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2007年4月の31件の記事

2007年4月30日 (月)

子供時代は映画館通い

 みのる君が子供の頃は毎週のように映画館に通っていた。親父が新聞の映画評論を担当した時期もあってか、タダで入場出来る券(つまり招待券だね)を沢山貰って来る。親父は市内の映画館をフリーパスで入れたみたい。だから、券が余ってしまう。いきおい家族が狩り出されて消化作業さ。とは云え、小さな子供は何度通っても入場無料だから、お袋がせっせと使うしかない。毎回、入口の切符を買う長蛇の列を尻目にさっさと館内に入っていけるのは、案外、快感だったな。開館一番に入って、一番気に入った椅子に座る。それから、気が向けば二本立て、三本立ての映画を2回も3回も見てからご帰還さ。勿論、弁当持参。映画館に着く前にパン屋で昼食を調達。一人で行く場合が多かったが、幼い頃はきょうだい揃って映画館通い。時にはお袋に連れられて。あるいは両親に引率されて。親父は見終わると、お袋や子供たちを残して他の映画館へ行ってしまう。思えば、親父も若かったのだろう。

 一年52週の週末の大半を映画館で費やしていた。だから、年間100~150本、小学校半ばから中学卒業までの間で、千本以上を見たと思う。映画全盛期。クライマックスでは館内に拍手が沸き起こる。掛け声も出る。評判の良い映画は立ち見も出て座席間の通路までも一杯状態。休憩時間のトイレもままならない混雑ぶりだった。子供の座っている席を横取りしようとする輩もいた。図々しい大人たちに閉口したことも数知れない。受験勉強の時期も映画館に通いつめた。試験直前だけはさすがに控えたが、終われば連日足を運んでいた。映画館の空気が好きだったのだろう。煙草の煙が充満する館内、汚いトイレ、壊れかけた椅子、居眠りの鼾、クチャクチャお菓子を食べる音、スピーカーから流れる大音響とスクリーンに映し出される別世界、それらが渾然一体さね。特に場末の映画館は哀愁が漂っていた。客のまばらな映画館でふんぞり返って名画を鑑賞するのも乙だった。

 今はすっかり映画館から遠のいてしまった。何故かしら、行きたいとも思わない。あの空気が嫌いになったのも一因か。それに、映画館もイメージを一新して妙に上品ぶった雰囲気になってしまったみたい。殺人や不倫、戦争、悲恋、そうした映画をゆったりした椅子に腰掛けて見るには抵抗がある。ゆったりした椅子では映画と一体になれないし、身を乗り出せないだろうに。いっそ家でゴロリと横になってTVを見ていた方がまだマシさ。映画館に上品はあまり似合わない。ポプコーン片手が似つかわしい。

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2007年4月29日 (日)

駅馬車

 アメリカの傑作映画の一つ。1939年。駅馬車に乗り合わせて人々の人間模様は、後のパニック映画の原型とも云えるだろうな。モニュメントバレーの荒涼とした風景がこの映画にピッタリだった。群像劇としても十分に楽しめる。ウィンチェスター銃を構えるジョン・ウェインが実に格好良い。アパッチとの壮絶な戦いが圧巻。

Photo_36 手元にある昭和15年(1940)6月1日号の「キネマ旬報」(定価30銭)を見ていたら、筈見恒夫、双葉十三郎、内田岐三雄、清水千代太の各氏の駅馬車合評が掲載されていた。その中で、傑作であることは全員一致の意見ながら、内田氏は「この映画はアメリカでなくては絶対に出来ないけれども、アメリカの観客がもう少しレベルが高かったら、これ以上いい映画になれたろう」と評している。いささか乱暴な意見だけれど、それだけ完成度の高い映画だったと云える。最近では差別問題が先行してしまって、TV放映を控えているのかね、なかなか見る機会がない。差別を意識してしまい、純粋に映画を楽しめない人たちもいるみたい。悲しいね。写真は「キネマ旬報」の広告頁。ご参考まで。「ジオン・フォード」にご注目を。

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2007年4月28日 (土)

路線バスで帰省

 最近は高速道路を使った長距離路線バスがあちこちで走っている。関東地方から京都、大阪方面にも夜行バスを使えば安い運賃で行ける時代になったが、みのる君が東京にいた時分は精々東名の夜行バス程度だった。

 高円寺に住んでいた頃、駅前から赤羽行の路線バスがあって、ある時、退屈の生活に小さな刺激を求めて、路線バスを乗り継いで帰省してみようと云う気になった。思い立てば即実行あるのみ。時機をみて、早速行動に移した。

 週末の早朝バス。始発の所為か客は少ない。終点まで行くので最後尾に座る。途中下車でないから気楽なバス旅行さ。のんびりと外の景色を楽しめる。

 終点の赤羽に着くと、今度は大宮行のバスが目に付いた。何の下調べもしていなかったが、案の定、道は通じているものだ。行けば何とかなる。多少の待ち時間を辛抱して、再び最後尾に陣取った。電車ばかり利用していたから、バスからの景色が新鮮だった。しかし、交通量が多いから快適には走ってくれない。時々居眠りをしながら、大宮へと向かった。

 始発から終点まで。これを繰り返して、午後の遅い時間、何度目かの終点で降りて、次の路線バスを探してみると、まさにみのる君の故郷行の路線バスがあるではないか。おお、ついにやったぞ。高円寺から田舎までが、ちゃんと路線バスでつながっているぞ。点と点が線で結ばれているんだ。なるほど。妙に感心してしまった。

 ところが、路線バスは電車の数倍の移動時間を要する。費用だって電車の倍以上も高い。待ち時間が長すぎる。その時間を利用して食事や用足しが出来るけれど、割が合わないって奴さ。機能的じゃない。疲れるだけ。

 とうとうそのバスには乗らず、電車に乗り換えてしまった。

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2007年4月27日 (金)

イカリソウ

Photo_35 妙な形のイカリソウ。うっかりすると踏みつけてしまう。

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2007年4月26日 (木)

由来

 みのる君の名前は、もとは「穂」が付いていた。「穂」にこだわっていた面もある。「穂」からまず「稲穂」を連想。そうするといきおい「実るほど首(こうべ)を垂れる稲穂かな」に行き着くわな。成程、これはみのる君にピッタリだ。謙虚、謙遜、清廉、実直。首を垂れる稲穂を心したか、項垂れる稲穂に堕したか。単純発想の極みで「稲穂実」を名乗るようになったが、どうにも「穂」の発音が面倒くさいし、安直と捉われかねない。そこで、この際「穂」にこだわるのは止めよう。あっさり「穂」を棄てて、爾来、「稲みのる」を名乗っているそうだ。拘泥の理由も明快だったけれど、すっかり忘れてしまった…。

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2007年4月25日 (水)

山桜

Photo_34 我が家では、ソメイヨシノの盛りが終わると、続いて山桜もお目覚め。ようやく花が咲き出した。

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2007年4月24日 (火)

無謀なサイクリング

 高校時代のみのる君は東京から100㌔圏にある地方都市に住んでいた。高校2年の夏頃だったか、気まぐれの思い付きで、親友の東海ニ君と二人で東京までの日帰りサイクリングを強行したことがある。往復200㌔を一日で走り抜こうと云う暴挙。思えば、若かった。

 朝5時頃に自宅を出発。上下白の学校の体操着と云うダサイいでたち。何の計画もない。国道は東京まで通じているはずだ。だから、ひたすら国道を走れば東京に着くはずだ。地図も持っていなかった。頼りは道路標識のみ。昔とは云え、天下の一級国道は往来が激しい。今と違って、バイパスなんか整備されていなかった。トラックがひっきりなしに脇をすり抜けていく。無謀だったのだろうな。親からは何も云われなかった。ああ、そうか。気を付けて行って来い。それだけだ。自転車はみのる君が普段通学に使っているもので、変速ギヤなんて付いていない。昔ながらのオーソドックスな実用車。こんなモンでも十分。走れば良い。しかし、長距離となるとさすがに足が疲れてしまう。段々とうんざりしてきた。痩せっぽちの東君なんか蒼くなっている。

 11時前には板橋に到着。都内に入ったことを確認すると、近くの店で牛乳を買って一息で飲み干す。喉は渇いていた。では、戻ろう。東君と踵を返した。が、足取りが重く会話も少なくなり、車に気を付けるのが精一杯の状態になっていた。ただ黙々とペダルをこぐ。

 間もなく県境と云う地点で、ついにダウン。休憩。生まれて初めて喫茶店なる所に入った。白の体操着は車の排気ガスと汗を吸って、茶色に変色している。汗とほこりだらけの顔。きっと店員は驚いただろうな。冷たいコーラを飲んで暫時休息。長く休んでいると足が動かなくなるから、早々に店を出る。日は西に傾く。

 すっかり暗くなった頃、家に辿り着いた。足ばかりでなく、ずっと前屈体勢でハンドルを握っていたから両手もボロボロ状態になっていた。アクシデントに見舞われなかったのは幸いと云うべきだろう。無鉄砲極まりない。

 実用自転車で200㌔のサイクリング。何事も為せば成る。実行あるのみ。そんな経験をした夏だった。

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2007年4月23日 (月)

ツボスミレ?

I 庭の片隅に可憐なツボスミレ(だと思うけれど)が咲いていた。

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2007年4月22日 (日)

フォークダンス

 みのる君が中学生時代、彼の住む地方都市の中学校に東京から才女が転校して来た。草野球やバスケットボールに夢中だったみのる君をはじめ、クラスの不良男子共にはちょっと煙ったい生意気な子だった。

 あるホームルームの時間、彼女がいきなりフォークダンスをやろうと言い出した。一瞬クラス中が静まり返ったが、すぐにあちこちで賛否が飛び交った。当時、フォークダンスなんて代物には全く無縁の生活。アベックが冷やかされた時代。男と女が手を組んで踊るなんて、やってられるか。冗談じゃない。反対の急先鋒はみのる君だった。不良共もみのる君の発言に賛同した。そんなモン出来るか。ところが、多勢に無勢。才女は平然と提案をごり押し。結局、女子生徒等の強硬な賛成意見に押し切られて、オクラホマミキサーかなんだか、踊らされる羽目になってしまった。格好悪いぜ。みのる君や不良共(文字通り警察に何度もご厄介になった不良連中)は往生際が悪かった。最後までブツブツ文句を並べていた。

 いざ、練習となると照れくさいったらありゃしない。女子生徒と手を組むなんて経験がないものだから、男子諸君は女子の言いなり。この時とばかりに強気の女子生徒達だった。唯一、憧れの君と踊れたことは望外の幸せだったが。勿論、才女の事ではない。校庭で賑やかなオクラホマミキサーを流してフォークダンスを踊るみのる君のクラスは一際異彩を放っていた。さすがに不良共はすばしっこい。さっさと自説を取り下げて、積極的に練習に参加しやがる。はるか昔の出来事。みのる君が団体競技を嫌いになった原因はこの辺にある。

 その後、才女は神奈川へ転校してしまった。

 みのる君は高校卒業後、東京世田谷に下宿することになったが、例の才女の事を思い出して、一度だけ会いに行ったことがある。昔のクラス名簿を頼りにわざわざ一筆啓上に及んだ次第。「私は誰でしょう」という突飛な書き出し。いくつかヒントを書いて、再び「さて、私は誰でしょう」と謎かけの手紙だったが、思い出してくれた様子。すぐに返事が来て、京王線沿線の駅で待ち合わせ。彼女は津田塾に進学して、更に煙ったい才女になっていた。お互い近況話に終始して、以来、一度も会っていない。彼女、今も進取の人生を送っているかしら。

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2007年4月21日 (土)

穂咲万作

Photo_33 最近、我が家に仲間入りした穂咲万作。茶花の由。ピントが甘いね。

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2007年4月20日 (金)

バイカル号の船上パーティ

 昔の話になるけれど、横浜に停泊中のソ連船(当時)バイカル号の船上パーティに招かれたことがあった。中華街で時間を潰してから出掛けていったものだが、今でも記憶に残っているのは、若いロシア女性の美しかったこと。年を取ると肥満体になるなんて想像も出来ないスタイルだった。神戸三宮で食したロシア料理よりこの船の料理は美味しかった。ウオツカに酔い、その後、しばらくはウオツカに夢中になっていた程さ。船内をくまなく案内して貰ったり、女性船員等の音楽のもてなしですっかり良い心持ちになってしまった。翌朝は友人の結婚式出席のため北海道へ行かなければならず、余り深酔いも出来ず、しぶしぶホテルに戻ったものさ。外国船のパーティに呼ばれるなんて、めったに出来ない経験だったと思う。

 翌朝は羽田から札幌まで飛行機で移動。そこから中標津までの数百キロをレンタカー(釧路までの切符が取れなかった所為でとんでもないドライブさ)を走らせたが、夜中の北見市でスピード違反で捕まってしまった。あの時は悔しかった。夜中だぜ。一斉なんてやる時間じゃないだろうが、と文句を云っても始まらない。悪いのはスピード違反のみのる君さ。中標津に着いたのは明け方に近い。友人は寝ないで待っていてくれた。仮眠して、彼の結婚式に出席。おめでとうと祝辞を述べて、再び仮眠。そして慌しく札幌まで戻った。正味48時間の北海道。その内の20時間以上は千キロ近くの移動時間。加えて罰金を払い(罰金刑を喰らったお陰でバイカル号の思い出をすっかり忘れ去ってしまっていた)、祝辞を述べ、酔っ払い、ほとんど寝る時間なんかなかったな。体力勝負の大移動だったけれど、懐かしい思い出。

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2007年4月19日 (木)

利休梅

Photo_32 我が家の庭に咲く利休梅。風の強い日に写真を撮ったので、ブレがひどい。何とか形が分かったのがこの一枚。

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2007年4月18日 (水)

バージニア工科大学事件

 昨日はアメリカバージニア工科大学の凄惨な銃の乱射事件と国内では長崎市長が卑劣な銃弾を浴びて亡くなられる事件が大きく報道されていた。あまりに痛ましい。

 アメリカの事件は他人事だと思っていたが、今朝早くカミサンの友人からメールが届き、内容を読んで驚いた。他人事とも云えなかった。「ご心配をおかけしておりますが、無事です」との事。迂闊だったけれど、彼女は現地に住んでいたっけ。食堂で私服の屈強な人たち20人程のミーティングを目撃して訝ったそうだけれど、帰宅するまで事件のことは知らなかった由。家族の知り合いがその大学に通っているそうだが、無事だった由。

 近くにいながら情報が伝わらない。情報の流布って、案外そんなものかも知れない。時に当事者周辺に話が伝わらない事だってある。仕事も同じ。重要な情報が届かない事例は何度も経験している。お互いが知っているものとばかり思い込んでいると、こうした陥穽に陥る。物見高い半可通の野次が事態を混乱させてしまう場合だってある。針小棒大もあるから気を付けなければならない。

 それにしても、想像力の足らない輩の犯罪が多い。銃を撃てば人が死ぬ。家族が悲しむ。そんな想像すら出来ないのかな。自分がいきなり同じ目にあって被害者になったら、どんな思いを抱くだろうか。ちょっと考えてみれば、犯罪の重大性に気付くと思うけれど。叩かれれば痛い。その痛みを分かっていれば、そうそう悲惨な事件は起こさないと思うけれど…。想像力は養った方が良いね。想像力と云っても、妬みややっかみ、誇大妄想、被害妄想ばかりでも困るけれど。

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ハードの基板交換

 みのる君が職場で使っているパソコンのハードが不調だったが(電源が入らないと云うアクシデント)、先週末、業者が来て基板をそっくり交換してくれた。3日間様子を見たけれど、問題は発生しない。直ったみたい。昨年も同じ時期に似たような現象があった。作業中、いきなり再起動がかかってしまう。ウイルスに汚染された訳でもないのに、突然の変調。その時も基板を交換。一年で異常をきたすようでは困るね。

 高い年間保守契約に入っているお陰で新たな費用も発生せず、事なきを得た所だが、これが個人のパソコンだったらエライ騒ぎだろうね。うっかり利用者登録を怠っていたり、保証書をなくしてしまっていたら、メーカーも販売店も知らんぷりか高飛車かも知れないし、べらぼうな修理費用が発生していたかも知れない。第一、修理交渉が煩わしい。転ばぬ先の杖も大事だね。それにしても、みのる君の職場のパソコンのように、一年に二度も基板を交換するような代物も困ったものだ。この先、大丈夫かしら。

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2007年4月17日 (火)

祝300回

 本日は、みのる君がブログを開設して303日目になる。そして、ちょうど300回目の投稿となる。参考までにこれまでの記事の文字数をコツコツと数えてみたら、原稿用紙245枚分にもなっている。一回の記事平均が約327字。よくぞ書いてきたものだ。継続は力だね。どうだ、参ったか。途中で息切れになるかと思ったけれど、何とか続いた。

 しかも、昨年7月23日から今日まで連続268日間、休まず書いているぞ(案外ねちっこい性格だね)。過日、アクセスカウンターが5000を突破した所だけれど、実に大勢の方々の目に触れた次第。独善的自我の発露にお付き合い下さり、感謝申し上げる。これからも、息が続けば書き続けるけれど、さて、どうかな。300回も書いていると、以前に書いた内容を忘れてしまい、再度同じ内容が登場なんて失態もやりかねないし。勤め人ゆえの苦労もあって、毎晩パソコンと向き合う余裕もないし。明日は明日の風が吹くってところか。これからも宜しく。

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2007年4月16日 (月)

シャガ

Photo_31 カミサンは色んな草花を庭に植えている。このシャガもその一つ。庭の隅っこでひっそりと咲いていた。

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2007年4月15日 (日)

芭蕉の雑念

 44歳の芭蕉が「笈の小文」冒頭で、自身の半生を省みている。

 かれ狂句を好むこと久し。終に生涯のはかりごととなす。ある時は倦て放擲せん事をおもひ、ある時はすゝむで人にかたむ事をほこり、是非胸中にたゝかうて、是が為に身安からず。しばらく身を立む事をねがへども、これが為にさへられ、暫ク学で愚を曉ン事(しばらく学んで愚をさとらんこと)をおもへども、是が為に破られ、つゐに無能無芸にして、只此一筋に繋る。 (岩波書店版日本古典文学大系「芭蕉文集」)

 まず、俳諧(狂句と表現している)が好きで、生涯の仕事(はかりごと)にしたと述べている。けれど、色々と雑念も多いから、この決心は揺らいでしまう。

 雑念の1は、「倦て放擲せん(うみてほうてきせん)」。句作に励んでもなかなか気に入った句が出来ない。スランプと云う奴だね。悩んでも悩んでもうまく吟じえない。スランプ状態だから堂々巡りみたいなものさ。そんな時は、「もう、やめた」と放り出してしまう。誰もが経験するスランプを芭蕉自身も味わったと告白している。

 雑念の2、「すすんで人にかたむ事をほこり」。あの野郎の句が選ばれて俺の句が落選かよ。俺の方が上手なのに悔しい。などと歯軋りした経験もあって、いつかは俺が勝ってやると云う闘争心だ。他人を押しのけてでも勝ちにいきたい。結構俗っぽい告白。この雑念1、2の為に心中穏やかではない。勝ちたいけれど、スランプに陥って勝てない。闘争心が強い程、陥穽に落ちやすい。勝てば自慢、負けたら腹立たしい。そんな日々を送っていたのだろうな。

 雑念の3、「身を立む事を願う」こと。つまり立身出世。仕官を考えたこともあると白状している。伊賀で青春時代を送った芭蕉は、藤堂良忠亡き後、やがて江戸に下ることになるが、この時期、立身出世話もあったのではないだろうか。夢と現実、どちらを選ぶか。平々凡々としたサラリーマンに甘んじるか、あくまで夢を追い続けるか。二者択一を迫る。結局、芭蕉は夢に賭けた。それは又、彼の夢を応援する人の存在が窺える。金持ちの支援者の存在。江戸行きを決心した背景にパトロン(云い方は悪いが)の存在が感じられる。「これが為にさへられ」の「さへられ」は「妨げられ」の意味。

 雑念の4、「暫く学んで愚を」悟ること。学問に精進して自らの愚かさを悟ろうともした。高尚な決意だ。東西の古人に学び、あるいは仏道に修行して、真っ当な生き方をしよう。俗を捨てたい。ひたすら勉学に励み、世事に疎い人生を送ろう。雑念3ではサラリーマンとの二者択一、ここでは研究者か夢追い人かの選択に悩んだと告白している。

 結局、俳諧を捨てられなかった。「無能無芸」と自身を卑下しながら(俳諧の社会的地位が窺える発言でもある)も、朴訥のわが道を肯定している。確かに、生活基盤が確保されれば自信につながるしね。「笈の小文」最初の句が、「旅人と我名よばれん初しぐれ」。自省を述べた後に、自信に満ちた句を提示している。どうだ、まいったか。売れっ子になった芭蕉が胸を張っている句だ。

 わずか151文字の文章だけれど、含蓄のある151文字。芭蕉の心情吐露の151字。読み飛ばしてはいけない。じっくり味わべき文章だね。芭蕉の書いた「幻住庵記」にも同じような述懐が書かれている。

 ひたぶるに閑寂をこのみ、山野に跡をかくさむとにもあらず。病身やゝ人にうみて、世をいとひし人に似たり。何ぞや、法をも修せず、俗をもつとめず、いと若き時よりよこざまにすける事侍りて、しばらく生涯のはかり事とさへなれば、終に此一筋につながれて、無能無才を恥るのみ。 (同上より引用)

 文章中、「いと若き時よりよこざまにすける(とても若い時分から下手の横好き)」と云うくだりがある。19歳で良忠に仕えることになった芭蕉だが、「いと若き」が良忠に仕えてからを意味しているのか、それともそれ以前からなのか。もしかしたら、以前からの俳諧知識がモノを云って就職出来たのかも知れない。

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2007年4月14日 (土)

雲と隔つ友かや雁の生き別れ

 29歳の芭蕉が郷里伊賀を後にして江戸に下る寛文12年、離郷に際して友人への留別として上の句を吟じたと云うが、存疑と云われている。旅たつ雁の生き別れ。雁の別れか、仮の別れか、余りパッとしない。存疑の説にも首肯。

 江戸にはどんなツテがあったのだろうか。落ち着く先には幾つかの説がある。一大決心をしての江戸行きだったに違いないけれど、消息が曖昧模糊としている点を考えると、四苦八苦、艱難辛苦、難行苦行あるいは丁々発止か一発勝負と云った武勇伝まがいの生活があったかも知れない。有名人にもなると出自が取沙汰されるから、武勇伝は内緒にしておこうなんて気配りもあったか知れない。諸説が入り乱れると云うのは、そんな気配りが根底に無きにしもあらずか。29歳と云えば血気盛んな年齢。一旗あげようと云う気概がなくては江戸にはいくまい。藤堂良忠とともに北村季吟に師事していた芭蕉が貞門俳諧に飽き足らず、一念発起、勝負に出てもおかしくない。俳諧の歴史は貞門派の京都から談林派の大阪へ、やがては蕉風の江戸と隆盛が移り変わっていく。芭蕉はうまく時流に乗って売れっ子になっていったのだろう。

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2007年4月13日 (金)

桜散る…

 我が家の桜も見頃を過ぎて散り始めた。桜の下に止めてあるみのる君の車に次々と花びらが落ちてくる。庭から道路から辺り一面花びらだらけ。掃除が大変だぞ。ご近所迷惑だぞ。雨が降った日には花びらが車にべったり貼り付いてしまって、落ちやしない。不精者ゆえに洗車する気もないから、フロントガラスやボディに貼りついたまま変色していく。花が哀れか、傷む車が哀れか。哀れはみのる君さ。花が散れば、今度はいよいよ毛虫が蠢く時期到来。毛虫の糞が車に落ちてくる毎日が始まる。全く桜には手を焼くぜ、カミサンよ。

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2007年4月12日 (木)

やっと自治会の役が終わり…

 昨年4月から一年間、町内自治会の役員を仰せつかっていた。勤め人には時間の制約があって厳しいところだったが、全戸順番制だから嫌だと云う訳にもいかず、しぶしぶと引き受けたものだったが、振り返ってみれば、年の所為もあるかしらん、アッと云う間の一年だった。毎月2回の会議(会議に出席する為には定時に仕事を終えなければ間に合わない。これが存外に大変だった)にきちんと顔を出し、それが終われば各班長に市の広報やらお知らせを配布しなければならない。不在の班長も多いから意思の疎通もままならない。時には苦情も持ち込まれる。雑用も頼まれる。自治会費の集金や赤い羽根募金協力のお願い、公園の草むしりの陣頭指揮から祭りの準備、その他諸々、何とかこなしている内にみのる君の社会貢献が終わった。やれやれ。

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2007年4月11日 (水)

再びハブが故障

 昨日は一日大騒ぎだった。職場のLANが再び不調。朝から苦情が続出。みのる君に文句を云われても困る。実は、みのる君のハードだって朝から起動不調さ。電源を入れてもハードが目覚めない。何度か電源ONとOFFを繰り返して、やっとお目覚め状態。原因未詳。思うように起動しない所に持って来て、LANが駄目と云う苦情さ。勘弁して貰いたいね。みのる君のハード問題は先送りにしておいて、LANを調べたら、ハブが故障していた。ハブも消耗品だね。昨年12月にハブがやられたけれど、その時、他のハブにまで気を配っていれば、被害は最小限に抑えられただろうに…。業者がやって来て、ハブ位在庫に置いてよ、だって。そんなゆとりはない。いざと云う時に役に立たない業者なんかとは縁を切りたいね。はっきり物申したけれど、確かに用心に越したことはない。

 それより、みのる君の不安定なハード問題をどうしようか。こっちの方が心配。被害も甚大だぜ。今朝も同じ現象が起こった。いよいよ駄目になったかね。

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2007年4月10日 (火)

さまざまの事おもひ出す桜

 さまざまの事おもひ出す桜かな

 芭蕉45歳の時の句。元禄元年。伊賀の実家に帰っている時、旧主家藤堂探丸別邸の花見に招かれての句。

 芭蕉は、19歳の頃藤堂家に仕えていた。芭蕉が発句にのめり込んでいったのは、藤堂良忠(俳号は蝉吟)の影響による。良忠が享年25歳(芭蕉23歳の時)で没した後、しばらくして江戸に向かい、やがて精進が実って大成するが、久し振りの里帰りの時、主家の花見に招待されて胸中は如何なものがあったか。「さまざまの事」とは何なのだろうか。良忠の俤も去来しただろうか。我が青年時代に思いを馳せたであろうか。派手に咲く桜の下での懐旧の念。ちょっと格好付けすぎだね。

 花見の一ヶ月程前、芭蕉が亡父の33回忌が営まれているが、法要の翌日、弟子が芭蕉を訪ねており、あわてて地元の酒屋に、「から口一升乞食(こつじき)申したく候」と酒をねだっている。ついでに一緒に呑みましょうって。結構、虫のいいおねだり。弟子が増えると便利な面もあるね。

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2007年4月 9日 (月)

我が家の桜も満開

Imga0828 我が家のソメイヨシノも満開状態になった。昨日はスズメやらメジロもやって来て桜を愛でていた。

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2007年4月 8日 (日)

朝帰りのドライブ

 金曜日の晩は新入社員歓迎会だった。先輩諸兄が新入社員を激励し大いに盛り上がった。で、一晩明けた翌土曜日、つまり昨日はカミサンと新潟までドライブ。二週間前は今にも雪が降り出しそうな雲行きだった湯沢辺りもすっかり雪解け。すっかり春。穏やかな日差し。ドライブ日和。桜はまだだったね。

 目的は甚六と落ち合って彼の大学院進学祝い。宵の口から酒盛り。久方ぶりに甚六に会ったカミサンもビールを痛飲。翌朝は地元で茶会があると云うのに酔っ払いやがった。親子三人、暗い夜道をフラフラと歩いて甚六のアパートに帰る。しばし談笑と仮眠。明け方3時半、アルコールが抜けた所で、さあ帰るぞ。のんびりしていては茶会に間に合わんぞ。

 夜明け前の高速道路はガラガラ。時たま前の車を追い越しつつ、抜かれることはなく一気に走った。上越国境辺りでは雪の残る山の端も見えている。日の出前の澄んだ景色を堪能。西に下弦前の月。長いトンネルを抜けたら、何じゃい、霧が出ている。まるで景色が違うじゃん。が、臆することなくひた走りさ。関東平野まで下ってくれば花曇り。一風呂浴びても茶会に間に合う時間にご帰還さ。

 相変わらず、朝帰りのドライブ。ETCカードご利用だから昼間の料金とは大分違う。朝方の新鮮な空気を吸って、かつ高速料金は安い。長距離ドライブは深夜に限る。

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2007年4月 7日 (土)

鉄道員

 久し振りにピエトロ・ジェルミ監督の「鉄道員」を見た。1956年。やはり、名作は良いね。ラスト近く、クリスマスパーティが終わった後、後片付けに追われる母親の幸せに満ちた表情が実に素晴しい。ラストシーンの純真な子供の表情も良かった。今時の子供には見られないだろう無垢な顔。戦後イタリア映画の傑作。こうした名作は今の子供たちに積極的に見せた方が良い。

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2007年4月 6日 (金)

水漏れ

 風呂場の蛇口が故障して、2日間水が流れ放しになってしまった。知り合いを通じて業者に来て貰って修理。やっと、新しい蛇口が付いて元に戻った。半年位前から、徐々におかしくなっていたけれど、ついつい面倒で放っておいたらこの始末さ。水道代も馬鹿にならないだろうな。地球環境にも申し訳ないけれど、不始末は水に流して貰おう。

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2007年4月 5日 (木)

今年の新入社員

 みのる君の職場にも数少ないながら新入社員が入って来た。初日はすっかり緊張していたけれど、空気に慣れてくると油断が頭をもたげるね。三日目辺りには緊張感も薄れてしまったみたい。みのる君が組織について一席ぶっているのに、最前列の新入社員が居眠りを始めやがった。おいおい、お前、眠いのか。いくら若いからと云って夜更かしはあかんぜ。規律に指示命令は誠実に実行せよ、と書いてあっただろう。誠実って意味はね、噛み砕いて云えば夜更かしなんかするなって云うことだぞ。一言半句言葉の意味をじっくり説明しても分からないのかい。学校で何を学んできたの。弱ったもんさ。などと、先輩風が出てくると鼻持ちならないだろうけれど、最近の若いもんは考えるってことをしないね…。洗面所に行って顔でも洗って来い。

 みのる君の講義が退屈だったのかも知れない。反省も必要かな。

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2007年4月 4日 (水)

青い影

 ご存知プロコル・ハルムのデビュー曲。荘重なオルガンも良いけれど、リズムを刻むドラムがダイナミック。昔、みのる君はこの曲にも合せて随分とドラムを練習していた。と云っても、近所迷惑にもなるし、カネも無いから本物は買えず、椅子を使っての練習だったけれど。お陰で椅子を3つ4つ駄目にしてしまった。

 その内、友達から中古のハイハットシンバルとスネアドラム、トップシンバルの3点を譲り受けた(バスドラムもタムタムも譲ると云ってくれたけれど、むき出しのまま電車で運ぶ訳にもいかず諦めてしまった。トラックを調達してでも貰っておけば良かったと後にずっと後悔したね)。早速、本物を使って「青い影」も楽しんだものだ。プロコル・ハルムと云えば「青い影」。多感な時期に聴いた思い出の一曲。この曲を耳にすると、ドラムに夢中になっていた頃を思い出す。

 やがてみのる君はギターに走ってしまって、ドラムは埃をかぶってしまった。昔取った杵柄で、カミサンの凝った肩を叩いてやる時は正確無比に8ビートで叩き続けられるから、カミサン孝行に役立っている。みのる君のドラムの腕はすっかりマッサージ機に変身さ。

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2007年4月 3日 (火)

メンテのお知らせ

 本日午後3時より約24時間、メンテナンスが実施されます。その間コメントの受付不可の状態になります。相変わらずみのる君にも皆様にも多大なるご迷惑をおかけしますが、管理者の一方的事由に因るものですので如何ともしがたく、悪しからずご了承の程をお願い申し上げます。メンテナンスが頻繁と云うのも考えものですね…。

 アクセスカウンターが5000を超えました。皆様のご来場に感謝申し上げます。懲りずに見てね。

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2007年4月 2日 (月)

映画教育

 親父殿が残した古い映画雑誌を読んでいたら、面白い投稿を目にした。昭和16年6月発行の「映画評論」(発刊6号目)に、竹内時男理学博士(東工大の教授だったみたい)が、「映画教育」と題して、立体映画の普及を唱えている。「映画教育を数学に応用しようという企ても某方面にあることを最近に聞いた」と云う出だしで、「数学映画として最も有効な部分は、立体幾何学に属するものであろう。立体幾何学は立体映画ではじめて会得もされよう」と、立体映画のメリットを書いている。以下、抜粋。

 立体映画は、あの青、赤二色式のものがあるが、それよりは、東京工大の星野助教授考案のものが黒、白色で宜しかろう。すでに、種々の立体模型の映写がなされているが、立体感が出るので、大いに愉しい。三角錘、円錐、その他正多面体の諸性質が充分に納得出来よう。私は立体映画は数学教科に最も適当せりと主張するもである。
 科学教育のどの部門よりも、数学教科に映画を応用することは、とかく無味乾燥になりがちの斯学に色彩を与え、我国数学の普及に大いに役立つであろうと思う。ねがわくは、速やかにかかる時機のきたらんことを望む。しかして立体幾何学から更に進展して、結晶物、理学、空間論上の教授にも、即ち高等科学教育にも、映画の応用を拡張したいと思う。 (原文は全て旧字体)

 堂々たる持論展開。昭和16年と云えば太平洋戦争開戦の年。こうした時代でも立体映画の教育論を展開出来たのかと思うと驚異。掲載した雑誌も凄い。まだまだ時代は鷹揚だったのだろうね。

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2007年4月 1日 (日)

カミサンの茶事

 昨日はカミサンが自宅で茶事。職場の女性達をお呼びしてなにやら難しいテーマに挑戦した模様。こう云う時のみのる君は大人しく書斎にこもっている。

 昼時、居間で一人心地良く一杯呑みながら食事していると、午前の部が終わった由で、女性五人がドッと居間に押しかけてきて一緒に昼食。圧倒されてしまうね。賑やかなことこの上ない。女同士で着物の着方が悪いとか帯がどうのこうのと、男性を前にして悠然と会話している。みのる君の存在なぞ無視だ。こうなると早々に退散するしかないね。多勢に無勢とは良く云ったものさ。男一人では勝てっこない。彼女等がもう少し、ほんのもう少し若ければ応対の仕方も変わったのだろうけれど、「オバサン」ないし「オバハン」と云う言葉がピッタリの女性陣に囲まれてしまうと、言葉を失ってしまう。女性って、やっぱり強いんだね。

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