国会議事堂のカマキリ

 久し振りにカミサンと上京した。みのる君が学生時代からの友人、チャコちゃんが出展している二科展拝見が目的だったが、この際、国会図書館にも行ってみたいと云うカミサンの希望に沿って、チャコちゃんと別れた後、六本木の国立新美術館から永田町方面まで歩いた。徒歩を提案したのはみのる君だ。都心の散策も悪くない。運動にもなる。勿論、カミサンは即座に賛成する。歩いて小一時間程度。

 よりによっての晴天。残暑厳しいザンショ。歩きだして、すぐに後悔したが、今更諦める訳にはいかない。チャコちゃんの労をねぎらっての昼食でビールを呑んでしまった所為か、ちょっと方向を間違えてしまったようだ。事前に地図で確認していたが、大都会は迷うようになっているようだ。が、みのる君の土地勘は大したものだ。30分程余計にかかったが、ちゃんと目的地に辿り着いた。途中、懐かしい東京タワーも見られた。近くで見るのは何ン十年振りかな。

Tower

 首相官邸とおぼしき建物も見られた。テレビニュース等で拝見しているから、テレビでは見せてくれない建物の背後から眺めたが、何となく官邸らしいと分かる。

 国会議事堂も間近で見た。

Gijidou1

 議事堂の塀に沿って歩いていると、カミサンが銀杏を見付けた。鉄の塀の上にカマキリも見付けた。こちらの様子を窺っている。永田町周辺を警護する警察官みたい。

Gijidou2

 国会議事堂でカマキリを見付けると思ってもみなかった。近頃、何かと不穏な世情。カマキリ君も心配になって、国の将来を窺っているかのようだった。

 国会図書館は休館だった。みのる君は、あらかじめ休館を確認済だったが、カミサンは納得していなかった。実際、自分の目で休館を確認して納得したカミサンは、次はやっている時に来ましょう、と新たな目的を見付けたようだ。相変わらず、わがままなお人だ。

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前橋市周辺の史跡

 上州は大前田栄五郎の墓を訪ねた後、改めて周辺を調べてみると、興味深い事が分かった。赤城山東南面の大前田の親分の眠る近くにはいくつかお城があったようだ。戦国時代の上州は北条や上杉、武田の軍勢が勢力争いに明け暮れていた由。戦に敗れ廃城となってしまった城が点在していた。膳城、山上城、女渕城、大胡城、荻窪城等々。いずれもが親分の墓の周辺10キロ以内。

 しかも縄文時代の柳久保遺跡や旧石器時代の、かの岩宿遺跡も親分の墓からそれ程離れていない。周辺には古墳も多く点在している。つまり、上州の前橋東南部は古代から栄えていたようだ。旧石器時代から古墳時代まで地方豪族が幅を利かせていたのだろう。歴史教科書には上州の繁栄ぶりはあまり紹介されていなかった記憶がある。精々古墳が多いと云った程度の授業だった覚えがある。大前田の親分をきっかけに、暫しお城巡りに熱中したみのる君だが、縄文時代から古墳時代の上州の繁栄が歴史に埋もれてしまったのは何故だろうと云う疑念が生じた。

 一つの答えだが、伊香保温泉のある榛名山の噴火が大きかったか。5世紀後半に榛名山二ッ岳が大噴火したと云う。6世紀の二ッ岳大噴火の火砕流に巻き込まれた人骨が見つかっていると云う。前橋の西にそびえる上毛三山の一つ、榛名山の大噴火によって、大量の火山灰が前橋にも降り積もった。当然、日常生活を脅かす。食べる物が無い。作物が育たない。文化も育たない。駄目だこりゃ。これが、縄文時代から続いた集落が歴史に埋もれてしまった原因かも知れない。全てが灰に埋もれてしまったのだろう。灰燼に帰す。ずっと以前、みのる君が日本ファンタジーノベル大賞に応募したとブログで紹介したが<2008年2月>、実はこの小説はこの二ツ岳大噴火を物語の発端にしていた。あの時、もう少し噴火の悲劇にも言及していれば、大賞を手にしていたかも知れない。思い至らず無念。

Zen

Onabuti

Ogikubo

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大前田栄五郎の墓

 カミサンとドライブ中、農産物の直売所があって、ちょっと覗いてみましょうと云うカミサンに従って立ち寄った。上州は前橋の外れ、大前田と云う辺り。みのる君は「大前田」と云う地名に、思わずハッとした。もしかしたら、みのる君が幼い頃、東映映画に夢中になっていた時分、しばしば耳にしていたヤクザの親分、大前田の栄五郎ゆかりじゃないだろうか。カミサンに話してみると、キョトンとしている。

 数年前、山梨の県立博物館を訪ねた折、たまたま「山梨の自然と人」とか云うテーマの展示があって、そこにヤクザ映画にしばしば登場していた黒駒の勝蔵親分が紹介されており、その時もカミサンは同様にキョトンとしていたっけ。カミサンには全く興味の無い世界か。みのる君にとっては聞き慣れたお名前だ。

 早速、調べてみると、やはりお馴染みの大前田の栄五郎親分ゆかりの地だった。しかも、近くにお墓があるらしい。みのる君はカミサンの事は放っておいて探し回った。

 直売所からさほど遠くない、森の一角に件の墓があった。カメラを持参していなかったので、ケータイで記念撮影。

Eigorou

 前橋市の指定史跡となっている由。みのる君が映画に夢中だった頃が懐かしく蘇ったひと時だった。

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芭蕉句碑二つ

 今回の九州ドライブの発端はカミサンの用事がてらだった。カミサンが京都に用事があって、みのる君が送る事になっていたが、ついでに九州方面まで足を伸ばそうかと云うみのる君の安易な提案にカミサンは嬉々として賛意を表した。で、九州へ向かう前日は京都に一泊と相成った。

 京都に泊まる日、特段の用も無いから寄り道も良かろう。用事の前日だから慌てることも無い。これもみのる君の念願だったが、芭蕉にも縁のある不破の関を訪ねてみよう、併せて伊吹山にも行ってみようなどと云う計画を立て、出掛けていった次第だ。

 元禄2年、芭蕉は「戸を開けばにしに山あり。いぶきといふ。花にもよらず、雪にもよらず、只これ孤山の徳あり」と前書して「其まゝよ月もたのまじ伊吹山」(講談社学術文庫芭蕉全発句より)と詠んでいる。斜嶺亭で世話になった主、高岡三郎兵衛への挨拶句。元禄4年には、「折おりに伊吹をみては冬ごもり」(前出による)と、宮崎千川亭での挨拶句も詠んでいる。いずれも「伊吹山」を取り上げている。奥の細道で「いぶき」の歌を残した藤原実方や西行を偲んで「笠嶋はいづこ…」と詠んだ事が脳裡から離れなかったか。ぬかる道で疲れ果てていた芭蕉は実方ゆかりを訪ねられなかった悔しさが「伊吹山」に込められているような気もする。

 みのる君ご一行は伊吹山ドライブウェイを走って上を目指したが、生憎の濃霧。10㍍先も定かには見えない悪天候だったため、伊吹山の醍醐味は味わえなかったが、芭蕉の句碑は見付けた。

Ibuki

 山を下って、念願だった不破の関に立ち寄った。そこで、貞享元年、41歳の芭蕉が野ざらし紀行で詠んだ「秋風や藪も畠も不破の関」(前出より)の句碑を見付けた。

Huwa

 その晩は京都に泊まり、翌日は着物姿に変身したカミサンとしばし別行動。みのる君は琵琶湖方面等に出向いて時間調整、午後遅くにカミサンと合流、そのまま九州へと向かった。勿論、途中のSAでカミサンは普段着に着替え、清々した顔となって、いざ九州へ、と元気にみのる君の背中を押してくれた。

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駆け足で九州縦断

 相変わらず無鉄砲なみのる君だ。九州縦断ドライブは正味60数時間で1300㌔弱を走り回った。同乗のカミサンは少し不満だったようだが、時間的にも資金的にも余り余裕の無い身には致し方無い。でも、みのる君は希望した所を訪ねられたので満足だった。

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 関門海峡を渡る頃は夜明け。下関側から記念撮影。

Hirado

 上の写真はオランダ商館付近から眺めた平戸城。午前10時頃撮影。大宰府の九州国立博物館や大宰府天満宮拝見は午後の3時前後。下の写真はその晩泊ったホテルから眺めた九州国立博物館の青い屋根と大宰府の森。

Dazaihu

 翌日は一気に南下。知覧の武家屋敷群や特攻平和会館を訪ね、開聞岳を拝見し、後日に震度5強の揺れがあった喜入の道の駅で休憩し、鹿児島に一泊。最終日は霧島を抜け、都城を走り、延岡のきたうらら海市場で買物等々。大分は別府湾SAで「恋人の聖地」なるモニュメントを見付けた。カミサンに、一緒に撮ろうと誘ったが、そんな歳じゃないわと一蹴されてしまった。

Beppuwan

 再び関門海峡に戻って来たのが19時過ぎ。カミサンが九州側から下関を記念に撮った。慌ただしい3日間だった。九州の高速道路は意外にトンネルが多い。そんな感想を持ったドライブだった。

Kanmon2

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