眼下の敵
ロバート・ミッチャム主演。1957年。ディック・パウエル監督。
クルト・ユルゲンスとの駆け引きが見せ場。映画はこうでなければ面白くないと云う典型的な描き方。十分に楽しめた。駆逐艦の船長、ロバート・ミッチャムに対する部下の見方が変化していく様子も、いかにもアメリカ映画らしい。けれど、部下は上司をどのように見ているのか、上司たる者心した方が宜しい。この映画でも学べるかと思う。
ロバート・ミッチャム主演。1957年。ディック・パウエル監督。
クルト・ユルゲンスとの駆け引きが見せ場。映画はこうでなければ面白くないと云う典型的な描き方。十分に楽しめた。駆逐艦の船長、ロバート・ミッチャムに対する部下の見方が変化していく様子も、いかにもアメリカ映画らしい。けれど、部下は上司をどのように見ているのか、上司たる者心した方が宜しい。この映画でも学べるかと思う。
勝新太郎と云えば「兵隊やくざ」と「座頭市」、「悪名」。破天荒な点では田村高廣と共演した「兵隊やくざ」だろうね。第一作は増村保造監督。1965年。滅多にTVでは放映されない。実に愉快痛快な映画だけれど、何故、放映しないのだろうか。内容が内容だから難しいかも知れない…。なにしろ規律破りの兵隊さんのお話だから。
しかし、作られた当時の戦争観を知る上で貴重な材料だ。軍隊の陰湿な体罰。戦争経験者ならば誰でも経験したであろう理不尽さが描かれている。戦争を扱いながら画面が綺麗過ぎる最近の日本映画と比較すると面白い。奇麗事では済まされない凄惨さをモノクロでさりげなく、しかも諧謔的に描いている。往復ビンタの嵐や罵詈雑言が飛び交い女郎屋通いまで出てくれば、良識ある人々は顔をしかめるに違いないだろうが、無茶苦茶が日常と云う「戦争」に比べれば、まだまだ他愛ない娯楽映画。反省材料としても、製作当時の日本人が抱いていた戦争観を考える上でも貴重な作品になっている。
何故かしら、我が家では滅多にゴキブリに遭遇しない。特別に清潔と云う訳でもないし、気密性の高い今風住宅でもない。昔ながらの木造建築で隙間風も入る。エアコンもないから、夏場は網戸で過ごしている。蜘蛛やら蟻の傍若無人ぶりに手を焼くことがあっても、幸いと云うべきか、ゴキブリには縁がない。しばらく前、風呂場付近にそれらしい影を見たカミサンが大騒ぎしたが、カミサンの剣幕に驚いたのか、それっきり姿を見せない。ずっと以前にも似たような事件があったが、多分、わずかの隙間を見付けて外から入り込んだのだろう。でも、住みついた様子はない。ゴキブリにとって、みのる君宅は住み心地の良い所ではないようだ。言い換えればゴキブリにも嫌われているのかも知れない…。
初めて東京に下宿した頃(そんなに昔の話じゃないが)、そこは世田谷の奥地で周辺にキャベツ畑が広がっており、畑の向こうに鶏舎があった。その所為か、夏には大量のハエが部屋に闖入してきて往生させられたものだった。学生の身分で暇だったから、一匹一匹、輪ゴムで潰し回ったが、一晩で数十匹も潰す程だった。壁や障子に残骸がへばり付いて始末に困った記憶がある。不衛生極まりない部屋だったが、やはりゴキブリにはあまり出喰わさなかった。たまに畳の上を慌てて走る姿を目撃したが、間髪を入れずに新聞紙で引っ叩くものだから、恐れをなしていたのかな。
ゴキブリには月桂樹が良い。お袋がそんな事を云っていた。月桂樹を植えていたお陰か、やはり実家でもあまりゴキブリを見なかった。お袋のゴキブリ対処法が奏効したのかな。
今の我が家にも月桂樹が植えてある。しかも台所に近い。きっと、勝者のシンボルに彼のゴキブリも兜を脱いだのだろう。未だゴキブリ退治用の市販品を使った例がない。
川島雄三監督。フランキー堺主演。1957年。石原裕次郎が豪胆な勤皇の志士役で出演している(ちょっと似合わなかったかな)。
フランキー堺が良かった。颯爽と羽織を羽織る場面があって、思わず声をかけたくなってしまう。お見事。病気持ちの陰ある役柄がピッタリだった。
裕次郎の高杉晋作はイマイチ。どうも太陽族に見えてしまう。早口の会話がいかにも日活映画らしかった。
のっぴきならない用事ができた為、昨日は早々に職場を早退して北へ向かった。
関東平野はすっきりとした晴天だったけれど、関越トンネルを抜けた途端に様相が一変、雨が降っていた。人口に膾炙された小説の冒頭を身をもって体験。雪でなくて良かった。前々日、車検ついでに冬用タイヤからノーマルタイヤに変えたばかりだったから、雪に見舞われたらショックが大きかっただろう…。湯沢辺りは路肩に雪がへばり付いているし、山々も田んぼも白く、この雨が雪に変わったらエライコッチャ。外気温8℃の表示に一安心するものの、予断を許さない。油断も出来ない。なんと云っても雪国だからね…。
新潟平野に入ると雨も小降りになって、弥彦山も微かに見える。雲も切れてきて、晴の予感。ホッとした次第。
野暮用を済ませて戻る頃には、青空。日が西に沈む頃には関越トンネルを抜けられ、雪の心配もなくなり、ようやく安心の呈。雪にはほとんど縁のない場所で生活している所為か、どうも雪は苦手…。
突発的な用件出来で思わぬドライブだったけれど、途中、職場から仕事のメールや電話もあって、落ち着かないドライブだった。
木下恵介監督。1951年。
日本初の総天然色映画としても有名だけれど、敗戦後の日本の地方風景が楽しめる。見渡す限り何もない浅間山の景色。今ではすっかり観光一色みたいになっている浅間山周辺だが、フィルムに焼き付けられた当時の浅間山の雄大な高原風景を見るだけでも価値がある。運動会でのオルガン演奏(何となく場違いの感もあったけれど)や子供等の表情、更に「芸術」を連発するストリッパーの純粋さや利害の交錯する人々の駆け引き等、のんびりした映画ながら、ほのぼの感が溢れている。
この前、TVで山田洋次監督の「馬鹿が戦車でやって来る」(1964)を放送していた。60年代半ばながら、まだまだ地方には戦後の日本風景が残っていた(舞台は想像の産物だろうけれど…)。消費社会が日本中を席捲する前、現状を精一杯生きている人々が躍動していた。ハナ肇の独特の笑いも懐かしかった。この映画を見ていたら、何故だか、「カルメン故郷に帰る」を思い出してしまった…。多分、風景に触発されたのだろうな。
芭蕉42歳の句、「野ざらし紀行」中、
辛崎の松は花より朧にて
俳壇が宗因風から転換していく時期。芭蕉が京や故郷の伊賀、大津辺りをウロウロしていた時分。琵琶湖の眺望としてこの句を詠んでいる。この句の前に、有名な「山路来て何やらゆかし菫草」を掲げている。近江八景の一つ「唐崎夜雨」に由来する松に桜を対比させている。桜の華やかさと比較すれば、確かに松は朧か。
行く春を近江の人と惜しみける
これも同じ唐崎にて。47歳の句。共に語呂が良いので、昔から好きな句。
知る人ぞ知る強烈なギャグ漫画、鴨川つばめの「マカロニほうれん荘」。八十年代初めの頃か、一世を風靡したんじゃないだろうか。無茶苦茶破滅的な展開。15歳の高校生沖田そうじが主人公。脇を固める10回も落第したひざかた歳三(トシちゃん)と20数回も落第しているきんどー日陽(きんどーさん)の二人組が破壊的なギャグを連発する。
中島梓が、この漫画は時代を画すると評価しているが、その通りだろうな。理屈抜きの奇想天外さ。好きだったな。しかし、余りに個性的すぎたね。
鴨川つばめのその後って知らない(むしろ興味はない)けれど、「マカロニほうれん荘」は永遠に語り継がれるだろうね。日本の漫画史に残る傑作の一つ。
強風の吹き荒れた日の午後、庭先に出たカミサンが慌てて戻って来た。ちょっと来てよ。何事かと思って庭先に出て、カミサンの指さす所を見るとメジロのヒナ(ヒナにしては少々大きい。成鳥か)が瀕死の状態で横たわっている。そばに巣とおぼしき塊りも落ちている。きっと、強風で飛ばされたのだろう。桜の木の下だ。こんな所に巣を作るかな。微かに息をしているようだが、手遅れみたい。カミサンはヒナを植え込みの陰に移した。親鳥の姿は見えない。
我が家の庭の一角には青大将やらスズメやらの小動物の死骸を葬った「墓」がある。小さな庭石を墓石代わりに立てている。カミサンが庭で見つけた死骸を丁重に葬っている次第だが、住宅街にしては意外に多く小動物の最後を目にする。放っておく訳にもいかず、その都度、穴を掘って埋葬さ。
翌日、カミサンはすでに息を引き取っていたメジロを埋葬した。南無阿弥陀仏…。
昨日、カミサンが新幹線の駅までの道順を覚えたいと云うので、カミサンの運転する車に同乗した。この駅には広い無料駐車場があって、上京する際にはこの駐車場を利用すれば便利だろう、と云う魂胆。だが、結構、道のりがあるぜ。
口出し無用で、何とかカミサン一人で運転して駅に到着。道順を覚えた由。さて、どうせここまで来たついでだ、新婚当初に住んだ家に近い、あの家がどうなっているのか、ちょっと見に行ってみようと云うことになり、みのる君が運転を代わって、昔住んでいた家に向かった。景色は随分と変わっているけれど、辿り着けるかしら。家も残っているかしら。さあどうかな。とにかく行ってみよう。
カミサンの記憶とみのる君の勘を動員して、無事に家を見付けられた。ちゃんとあるぜ。住んでいた頃は周辺に家は少なかったけれど、来てみれば立派な住宅街に変身している。離れて大分経っているから辺りの様子はすっかりわっている。しかし、共に住んだ家はリフォームこそしてあるけれど、外観は昔のままだった。
その近くのトンカツ屋で遅い昼食。この店は健在だった。昔のまま。時々、この店で食ったね。夜遅くに国道沿いの屋台でラーメンを食べたこともあったわ。真夏は涼を求めて近くの百貨店で終日過ごしたこともあったな。などと懐旧談。
帰りは、新婚当初に通勤に使った道を走る。景色は変わっても、曲がりくねった道路自体は以前のまま。時々、記憶がよみがえってくる。すっかり忘れていた建物や店の看板…。変わるものもあれば、頑固に昔のままの建物もあった。
先般、尺八の名手の音色を聴いた。毎年一回は会食しながら尺八を楽しんでいる。たまには西洋音楽にない寂びた響きも好い。
名手は30年以上のキャリアを誇る。毎年のように中国で演奏を楽しんでいる由。旅先でも、居酒屋辺りでおもむろに吹き出すと、地元の人たちと会話を楽しむ機会が増える由。常に手作りを含めて十数本も持ち歩いている。一本借りて試しに吹いてみたが、全く音が出ない。さすがに首振り三年。腹筋を使って、顔を真っ赤にして吹いてみたが、まるで駄目。クラクラして倒れそうになってしまった。コツがある由。又、才能も大事。みのる君みたいな大雑把には不向きな楽器だ。やっぱり、ドラムみたいに叩けば音が出る方が性分に合っている。
知らないと云うことは、時にはげしい後悔を招くね。
京都旅行は地図を頼りに気ままに歩き回った次第だが、戻ってから詳しく西行庵について調べてみると、カミサンが地団太を踏む始末さ。
西行庵は、西行の有名な歌、「ねがわくば花の下にて春死なんその如月の望月のころ」を詠んだとされる付近だそうだ。近くの双林寺に住まいする頃に歌を詠んだ由。カミサンが自らの茶室を「望月亭」と命名した由来の歌の発祥地。しかも中に「皆如庵」と云う茶室があって、お茶を喫することが出来る由。事前にしっかり調べておけば、万難を排してでも茶を飲みに行っただろうな。今更遅い。悔しがることしきり。みのる君だって芭蕉堂を見られなかったんだ。お互い様よ。その内、機会があったら、再訪しよう。
哲学の道を後に、知恩院へ向かう。空模様がおかしくなってきた。風が強くなってきて、雨の予感。
散々歩いて、知恩院に到着。やっとの思いで石段を上りつめると、拝観時間終了のお知らせが無粋に境内に響き渡る。落ち着く間がない。マイクで帰れと煽るのはいかがなものかね。せわしない。知恩院の南に西行庵があると云うので、暮れ行く祇園辺りをカミサンと急ぎ足で歩く。八坂神社を抜け、やっと西行庵に辿りついたが、すでに時間切れか、門が閉まっていた。横に芭蕉堂の屋根も見える。残念。折角訪ねて来たのに、時既に遅しかい。中に入れない。知恩院で追い立てられた所為で道を間違えてしまい、間に合わなかったみたい。悔しさ一杯。でも、道を間違えたおかげできれいな舞妓とすれ違うと云うチャンスに恵まれ、塞翁が馬だね、一瞬の目の保養。
それから、カミサンの希望でお目当ての骨董店を探しに四条通りに向かった。さすがに賑やかな通りだ。しかも日本人以外も多い。言葉の分からない人たちが行き交う。国際都市の様相。とうとう雨が降り出したが、カミサンはこだわらずに骨董店を探す。
地図を頼りに歩いているお上りさん二人は雑踏に押し潰されそうになりながらも、何とか目的の店にたどり着く。暫時、骨董を物色。高い。カミサンの気に入った小物ですら十万円をはるかに超える。手が出ない。余りの高額にさすがのカミサンもがっかり。仕方ないね。バスの出発時間が刻々と迫っているし、骨董を諦めて食事でもしよう。カミサンはしぶしぶみのる君の提案を受け入れるが、折角の京都なのだから、おいしい京都の料理を食べたい等と贅沢を云う。昼間、熱燗と湯豆腐を喰ったのだから、ラーメンで十分じゃないか。見解の相違だね。結局蕎麦。勿論熱燗付き。カミサンとの旅行はほとんど車だから一緒に呑む機会が少ない。二人で呑む機会も珍しい。と云っても、お互い下戸だから、大したことはないがね。
つかの間の京都見物。恐らくニ十㌔近くは歩いただろうな。一切乗り物を使わず、足を棒にして洛東を散策した次第。よく歩いたもんさ。
バスに乗る頃はとうとう本降りの雨。散策中はほとんど雨にあわず、幸いだった。
金地院の後はカミサンと哲学の道を歩く。ふた昔以上前にこの道を歩いた覚えがあるが、様子は一変している。昔は鄙びた道だったような印象だったが、今はまるで違う。女性が好みそうなお洒落な道路に変身。これも旅行ブームの一片か。西田幾多郎が思索に耽ったところからの命名だが、思索に耽るような趣きはない。桜が咲く頃には、又違った印象だろうね。和辻哲郎の「古寺巡礼」に哲学の道のある若王子周辺について、次のように書いている。
樹の種類の異なるに従って、少しずつ色の違うさまざまの若葉が、地からむくむくと湧きあがって来たように見え、まるで烈しい交響楽のように我々の感覚を圧倒してしまう。だから五分間もそれを眺めていると、人間の世界から遠く遠く離れて来たという心持ちになる。電車の通りから十町と離れていない所に、こういう閑静な隠れ場所があるという事は、昔からの京都の特長で、文芸などにもその影響が著しく認められると思う。(岩波書店版和辻哲郎全集)
確かに、閑静な住宅が並び、和辻哲郎が描いた風情が残っている。だが、生活の音すら聞こえず、子供等の声もしない。ちょっと澄ました京都の風情と云った印象。静寂すぎるね。カミサンとそんな会話をしながら、疲れた足を休めに喫茶店に入る。コーヒーが美味かった。勘定を済ませると、「おおきに」と云う女性の挨拶。関東では耳にしない言葉。久しく聴いていなかった京都の言葉に接し、途端に印象が良くなってしまった。
法然院まで歩いたが、近くに西田幾多郎の石碑があるとは知らなかった。知っていれば、探し回っていただろうな。法然院は椿の名所。カミサンの薀蓄に耳を傾けながら山門をくぐると、両側の白砂壇が目を引いた。
久し振りに京都を散策した。カミサンと一緒の京都散策は初めて。雨を心配していたが、予想外に晴。夕方には雨が降り出したが、散策中は穏やかな散歩日和だった。
まず、美術館で写真展を見学。写真展の後はいよいよ京都見物。最初に南禅寺へ向かった。途中、山県有朋が別荘、「無鄰菴」の庭園を拝見。まぁ、無難な庭だわな。そして南禅寺。境内を流れる琵琶湖疎水が目的。意外に水の流れが早いのに驚いた。
近くで湯豆腐料理を食した後、金地院へ。特別拝観料を払って、茶室八窓席や長谷川等伯の「猿猴捉月図」(重文)、「老松」図を直に拝見。なかなかの物。女性案内役の素敵な解説に聞き惚れてしまった…。小堀遠州作の「鶴亀の庭園」(特別名勝)はさほどの感動はなかった。金地院は一見の価値があったね。何故かお客が少なかった。長谷川等伯直筆を目の当たりに出来るのに。人気がないのかね。
日本新聞協会によると、日本の日刊紙の発行部数は52百万部の由。全国の世帯総数を若干上回る量と云うから膨大な数だ。見方を変えれば、新聞社は一日に52百万部の印刷能力を有していると云うことになる。これは凄い能力だ。仮に一紙当たり20頁(新聞紙5枚)としても、1日で2億6千万枚もの印刷量になる。国民一人当たり2枚分。これだけの分量が、毎日毎日、印刷されている。印刷技術の勝利でもある。資源の無駄遣いとは云いたくないが、ちょっと多すぎるような気もする。しかも新聞を読む人の多くがTV欄とスポーツ欄に目を通してお仕舞いと云うのも凄い。リサイクル量も凄い。
一方で、新聞を全く読まない人々もいる。これはいかがなものかと思ってしまう。きっと他の手段で情報を仕入れているのだろうが、ラジオやテレビ、ないしはインターネットやケータイと云ったメディアからの情報は単なる情報に過ぎないし、極論すれば、それらから仕入れた情報なんかいくらあっても役に立たない。知ったかぶりと揶揄されるのがオチ。少しは頁をめくって活字を読む作業にも注力した方が良い。新聞が全て良いとは云わないけれど、少しは新聞社の主張に耳を貸すことも大事さ。
バラエティ番組等で、時に「危険ですから決してまねをしないでください」と云った類いのテロップが出る。先日もてんぷら油に氷を落とすとどんなに危険なのかを紹介する際に、危険を警告するテロップが流れていた。
この警告文は一体何を意味しているのだろうか。テレビ局は危険を警告するテロップを免罪符と思っているのだろうか。「真似るな」と警告しているのだから、真似る方が悪いとでも云うつもりなのだろうか。万一誰かが真似をしてケガをする、そしてテレビ局を訴える、そうなった時、テレビ局はどう対応するのだろうか。被害者がたまたまテロップを見ていなかったと云えば、テレビ局は損害を弁償するだろうか。それとも、あくまで事前警告で押し通すのだろうか。余計なことだけれど気になってしまう。
テロップを流すだけで事が足りると思っているのであれば、いかがなものかと思ってしまう。ちょっと傲慢過ぎないか。
「よい子は決してマネをしないでね」と云ったテロップも噴飯物で、悪い子は真似ても良いのか。良い子ってどんな子供を指すのか。などと思ってしまう。そもそも真似られると危険なことを放送して良いのか。社会的使命感とは裏腹で危険な行為をテロップ一つで済まそうなんて、いささか乱暴過ぎないか。
ドラマの最後にはいちいちフィクションを明示したり、危険には警告文で注意を喚起したり、念の入った気配りみたいだけれど、視聴者を馬鹿にしているような気がしてならない。思い過ごしかしら…。
芭蕉40歳の作、
花にうき世我が酒白く飯黒し
世間は花に浮かれているが、自分の酒は白い濁り酒だし、飯は黒い玄米だ。「花」と云う色彩に対して白黒を配置。あえて色を対比させて句を引き締めているのだろうが、ちょっとひねくれていないか。高踏的と云えば聞えは良いが、いわばポーズ。しかし、今時のバブルを鑑みれば分からなくはない。前詞に「憂ヒテハ方知リ酒ノ聖ヲ、貧シテハ始メテ覚ル銭ノ神ヲ」とあるが、貧して初めて銭の有難さに気付くと云う感慨は説得力がある。カネの無い身にはつまされる。
昨日から京都の美術館で山岳写真ばかりを一堂に集めた写真展が始まった。
山の写真はみのる君の趣味ではないが、嫌いではない。命がけでないと撮れない山岳風景もある。自然を切り取る手腕に圧倒される。週末の京都行きは、実はこの展覧会が第一の目的。京都で開かれると云うから、では、見に行ってみようと云うことになった。天気予報では週末の天気は悪そう。雨になると、動き回るのが辛い。晴れを祈るのみ。
ちょっと前まで、我が家は椿屋敷みたいに椿が咲いていた。
椿と云えば、「椿三十郎」を連想する。黒澤明監督。62年。黒澤作品の中では「七人の侍」に次いで好きな映画。三船敏郎のはまり役だろうな。あまりに強すぎるのが嘘っぽいけれど、「用心棒」での囚われの身を知る者には強さに説得力がある。伊藤雄之助や入江たか子、小林桂樹の暢気加減も好いアクセント。悪党共が、椿が合図と云う三船敏郎の示唆に慌てふためくシーンは痛快だった。映画はこうでなくては。我が家の椿が咲き乱れる頃はこのシーンを思い出す。
先日、TVで「雨あがる」を観た。三船史郎演じる永井和泉守重明は、父三船敏郎を彷彿とさせていた。と云うより、ちょっと不器用な磊落ぶりは親父そっくりの演技。寺尾聡の歩きっぷり(こぶしを握って歩く)は椿三十郎そっくりだし、「雨あがる」は黒澤明へのオマージュか。脇を固めた松村達雄や井川比佐志も良い味を出していた。
芭蕉の高弟、服部嵐雪が句、
むめ一輪一りんほどのあたたかさ
この頃は温暖化でこの風情がない。梅一輪に春の息吹を感じ取る程の余裕もない。エアコンの効いた室内で日がな一日を過ごしていると、いつか、四季の風情を忘れてしまうだろうね。やがては、嵐雪の句も詳細な解説が必要になってくるかも知れない。
「むめ」とは「梅」のこと、発音が「うめ」、「むめ」、「うめ」と時代によって変遷しているのです。「梅」はバラ科の落葉高木で、果実は梅干や梅酒に使われます。「一輪」とは咲いた花のこと、つまり、この場合は「梅」を指しています。「一りん」とは単位を表す「厘」であり、1に対して100分の1の単位のことです。ですから、ごくわずかと云った意味合いとなります。そして同時に「一輪」との語呂合わせ、つまり、言葉のお遊びの意味も持たせております。更にもう一つ、「凛」とした梅の強さも発音から連想されるように仕組んでいます。嵐雪さんの時代は言葉遊びが流行っていました。ですから、色々な連想を期待してあえて平仮名で「一りん」と表現しているのです。「あたたかさ」と云うのは、それまでの寒い日の平均気温より3、4度高くなった状態で、そろそろエアコンの温度設定を変えようかなと思う時期の頃の感覚です。
昔の人たちはエアコンがなかったから、梅の咲く頃になると、寒い思いから開放される日が近い事を知って、ホッとするのです。梅が咲くと、次は桜と云う花が咲きます。その頃は大分暖かくなっています。早く桜も咲いてほしいな。暖かくなってほしいな。だから、「梅は咲いたか、桜はまだかいな」なんて端唄が生れるのでしょうね。
エアコンのない時代の人々の暮らしは、こうした植物の開花状態を観察しながら、又は太陽の動きや雲の状態を調べながら毎日を過ごしていました。エアコンがないので、勿論、電気代はゼロでした。
なんて解説が始まったら、美しい日本の行く末が心配になるだろうな。
何とか風邪を克服したけれど京都出張が中止となってしまった。久し振りの京都の夜を楽しみにしていたけれど、万一不調状態だったら仕事に差し障る。やむを得ず中止。
が、来週末にも用事があって日帰りの京都訪問を予定している。みのる君にとっては実に久し振りの京都。つかの間だが、哲学の道を散策出来そうだ。哲学の道は学生時分の貧乏旅行で歩いた道。すっかり様子は変わっているだろうな。その頃は金欠状態だったから三千院辺りから京都駅まで歩いたもんだ。
学生時代は毎年のように京都へ遊びに行っていた。大抵往復夜行の鈍行利用。時間はあっても金のない学生時代の気ままな旅行。東京から広島まで急行を乗り継いで行ったこともある。その時は京都で待ち時間がたっぷりとあったので、夜の街に繰り出したっけ。正月2日の晩に京都市内を遊び回ったこともあったな。きれいどころは皆さん正月休みだったような記憶があり、正月早々呑み歩くもんじゃない。そんな教訓を得たもんさ。
この数日風邪に悩んだが、その間一切薬を飲んでいない。
そもそも我が家には薬らしい薬がない。外傷用の傷薬程度しかない。薬なんかより、水分をたっぷり摂れば良いと云うカミサンの言に従ってコーヒーばかり飲んでいる。カミサン曰く、薬なんか無用、医者の出す風邪薬は感染防止が目的、と。本当かいね。風邪は水分を摂って寝ていれば直ると云う。みのる君自身が医者嫌いだから、カミサン説も歓迎だが、今回のように仕事に追われて休む間がないと云う状況はさすがにきつい。果報は寝て待てとばかりに風邪を理由に惰眠を貪ることも出来なかった。思いがけない休暇になるかと思ったけれど、そうは問屋が卸さないみたい。詮方ないか。サプリメントが賑やかだが、こうした食品にも全く興味ない。わざわざ栄養補給もない。野菜を食べれば済む話じゃないか。ちょっと具合が悪いとすぐに医者へ行ったり薬に頼る輩も多いが、風邪なんか根性で直してしまえ。みのる君は仕事を休まず、薬も飲まず、サプリメントにも頼らず、気合で直してしまったぞ。人様に風邪をうつしていたらゴメンな。
一旦熱の下がった日の晩、カミサンが遅くに帰宅。居間でぐったりしていたみのる君を見て、「あれ、直ったのじゃなかったの。すっかり直ったと思ったから本屋へ行って来た」と云って、巷間を賑わす「不都合な真実」をバックから取り出す。改めて環境問題を勉強する様子。奥付をみると初版から2ヶ月足らずでもう第11刷。随分売れているんだ。居眠り上手のカミサンよ、読み通せる?正月に借りてきたマンガの「あさきゆめみし」だって、未だに読み終わっていないんだぜ。そんなことよりみのる君の環境問題を優先しろってんだ。飯は未だかい。
風邪が直らず、毎日苦しい思いが続いております。やっとの思いでPCに向かいましたが、何も書けない。思考回路がショートしている。来週早々に京都出張だと云うのに、こんな状態では中止になりかねん。何とかせねば。と思いつつ…。埒が明きません。
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