行道山浄因寺

 暫く前、久し振りにカミサンと栃木県は足利市周辺をドライブしている時、唐突にカミサンが、確か足利には「浄因寺」と云うお寺があるはずだ、と思い出したように云い出した。お茶席が設けられるそうなの。一度はお茶席を拝見したいと思っていたらしい。何処だか分からないけれど探して頂戴。いきなりの無理難題だったが、その時は他に予定があったので、あえて探そうとはしなかった。後日、カミサンにお使いを頼まれ田沼方面まで買物に出掛けたついでに足利方面まで足を伸ばして、浄因寺を探し当てた。車一台がやっと通れるような隘路の続く山の中にあった。帰宅してカミサンに報告すると、是非案内して頂戴と云う。道が狭いぞ。みのる君は乗り気ではなかったが、後日、改めてカミサンを連れて浄因寺を訪ねた。

 「関東の高野山」と云われる寺の由。正式には行動山(ぎょうどうさん)浄因寺と云うらしい。行基上人開創の由。葛飾北斎が「足利行動山雲のかけ橋」と云う絵でも有名の由。足利学校位しか知らないみのる君も興味を抱くが、関東の高野山と云われる位だから、きっと車でも結構往生するに違いない、隘路の山道を走りたいとは思わない。巨石の上に「清心亭」(下の写真。ケータイで撮影)と云う建物があって、ここで茶会が催されるらしい。カミサンの説得に負けて三月末に二人して足を運んだ。

Jouinji

 隘路の先には寺の駐車場があった。何台もの車が止められる。時期尚早だった所為か途中の山道で車とすれ違う事はなかった。駐車場からは長く続く階段。やっとの思いで寺に辿り着いた。二度と来るものか。運動不足には自信のあるみのる君は、すっかりバテテしまった。カミサンは境内で作業している人から情報を仕入れていた。四月初めの日曜日にお祭りがあるらしい。今はその準備中とのこと。お祭りの時に茶会も開かれる由。この情報を仕入れたカミサンは、翌週の日曜日、着物姿になって浄因寺に出向いた。何百段も続く階段に怖気づいたみのる君は家で留守番。カミサンは自らの運転で出掛けていった。あの階段を着物姿で歩くのは大変だろうと思うが、物好きはへこたれなかったようだ。夕方遅く無事にご帰還。とっても有意義な一日だったわ。狭い山道を走るなんてカミサンには初めての経験だったと思うが、大きな問題も無く、とにかくめでたしめでたしの一日だった。

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我が家の桜も咲いた

 今年は我が家の桜も世間様に合わせて、早々に満開を迎え、すでに散り始めている。例年より一週間以上も早い。先々週はカミサンと久し振りに降った雪をめでながら雪見酒を楽しんでいたが、先週は桜が満開だ。昨日はカミサンと花見を楽しんだ。季節の移ろいが目まぐるしい。何となく不穏な世界情勢もあり、国内も落ち着かない。桜が警告しているのかも知れない。

Sakura2018

 一年の内、桜を喜ぶのはわずか一週間程度。時季を過ぎれば邪魔者となる。花びらや落ち葉が近所中に散らばって、カミサンの落ち着かない日々が始まる。桜に止まった鳥たちが糞を車の屋根に落とす。カミサンはブツブツ文句を並べては車を洗っている。しばらくは往生するだろうな。

 娘に男の子が生まれた。早速、カミサンと孫の顔を見に行って来た。来年は一緒に花見が出来るかしら。カミサンは孫を抱いて喜んでいた。

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改ざんと書き換え

 テレビでは連日のように森友問題を報じている。一年以上もの間同じ話題で盛り上がっているのだから、余程根は深い所にあるのだろう。近頃は公文書の「改ざん」ないし「書き換え」問題が取りざたされている。報道機関によって、公文書事件は「改ざん」と「書き換え」に分かれている。報道機関の政府に対する忖度が働いているのだろう。思うに、「書き換え」と表記する報道機関は総じて政府寄り、「改ざん」表記の報道機関は政府に批判的か。報道機関の報道姿勢を知るには格好の材料だ。「書き換え」と表記する報道機関は余り信用しない方が無難かも知れない。公文書を自分の都合に合わせて手を入れるのは「改ざん」に決まっている。「書き換え」などと表記するのは問題を矮小化する意図が見え隠れしている。公文書は国民の財産でもある。百年後の日本人は、きっと、人事権を握っている現首相を日本の政治史の汚点と評価するのだろう。「忖度」の意味も理解出来ていないような現首相が声高に事件への関与を否定しているが、関与の有無が問題ではない。周囲が気を遣ってしまうから「忖度」が生まれる。周囲に気を遣わせないような行動、言動が首相には求められている。要は軽はずみが「忖度」を招く。「喉が渇いたな」などと云えば、飲み物が運ばれてくる。ごく自然の流れだ。公けの場での発言であれば周囲は納得するが、何処かの個人宅での発言であれば、尾ひれが付くのは当たり前だ。お茶一杯提供した後日に、お茶を出した御仁が「あいつとは昵懇なんだ」と吹聴すれば周囲は少々気を遣うに決まっている。その挙句に、その御仁に、今度は口を利いてよ、宜しく頼むよとすり寄って来る。世間一般の常識だ。一国の大臣は公人ゆえに世間の常識をわきまえた上での言動や行動が求められる。近頃はそんな常識もわきまえない国会議員はじめ県や市町村議員の先生方が増えているように感じられる。政治の劣化が進んでいるかも知れない。益々物騒になっている。

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初雪や水仙の葉

 貞享3年(1686年)芭蕉が43歳の年、

 初雪や水仙のはのたはむまで

 芭蕉庵に移って、初めて初雪の景色を眺められた折の作。前書に「我くさのとのはつゆき見むと、よそに有ても空だにくもり侍れば、いそぎかへることあまたゝびなりけるに、師走中の八日、はじめて雪降けるよろこび」と書いて、「はつゆきや幸庵(さいはひあん)にまかりある」と上記の句を並べている(講談社学術文庫山本健吉著「芭蕉全発句」より引用)。草庵に降り積もる初雪の風情を楽しみたい。そのささやかな願いがようやく叶い、ホッとした気分。片や「まかりある」と侍の威張った態度と片や水仙の葉のたわむ風情を楽しむ清貧ぶり。

 貞享3年と云えば、「古池や蛙飛こむ水のをと」や「名月や池をめぐりて夜もすがら」、「座頭かと人に見られて月見哉」、「酒のめばいとゞ寝られぬ夜の雪」(いずれも芭蕉全発句より)等芭蕉らしさが際立ってきた時期。

 昨日、テレビのニュースバラエティ番組で、香川県の老舗が明治時代に入手したと云う芭蕉真筆の掛軸(「初雪や水仙」云々の発句と絵が描かれている)が紹介されていた。もともと紀州徳川家が所有していた由。紀州徳川家がどんな経緯で芭蕉真筆を手に入れたのだろう。江戸時代の半ばには芭蕉の名が轟いていたのだろうか。SNSも無い時代にあって、風聞や噂話の拡大は大したものだと感心してしまった。

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孫の発表会

 過日、カミサンと倅夫婦の長女が通う幼稚園の発表会へ行って来た。祖父母向けに設定された園児達の日頃の活動成果(遊戯等)の発表会で、親御さん達への発表会は別の日に行われていた由。念の入ったサービスだ。開会直前に会場へ到着すると、すでに椅子席は満席状態。最後尾の立見席で孫娘の出番を待った。幼稚園の発表会を拝見するのは、みのる君の子供達が幼稚園時代以来。久し振りに幼稚園の空気を味わった。孫娘の通う幼稚園は少々大規模のようで、この日は年少組以下だけの発表会だった。年中組や年長組は別途設定の由。園の駐車場は満杯状態だったし、お年寄りばかりが集った会場は熱気に包まれていた。倅は娘を入園させるに当たって園児募集の初日に徹夜に近い意気込みを発揮したと云う。余程人気のある幼稚園なのだろう。それに比べると、みのる君の幼稚園時代は余程呑気だったような気がする。ネズミ捕りに夢中になって先生達を困らせた腕白小僧だったが、別段の規制や強制も無く、すくすくと育てられたと思う。小学生になってから、幼稚園や保育園に通った事も無い同級生達とも多く知り合ったが、特段の偏見も無く、縄張り争いやら権力闘争に明け暮れていたクラスの中で悠然と学校生活を楽しんでいたような気がする。みのる君は独立独歩、我が道を行くタイプだったから、縄張り争いには歯牙も掛けず、頭脳明晰で運動会ではリレーの選手を務めていた運動神経抜群のみのる君相手では勝ち目が無いと分かっていたクラスの親分衆は、みのる君を相手にしていなかったようだ。

 孫娘は、最後尾の立見席に陣取っていたカミサンとみのる君を目ざとく見つけると、元気に手を振ってくれた。カミサンも大喜びで手を振って応えていた。みのる君は専ら撮影係に徹し、後日、スライドショーにして孫娘に渡すと、何度も何度も見直して喜んでいた由。喜んでもらえてみのる君は一安心。いよいよ好々爺然。段々と年を取って来たか。

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