業界に欠かせない金属。世界中がその確保に躍起になっている。こんな重たい金属を採掘するのも骨が折れるだろうね。金も同様だけれど…。

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2007年8月10日 (金)

せがれの勇姿

 娘の勇姿をご紹介したので、ついでにせがれの凛々しい姿もご披露しよう。せがれが自動車のタイヤと同じ位の身長の頃、果敢に大地に挑戦している姿。口を真一文字に結んで、しっかりと世界を見つめていた。

M1  公園デビューした頃、見知らぬ大人たちのボール遊びを見たせがれは、人見知りもせずボールを追っかけて走り回っていた。

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2007年8月 9日 (木)

用心棒?

 みのる君が東京にいた時分の事。ある日、友人のリョウさんと板橋のスナックで呑んでいた。午前0時を回っていたかな、そろそろ引き上げようか、大分呑んだぞ、などと二人とも上機嫌で帰ろうとした時、カウンターの奥にいたママさんがそっと近寄ってきて、もう少しいて頂戴と云う。そして、先程ふらりと入って来た一人の男性客の方をチラリと見る。リョウさんもみのる君も、とっさにママさんの意図することが分かった。私を一人にしないで。酔っていても飲み込みは早い。OK。ママさんにビールの追加を頼んで、再び二人でにぎやかに呑み始めた。

 店のママが不安がったのも肯ける。入口近くに座っている男性客は胡散臭そうな怪しい雰囲気が漂っていた。ママさん一人を残しては帰れない。この際、一杯呑みながらの用心棒だ。しばらくして男性客が無愛想に出て行って、みのる君たちの役目も終わった。

 最近、スナックのママが悲惨な事件に巻き込まれる事件が報道されていたが、みのる君が経験したスナックでの出来事も、もしかしたら紙一重だったかも知れない。近頃は更に物騒になった。

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2007年8月 8日 (水)

松葉サイダー

 カミサンが松葉サイダー作りに挑戦した。カミサンが職場の同僚を巻き込んで二週間かけて完成。この休日、夕立の前に同僚達が我が家に集まって試飲会を開いた。ご相伴に預かったが、なかなか良い味が出ていたぞ。

 一升瓶に松葉と砂糖と水を一杯に詰めて暫時発酵の手順。5月連休に「松葉サイダー」の発案者が経営する京都美山町の旅館に泊まった際に頂いた味が出ている。暑い盛りにかすかな一服の涼。懐かしい味だったね。

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2007年8月 7日 (火)

夕立

 昨日も一昨日も午後から夜にかけて、派手な雷と突風に雨。涼しくなるので歓迎するが、あまり風が強いのも困る。窓を開けられない。エアコンがないから、閉め切った部屋は厳しい暑さ。

 一昨日の午後は良く晴れていた。来客があるから、庭に打ち水でもして少しは涼を用意しないとお客に失礼とばかりに、庭に出てたっぷりと水を撒いた。中途半端では逆効果だからね。強力ジェット噴射で屋根にまで水を飛ばした。庭木にも十分過ぎる程に水を与えて、部屋に戻ったが、程なくして、俄かに暗雲が垂れ込め、どしゃぶりの雨となった。アッと云う間。結局、折角の打ち水が無駄になってしまったと云う訳さ。水道代がもったいない。

 一瞬にして温度を数度も下げてしまう程の夕立って、水道料金に換算するとどの位になるのだろうか。相当な金額だろうね…。

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2007年8月 6日 (月)

みのる君の勇姿

 以前も書いたことがあるけれど、若い頃のみのる君は足が速かった。その証拠写真がこれ。勿論、先頭切って走っているのがみのる君だ。並みいる強豪を抑えて堂々と走っているぞ。勇ましかったな。世の中が豊かになるちょと前のことだ。幼稚園内で見付けたネズミを交番に届けて小遣い銭を稼いでいた頃。クラスメートや先生からの非難の声や制止なんぞ意に介さず、交番に走っていったものさ。

D570310s

 その頃の報いかな、長じてから、今度はみのる君がネズミ捕りに引っ掛かってしまい、お巡りさんの小遣い銭稼ぎの餌食になってしまった。

Y25s  ついでに、みのる君の娘が幼稚園時代の写真を披露。さすがにみのる君の子供だ、やる気満々。大きく右手を突き出してライバルを牽制している。次の出番の子は娘の勇姿に圧倒されて、呆然と立ち尽くしているぞ。

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2007年8月 5日 (日)

ポーカーフェイス

 昨日、みのる君は顔で得しているなんて書いたけれど、実は損の方が余程多い。特にポーカーフェイスが出来ないから勝負事ではいつも損をしていた。

 昔は散々麻雀をやったけれど、まず、勝ったためしがなかった。ほとんど手の内を読まれていた。お、テンパイだね。相手にすぐばれてしまう。よっぽど嬉しい顔になってしまうのだろうな…。相手はみのる君の顔を見て勝負しやがる。良い手になると、ついつい顔がほころんでしまうみたい。待ちもバレバレ。出来るだけ難しそうな顔をしても、授業料を払う方が多かった。きっと、元来が善人なんだろうな。いくらやっても勝ち目がないから麻雀は諦めた。

 トランプも同じ。文字通りポーカーフェイスが出来ない。みのる君は心理戦に弱いと思う。根っからの正直者だから、損ばかりしてしまう。考えてみれば、お年寄りとお近付きになるのも損の部類に入るかも知れない。云いかえれば呈のいい道案内のボランティア。得するのは相手様だい。

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2007年8月 4日 (土)

人畜無害

 みのる君が若い頃、しばしば年寄りから道を尋ねられた。市内であれば大方の見当が付くから親切に教えることも出来るが、見知らぬ町や旅先でもよく尋ねられた。自分も初めての土地だから分からないと断わるしかないが、何故こうも頻繁に訊かれるのだろうか不思議だった。しかも、質問してくるのは大抵が年寄りの女性。若い女性であれば一緒に尋ね歩いてやっても良いけれど、そんな出会いは一度もなかった。

 きっと、みのる君の顔は人畜無害に見られていたのだろうな。友達から、お前はいつもニコニコしているなと云われたことがある。本人にそんな意識はない。ぶっきら棒と云われることも多いから、むしろ、しかめっ面かと思っていたけれど、周囲の人たちにはそうに映らないみたい。多分、本人が気付かない内に自然と優しそうな顔付きになってしまうのだろう…。

 学生時代、コンパが終わって女性陣を送り届ける段になった時、仲間たちはいつも敬遠されたのに、みのる君が送っていくことには異を唱えず、かえって安心していた。これって、みのる君を男性としてみてくれていない証拠だぜ。俺はやっぱり人畜無害かい。見知らぬ土地を旅行している時に地元の年寄りから道を尋ねられるのも、きっと同じ理由だったのだろうね。内心はニコニコ顔とは裏腹の不逞の輩なんだけれど、案外、顔で得していたのかも知れない。

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2007年8月 3日 (金)

手にとらば消えん涙ぞ

 41歳の芭蕉が「野ざらし紀行」で故郷へ戻った時の一文(角川文庫版「芭蕉読本」~潁原退蔵~より)

 長月の初め故郷に帰りて、北堂の萱草(かんぞう)も霜枯れ果てて(「詩経」引用。前年に母を失ったことを表現している)、今は跡だになし。何事も昔にかはりて、はらからの鬢白く、眉皺よりて、ただ命有りてとのみ言ひて言葉はなきに、兄の守袋をほどきて、母の白髪をがめよ、浦島が子の玉手箱、汝が眉もやや老いたりと、しばらく泣きて、

 手にとらば消えん涙ぞあつき秋の霜

 亡母の法事を兼ねて帰郷した芭蕉が、兄と再会する。お互い年を取ったな、兄貴の髪が随分と白くなった、何とか生きているだけだ、無事が何より。芭蕉は兄と母の死を悲しみ、互いの無事を確かめ合う。兄が守り袋から亡母の形見の白髪を取り出して芭蕉に見せる。浦島太郎の玉手箱の逸話を引合いに、お前も老けたとしみじみと語る。確かに浦島ではないが、母の白髪は手に取れば消えてしまうのではないか、熱い涙で霜を解かしてしまうかのように…。芭蕉の母への思慕がストレートに表現されている。心情吐露の句。41歳にして初老は当時としては普通だったのだろう。今の41歳とはまるで違う。

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2007年8月 2日 (木)

鬼百合

Imga0125  我が家の裏庭に鬼百合が咲いていた。カミサンは鹿の子百合と云っていたが、どうも鬼百合みたい。個性的な花だね。

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2007年8月 1日 (水)

先週は二度も料亭で会食

 先週は、珍しく市内一格式の高い料亭と二番とも三番目とも云われている料亭で会食した。久し振りの料亭。以前は時々市内一の料亭に足を運んでいたが、もう何年もご無沙汰していた。勿論、自腹では行かないし、行けない所だ。一週間に二度も料亭に通うなんて珍しい偶然、豪気なもんさ。

 でも、どうも料亭は性分に合わない。格式が苦手だし、みのる君の胃袋は大衆食堂向けになっているから、料理にも大して興味が持てない。それに、今回は部屋にハエが飛んでいたぜ。これでは格式も台無し。床の間に、著名な画家が暫時逗留していた時に代金代わりに料亭に残していった絵が飾ってあったが、これが、せめてもの心尽くしかな。以前、ここで何点もの直筆を拝見させて貰っているから、きっと女将の気遣いなんだろうな。冷酒を呑みたいと駄々をこねたら、いくつかの銘柄を見せて、どれにしましょうか。みのる君が気に入った銘柄をご指名したら、程なく戻ってきて、ごめんなさい、品切れです。だったら、メニューなんかに書いておくなよ。仕方なく他の酒で我慢。格式が泣くぞ。

 カミサンはこうした場所を好む。前にカミサンに連れられて、彼女が茶事に利用する割烹料理屋で懐石を食したことがあるけれど、小さな器で盛られた料理が小出しに出てくる懐石はなかなか馴染めない。目で楽しむ、器で楽しむと云っても、腹に収まれば結果は同じよ。ラーメンを喰っても懐石を食しても、出てくる答えは同じじゃん。何も高いカネを払って無理することぁない。分相応って言葉があるだろう。

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